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全国民の所得を公開するフィンランド 公開日は人呼んで「全国ジェラシーデー」

ニューヨークタイムズ 世界の話題
所得税の課税データを取材するため、ヘルシンキの国税庁舎前に列をつくるジャーナリストたち=2018年11月1日、Dmitry Kostyukov/©2018 The New York Times

11月1日、午前6時過ぎ。ヘルシンキにある国税庁舎前で、行列が始まった。外は暗く、空気は冷え切っている。けれど、ある基礎資料を一刻も早く手に入れたいと、列の人たちは場所取りに必死だった。

スペイン・パンプローナには自慢の牛追い祭りがある。ブラジル・リオデジャネイロにはカーニバル。それぞれ自慢のお祭りはあるけれど、ヘルシンキでは、毎年11月1日を「全国ジェラシーデー(National Jealousy Day)」としてひっそりと祝っている。嫉妬心をあおるお祭りとでもいおうか、この日、全国民の課税所得が公開されるのだ(訳注=在日フィンランド大使館によると、11月1日は特定の記念日ではないが、10年ほど前からタブロイド紙などが「全国ジェラシーデー」という言い方を使っている)。

課税所得のデータ開示は、午前8時きっかりに始まる。

誰が所得を伸ばし、誰が下がったか――この日に公開される課税所得のデータは、そんな比べっこゲームのスタートの合図になる。どのハイテク起業家が会社を売りに出したか? どのインスタグラム有名人が実際に金欠病に陥ったか?

退職した重役で納税義務を逃れているのは誰か?

みんなであれこれ比較し合う。

この全国ジェラシーデーを「きわめて前向きなゴシップ」と評価したのは、アールト大学(ヘルシンキ)の哲学教授エサ・サーリネンだ。

個人所得の公表は、他の北欧諸国でも実施されている。フィンランドが変わっているのは、情報公開法に基づいて公表される課税所得に関する個人データを、人びとがこぞって比較し合う年中行事にしていることだ。公開は「プライバシーの侵害」という不満も、あるにはある。しかし、ほとんどの人は他の欧州諸国で格差が拡大する傾向の中、これにあらがう上で役立っている、と肯定的にとらえている。

「私たちは平均的な人びとと金持ちとのギャップがどれほどあるのか、その格差がちょっと広がり過ぎていないかを見ている」と言ったのは、同国最大の日刊紙ヘルシンギン・サノマットの調査報道記者トゥオモ・ピエティライネン。「我々が(課税所得の)数字を報道すると、所得の低い人びとは『同僚の方がなぜ給料が高いのだ?』と考えるようになる」とピエティライネン。だから「我々の仕事は、人びとの所得を上げてゆく効果がある」と。

彼によると、雇用する側も、課税所得を公表されることで「不透明な状況に比べ、より適切な対応が求められるようになる」という。

11月1日の報道の多くは、それほどでもない二流の有名人たちの収入を重点的に扱った。あるジャーナリストは、それとは別の美人コンテスト優勝者の話を書きながら「うーん、だいたい美人コンテストの優勝者は無一文になる」と思わずうめいた。フィンランドで最も知られたポルノ俳優の「Mr.Lothar(ミスター・ローター)」ことアンシ・ビスカリは2万3826ユーロ(1ユーロ=130円換算で約310万円)を稼いだという。うち7177ユーロ(同約93万円)はキャピタルゲイン(保有資産の変動で得られる収益)だった。

ヘルシンキの国税庁舎内で公開された課税データを取材する記者たち=2018年11月1日、Dmitry Kostyukov/©2018 The New York Times

ドイツ生まれでフィンランド在住の作家ローマン・シャッツ(58)は、フィンランド人の正直さを見せつけるこの年中行事に、ちょっと目を回してみせた。「これは心の訓練の一つだ。国中が透明だという錯覚を起こして、みんなで自己満足している。すなわち『アメリカ人は決してそんなまねはしないだろう。ドイツ人だってしないだろう。私たちは正直者、善良な人間なのだ』とね」。彼はそう話すのだった。

シャッツは、公開される所得の数値を額面通りに受け取って話題にするには注意が必要だとして、補助金やビジネス関連控除といった非課税収入は公表されないことを指摘した。

シャッツは「いつもながら笑ってしまう。これが私の課税所得だ。みんな『ローマン・シャッツは学校の先生より安い』と言っている」と話した。

ところで、米国のエコノミストたちは最近、給料の公開に大きな関心を示している。理由の一つは、給料におけるジェンダーあるいは人種間格差を縮小する手立てになるとみているためだ。

透明性は不平等を縮小するかもしれないし、しないかもしれない。しかし、透明性が人びとに一層不満をもたらす傾向にあることは、いくつかの研究ではっきりしている。米カリフォルニア大学は2008年、同大で働く人たちの給与をオンラインで見られるようにした。ところが、同大教授会の調査研究によると、比較的低い給料の人は、昇給が滞っていると分かって仕事の満足感が減り、新たな仕事を探そうとする傾向が強まっている。

ノルウェーでは01年、納税記録をオンラインで簡単に、匿名で検索できる制度にした。ここでも似たような結果になった。すなわち誰でも同僚や近所の人たちの収入が分かってしまい、幸福度に関する自己報告もますます収入の多寡に偏り、低収入の人は幸福度も低く自己報告するようになった。このため同国では14年に匿名での検索を禁止した。すると検索数は急激に落ちた。

「情報が多くなれば社会全体の福祉改善につながるということではないようだ」とカリフォルニア大学教授会報告の筆者の一人、アレクサンダー・マスは語っている。

フィンランドでは、財産をひけらかすのは昔からさげすまれてきた。それは「幸運に恵まれたら、それを隠しなさい」という詩の一節に表れている。この文句は国民に深く愛されていて、音楽でも歌われている。

フィンランド政府は、個人の納税記録の公開を19世紀からずっと続けている。とはいえ最近までは、見たいデータを探し出すには分厚い記録台帳を熟読しなければならなかった。

しかし今日では、ヘルシンキのタブロイド紙が開示データの取材に総力を挙げて取り組み、この「全国ジェラシーデー」を盛り上げている。取材に編集部員の半分を投入することもよくある。国税庁内にあるコンピューター端末を奪い合う競争も激化し、一度は小競り合いまで起きたほどだ。そこまで争うのはまったくフィンランド的ではない、とは誰もが同意したが。

全国ジェラシーデーはいわば一大スポーツゲームで、その中に脱税者を取り上げて公然と恥をかかせる種目もある。

15年、ヘルシンギン・サノマットの記者ピエティライネンは、国内最大手のいくつかの企業の重役が、ポルトガルに住居を移して年金を非課税で受け取っていた事実を突き止めた。彼の報道は波紋を広げ、フィンランド国会はポルトガルとの課税協定を打ち切った。両国は現在、税の抜け道をふさぐ方策を盛り込んだ新たな協定の策定を検討している。

フィンランドにもっと深刻な傷をもたらすのは、「人びとの反感だ」とアールト大学の哲学教授サーリネンは語った。

ヘルシンキのアールト大学哲学教授エサ・サーリネン=2018年10月31日、Dmitry Kostyukov/©2018 The New York Times

「こうした特定の企業の重役たちは評判を落とした。もし彼らが評判など気にしていないとすれば、とんでもないことだ。フィンランドは小さな社会だ。フィンランド人は常にフィンランド人らしく振る舞わなければならない。彼らは(ポルトガルに移住しても)クリスマスになればヘルシンキ空港に現れるだろう。だが、彼らが感じる人びとのまなざしは、軽蔑以外の何ものでもない」。サーリネンはそう言った。

「全国ジェラシーデー」の新聞各紙には、資本家のヒーローも登場する。

特に祭り上げられるのはモバイルゲーム開発会社「Supercell(スーパーセル)」の若手オーナーたちで、18年の課税所得は合計1億8100万ユーロ(同約235億円)。高額所得者トップテンの中に5人が入った。同社の最高経営責任者のイルッカ・パーナネン(40)は16年、キャピタルゲイン税でフィンランドの記録を破ったことは幸せである、とわざわざ表明し、ヘルシンギン・サノマットに「今度は私たちがお返しをする番だ」と語った」。

「これこそフィンランド人が好む金持ち像だ」とヘルシンキ市内のカフェにいた大学院生オンニ・テルツネンは言った。「彼はとても謙虚な人だ。フィンランドでは常に謙虚であること、それが大事なのだ。その謙虚さを見せびらかすようなことをしたら、誰からも好かれない」と説明した。

開示される税関連データの使い方は、無論さまざまである。犯罪報道記者のトゥオマス・リンピライネンは、上司に昇給を要求する前にライバル記者たちのサラリーを時々調べることにしている、と言った(実際、奏功した)。

同僚のマルック・ウハリが「私は親類の給料を調べたことがある」と言うと、リンピライネンは「僕は上司の給料も調べたよ」と語った。

「そんなことしているなんて、誰も認めたくないけれど、みんなやっている」と、もう一人の記者ラッシ・ラピンティエが打ち明けた。(抄訳)

(Ellen Barry)©2018 The New York Times

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