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英国のEU離脱の影にある、日本も無視できない理由

欧州の格差を歩く 更新日: 公開日:
ブラックプールタワー=寺西和男撮影

イギリスの欧州連合(EU)離脱の決定、自国第一主義の台頭など、欧州政治はいま難しい課題に直面している。その背景にあるとされるのが、格差の拡大だ。欧州各地の現場を歩き、格差問題の今を探ってみる。

欧州連合(EU)から離脱が決まったイギリスで「忘れられた町」と呼ばれる町がある。イングランド北西部のブラックプール。産業革命で知られるランカシャー地方にあり、19世紀には工場労働者の保養地として有数の観光地に成長した。だが、先進国でも早くに始まった製造業の衰退の波を受け、仕事を失った人たちの受け皿の町となった。この町から見える地域間格差の現状は、日本にとっても無視できない課題を投げかけている。

町の中心部にも売りに出されたホテルが目立つ=寺西和男撮影

この3年間、イギリスの地方をみてきたが、これほど華やかさと寂しさが隣り合う町はあまり経験したことがない。
映画「Shall we ダンス?」にも登場する中心部のブラックプールタワーのダンスフロアを訪れると、年配の夫婦ら約10組がオルガンの生演奏で踊っていた。友人といたイーニド・ヒルトンさん(73)に町の様子を聞くと、「この30年で町は寂れてしまって…。今は夕方に町を1人で歩きたくないの」。EU離脱の国民投票では7割近くの人が離脱に投じ、離脱支持が最も高い都市の一つになったが、離脱に投じたヒルトンさんは「町には流れを変えるきっかけが必要よ」と言う。

ブラックプールタワーのボールルームで社交ダンスをする人たち=寺西和男撮影
ブラックプールタワーのボールルームに社交ダンスを楽しみにきたイーニド・ヒルトンさん(左)とアラン・ファースさん=寺西和男撮影

外を歩くとすぐにその言葉の意味が分かった。海岸沿いのプロムナードは人通りが多いが、数百㍍入った商店街には空き店舗が目立って寂しげだ。ベンチに座ったところ、たてぶえを持ったアンディーさん(38)から「一曲聞かないか」と声をかけられた。近くの町で2年前に靴下製造会社の仕事を失い、借金もあってホームレスになった。半年前に移って、たてぶえで日銭を稼いでいるという。
町では宿泊客の減少で1980年代には約5800棟あったゲストハウスのうち約4400軒が閉じた。その大半は格安のアパートになり、周辺の都市で仕事を失って住む場所がなくなった人らが流れてくるようになった。ある意味で経済システムから「忘れられた人」の受け皿になっている町なのだ。

観光用の馬車の客待ちをするトミー・カミンズさん。仕事を始めて6年になるが、売り上げは右肩下がりだと嘆いた=寺西和男撮影

イギリスのメディアが「忘れられた町」と呼ぶのは、政府にも切り捨てられたという意味も込められている。イギリスでは経営が悪化した銀行の救済に公的資金をつぎ込むなどして財政赤字が膨らんだため、政府は財政緊縮策を続けている。最も削られたのが地方向けの補助金で、財政研究所によると09年度からの5年間だけで37%もカットされた。ブラックプールでも10年度から計6億8千万㍀(1020億円)も減らされた。福祉手当のカットに加え、図書館の開業時間を減らしたり、道路の清掃員を減らしたりと生活に影響が出た。町に流れてくる人への支援が必要だが、食料などを無料で配るボランティア団体が公共サービスの縮小を補っているのが実情だ。

元ホテル経営者のピーター・ベーカーさん。奥は、国際的な社交ダンス大会が開かれる複合施設「ウィンター・ガーデン」=寺西和男撮影

そもそも町が地盤沈下し始めたのは製造業の衰退がある。繊維産業や炭坑などの工場労働者が長期休暇で訪れてにぎわったが、1960~70年代ごろから経済の停滞や国際競争で工場の閉鎖や海外移転が続いた。炭坑の閉鎖も相次ぎ、観光客は減った。さらに格安航空(LCC)の台頭で、国内の保養地より、南欧の観光地に格安で出かけられるようになったことも追い打ちをかけた。
町の人たちに衰退の訳を尋ねると1人の政治家の名前が出てくるのに気づく。1979年~90年に政権を率いた「鉄の女」サッチャー元首相だ。「英国病」と呼ばれた経済を復活させた立役者だが、労働争議が相次いだ炭坑を閉鎖したり、ポンド高で打撃を受けた製造業への支援に後ろ向きだったりした。イギリスを製造業から、金融などサービス産業中心の経済への転換を図った結果、ロンドンは持ち直したが、失業者が急増したイングランド北部の地方都市ではあまり人気がないようだ。しかもその後の製造業の落ち込みは歯止めがかからなかったから、なおさらだ。
 イギリスの地域間格差の拡大の本質は、地方に財政面で目配りができなくなったこともあるが、製造業の衰退への対応が大きいのではないかと思う。地方自治体の研究専門のシンクタンク「センター・フォー・シティーズ」のポール・スウィニーさんは「産業構造が製造業からサービス産業に転換する中で、製造業に頼った地方で質の高い雇用が生まれていないことが大きい」と言う。ロンドンでは金融などの技能が必要で賃金も高い仕事があるが、地方都市では受け皿がなかったり、仕事があっても不安定な条件で働く人が多かったりするためだ。

ブラックプール市幹部のアラン・キャビルさん(右)と、ジリアン・キャンプベル市議会議員。「中央政府からの補助金カットが町に及ぼしている影響は大きい」と説明した=寺西和男撮影

ブラックプールでもプロムナードであめ菓子を売っていたジェームスさん(26)の時給は最低賃金の7.5㍀(約1125円)。勤務時間は天候次第で8時間以上働けることもあれば3~4時間で閉めることも。しかも3~11月の観光シーズンのみの期間従業員だ。それでも「冬の仕事に比べると働けるのでありがたい」。12月~2月に働くおもちゃ屋も最低賃金で、勤務は1日3時間程度という。英統計局によると、ブラックプールで働く人が1週間にかせぐ総所得は420㍀(約6万3千円)で、670㍀(約10万500円)のロンドンとは3万7千円ほども差がある。しかもこの20年間でこの差は広がっている。

ボランティア団体の事務局長のサイモン・カートメルさんが町の中を案内してくれた。町の中ではシャッターを下ろした店が多い=寺西和男撮影

先進国でも早くに製造業が縮小し始めたイギリスの地域格差の問題は日本も無視できる話ではない。日本の地域間格差を示す指標では、内閣府の「1人あたりの県民所得」の統計がある。家計や企業などを含む都道府県の所得水準を示すものだ。大和総研の溝端幹雄主任研究員の調査によると、東京と地方との格差は過去60年でみれば全体でみれば縮小する傾向にある。首位の東京都に次ぐのは2位の愛知や3位の静岡で、製造業が集まっているかどうかが要因の一つという。日本は経済に占める製造業の存在は大きい。イギリスの国内総生産(GDP)に占める製造業の割合は90年代初めの17%から10%まで下がったが、日本はまだ20%で、地方に分散する大手・中小企業の工場が雇用の受け皿になる。しかし、27%あった90年代初めより低下している。これからの人口減や新興国のさらなる台頭を考えると、イギリスが直面したような地方の産業構造の転換の波が押し寄せる可能性は高い。高齢化が進む地方で受け皿となるサービス産業としては医療・介護関係の仕事が期待されるが、介護職はほかの業種より賃金が低く、地域間格差に影響しないか心配だ。

ちなみに離脱決定後に登場したメイ首相は遅ればせながら、地域間格差に真剣に取り組む方針を打ち出した。財政緊縮の手綱を少しだけゆるめて地方向けへのインフラ投資を増やす考えを示し、政府が主導して地方に研究開発拠点の整備などを進めて製造業を支援する産業戦略も新たにつくった。ただ、EU離脱交渉が難航する中、内政に本腰を入れて取り組む余裕がないようにも見える。地域間格差の放置のつけが生み出した離脱の代償は大きい。