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欧州経済の勝ち組アイルランドが直面する住宅格差

欧州の格差を歩く 更新日: 公開日:
ホームレス向けの緊急宿泊施設と路上生活を繰り返しているというジェフリー・カランさん=ダブリン、寺西和男撮影

いまの欧州を見渡すと、英国に隣接する人口約480万人の小国アイルランドは経済の勝ち組のひとつだ。経済規模を示す実質国内総生産(GDP)の2017年の伸び率は前年比7.2%と、欧州連合(EU)の加盟国でトップ。1990年代の日本と同じく、約10年前に不動産バブルが崩壊して金融危機に直面したが、その後は低成長に悩む日本と対照的に急速に経済は持ち直している。だが、高成長のかげで今も金融危機のつけに苦しんでいる人は少なくない。

「ほしいのは、あらゆる人のための住宅だ!」

「必要なのは今だ!」

昨年12月1日、アイルランドの首都ダブリンの中心部を約1万人が政府に住宅対策を求めて練り歩いた。「住宅危機を止めろ」、「クリスマスに子どもたちをホームレスにするな」と書かれたプラカードや横断幕を掲げた人たちの中には、お年寄りから幼い子どもを連れた家族、大学生までいろんな人々の姿があった。

政府の住宅問題への対策を訴えてダブリン市内を練り歩く人たち=ダブリン、寺西和男撮影

12月1日には特別な意味がある。4年前のこの日、ダブリン中心部の国会議事堂にほど近い建物の玄関前で、ホームレスだったジョナサン・コリーさん(享年43歳)が亡くなっているのが見つかった。アイルランドでは金融危機でホームレスが急増し、コリーさんの死をきっかけに社会的な弱者に十分に手を差し伸べていないとして政府への批判が高まった。

「コリーさんのようなケースは今も全く人ごとではない」。デモに参加した住宅問題に取り組む市民団体のスーアン・ムーアさん(43)はそう話した。

ダブリンではいま、上昇する家賃を払えなくなる人が増え、社会問題になっている。ダブリンの昨年4~6月期の家賃平均は1年前と比べると、8.8%増えた。この3年間で25%の増加だ。家賃を払えずにホームレスになる人も。昨年11月時点でアイルランドのホームレスの数は9968人。うち3811人は子どもだ。この4年間でホームレスになった人の数は3倍近くに膨らんでいる。

ちなみに日本では、厚生労働省の昨年夏の発表によると、全国のホームレス数は4977人。4年前より2500人減っている。ただ、このデータは、アイルランドは緊急宿泊施設などでの宿泊者、日本は自治体を通じて公園などで寝起きをしている人を目視で調べたもので、定義や調査方法は異なる。日本ではインターネットカフェで寝泊まりする「ネットカフェ難民」など不安定な生活を送る人も多く、住宅問題は日本でも大きな課題だ。

デモに参加したジェフリー・カランさん(47)も、路上生活とボランティア団体が提供する緊急宿泊施設での生活を繰り返しているという。もともとは配管工だったが、家庭の事情で心の病を抱え、仕事をやめて生活保護を受け始めた。しかし、月440ユーロ(5万5千円)だったアパートの家賃が100ユーロ(約1万2500円)ほど一気に上がることになり、生活保護費の月668ユーロ(約8万4千円)では食費や光熱費がまかなえなくなり、アパートを出た。いまはボランティア団体でメンテナンスの仕事で週60ユーロ(約7500円)の臨時収入を得ている。定職を目指して面接も受けているが、住所がないためになかなか難しいのだという。

デモの参加者には若い人も目立つ。大学2年生のアダム・ホスキンさん(21)は「いつ家賃が払えなくなって家を追い出されるか分からない」と不安そうに話した。今はダブリンの月1200ユーロ(約15万円)の3ベッドルームのアパートを知人とあわせて計3人で借りている。1人分の月400ユーロ(約5万円)はアルバイトで稼いで自分で負担している。しかし、アパートは改装工事を理由に家賃の引き上げが予定されているという。「まだどのくらい上がるか聞いていないが、2000ユーロ(約25万円)近くになる可能性もある。あまりに値上がり幅が大きいとダブリンから出て行かないといけない」と言う。ダブリンでは、家を借りられない若者のグループが、空き家を無断で占有する抗議活動を繰り返すなどして問題にもなっている。

ダブリンでのデモに参加する大学生=寺西和男撮影

いまの家賃の値上がりの理由は、賃貸用物件の不足だ。

アイルランドは08年にリーマンショックが起きる前年、不動産バブルが崩壊した。大手不動産会社「ナイト・フランク」のジョン・リング調査部長(35)によると、アイルランドの不動産価格は一時、07年のピークに比べて平均で約50%も下落。大量の不良債権を抱えた銀行は経営難となった。政府は600億ユーロ(約7.5兆円)以上の公的資金を銀行に投入した結果、政府も財政難に陥り、2010年には国際通貨基金(IMF)や欧州連合(EU)から金融支援を受けた。経済は低迷し、建設工事は軒並みストップした。景気回復とともに工事は再開されたものの、手頃な物件は見つけにくくなっている。

さらに民泊仲介サイト世界最大手の米Airbnb(エアビーアンドビー)など旅行者向けに貸し出す物件が多くなっていることも、住居用に出回る物件が減る原因になっている。

欧州では、アムステルダムやバルセロナなどほかの都市でも米Airbnb向けに貸し出す物件が増え、住宅不足を招く一因になっている。

多国籍企業の進出も理由のひとつに挙げられる。アイルランドの法人税は12.5%と、欧州でも最低クラス。法人税の低さに加え、英語圏でもあるため、製薬会社やIT企業など多国籍企業が多く拠点を置く。金危機後に急回復を遂げたのも、こうした多国籍企業による輸出が大きな原動力になった。誘致団体であるアイルランド政府産業開発庁(IDA)の今年1月の発表によると、こうした多国籍企業による雇用は23万人と過去最多だ。企業の進出に住宅供給が追いついていない状況にあるのだという。

ダブリンの中心部。金融危機後にホームレスの数は増えている=ダブリン、寺西和男撮影

金融危機のつけも重なる。ナイト・フランクのリング調査部長は「住宅ローンを借りる際の条件が厳しくなって、家が買いにくくなったことも大きく影響している」と説明する。

アイルランド経済が回復してきた15年、アイルランドの中央銀行は不動産バブルの再来を避けようと、住宅購入をする人への融資を制限するルールを導入した。ローンの融資限度額を総所得の3.5倍までとし、住宅を買いたい人はローンを受ける前に融資額の10~20%にあたる預金を事前に銀行に預けておくことを求めた。貯蓄が十分にない人は、住宅ローンを借りられないため、賃貸物件に向かい、価格を押し上げている。国内の住宅の平均価格は07年のピークより2割ほど低いままだが、賃貸物件の家賃だけはピークを3割も上回っている。まさに「家賃危機」だ。

アイルランドの金融危機につながった不動産バブルを招いた一因には、規制を緩めても市場が自分で調整できるという「市場重視の資本主義」への過信があった。アイルランド中央銀行も、銀行への監督が甘くバブルも抑えられなかったと批判を浴びてきた。こうした反省から、融資規制ルールを導入して、バブルの芽を早めに取り去ろうとしたわけだ。ルールを入れた当時は、欧州中央銀行(ECB)が、物価が下がり続けるデフレを防ぐために量的緩和を始め、金融市場に大量のお金を流し始めた時期でもある。中央銀行が危機を教訓に、バブルへの警戒を強めたのは当然だろう。

アイルランドの中央銀行の本店。不動産バブルを警戒して融資規制ルールを導入した=ダブリン、寺西和男撮影

デモ参加者の不満も、中央銀行より、政府の姿勢に向いている。

デモに参加した国会議員のリチャード・ボイド・バレット氏(50)は「政府は大企業を重視しすぎている。社会的な弱者にもっと目を向けるべきだ」と言う。

アイルランドでは財政危機の際、政府は福祉カットや消費税にあたる付加価値税の引き上げなどはした一方、法人税率12.5%は成長の源泉だとして据え置いた。15年に財政難から無料だった水道代の有料化を始めたが、翌年にEUの欧州委員会の調査でアイルランドに拠点を置く米アップルに対する政府による巨額の税優遇が明らかになり、国民は「水道代は有料化するのに、アップルには税優遇するのか」と猛反発し、政府は水道代の有料化の見直しに追い込まれた。アイルランドは経済成長の面では成功しているが、国民の一部には政府に対する「大企業重視」への不信感は根強い。

「家賃危機」を受け、政府は昨年、Airbnbなどの貸し出し規制を導入すると発表。3カ月間以上、アパートを貸し出す際は関係当局の許可を得るように求めた。低所得者層への住宅支援制度も、民間住宅に政府が家賃補助する仕組みが中心だったが、賃貸物件が不足する中、政府は公営住宅の建設も増やすことを表明した。

経済の成長と国民が実感する豊かさは必ずしもイコールではない。成長とともに生まれるひずみに目を向け、成長の糧をどう国民に再分配していくかが大事だ。アイルランドを再び襲う危機はそのことを教えてくれる。