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キャッシュレス社会の最前線 スウェーデンの戸惑い

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
鉄道の運賃も食べ物も、キャッシュレス決済だ。手に埋め込んだマイクロチップをスマホに取り込んだアプリにかざすだけで支払いができる=2018年11月6日、Loulou d'Aki/©2018 The New York Times

キャッシュレス社会に向けて、スウェーデンほど急速に突き進んでいる国はほとんどない。しかし、そのペースがあまりに速い――全小売店の半分が2025年以降、現金を受け付けなくなると見込まれる――ため、政府はキャッシュレスがもたらす将来の社会的コストを試算している。

一度はキャッシュレスへの流れを容認していた金融当局だが、現在は銀行に対し、政府が消費者にとってキャッシュレスがどうなるのかを見極めるまで、紙幣や硬貨の取り扱いを続けるよう要請している。中央銀行は、スウェーデンからいずれ現金が消えると予測しており、通貨の供給制御をしっかり維持するためにデジタル通貨「e-Krona(イークローナ)」の運用テストを行っている。議会の議員たちは、電力系統が故障したり、サーバーが停電やハッカーによる攻撃、あるいは戦争などで稼働しなくなったりするとオンライン決済や銀行口座はどうなるのかといった問題について調べている。

「どうなるのかという問題を前に、ただ腕組みをしたままで何もせず、現金が消滅してしまう事実にだけ注目するといった態度は間違いです」とステファン・イングベスは指摘する。Riksbankの名で知られるスウェーデンの中央銀行の総裁で、「時間は戻せないのだから、変化に対応する方法を見つけ出さなければなりません」とも言っている。

スウェーデンの中央銀行総裁ステファン・イングベス。予想以上のペースでキャッシュレス化が進むなか、その社会的コストを再検討するため進展ペースを落とそうとしているが……=2018年11月6日、Loulou d'Aki/©2018 The New York Times

スウェーデンで、どのくらいの頻度で現金払いをするかを人に問えば、「ほとんどない」という答えが返ってくる。全人口1千万人の国だが、スウェーデン人の5人に1人はもはやATM(現金自動出入機)を使わない。4千人以上のスウェーデン人が手にマイクロチップを埋め込んでおり、手をかざすだけで鉄道の運賃や食べものの料金を支払ったり、オフィスの出入りをしたりしている。レストラン、バス、駐車場、さらには有料トイレまで現金よりもキャッシュレス決済になってきている。

消費者団体によると、キャッシュレスへの移行で、多くの退職者たち――スウェーデン人の3分の1は55歳以上だ――や移民、身体障害者らの一部は取り残されて不利な立場に置かれている。商品や取引、銀行とその顧客サービスで電子機器へのアクセスが簡単ではないからだ。キャッシュレス社会の進行は、国家が何世紀にもわたって果たしてきた最高保証人としての役割が逆転しかねない。現金が姿を消せば、商業銀行が大きな権限を振るうことになろう。

「それが良いことなのか悪いことなのか、成り行きにまかせるのではなく、一度立ち止まって考える必要があります」。スウェーデン議会でこの問題に取り組んでいる委員会の委員長マッツ・ディルエンは言う。「現金の消滅は、社会にも経済にも重要な影響をもたらす大きな変化です」

ストックホルムにある銀行大手Swedbank(スウェドバンク)の支店。現金の出し入れをする顧客は、隅の方に行って窓口を探さなければならない=2018年11月6日、Loulou d'Aki/©2018 The New York Times

世界中で、スマホのアプリやクレジットカードで支払う消費者がますます増えている。

中国をはじめアジアの国々はスマホを使う若者たちであふれかえっており、モバイル決済が日常化している。ヨーロッパの場合は、ざっと5人に1人がまれにしか現金を持ち歩かないという。ベルギー、デンマーク、ノルウェーではデビットカード(訳注=即時決済型のクレジットカード)やクレジットカードの利用者数が過去最多を記録している。

スウェーデン――とりわけ若い人たち――は、その最前線に立つ。経済活動で貨幣が使われる割合はヨーロッパが10%、米国が8%だが、スウェーデンは1%にすぎない。現金で何らかの支払いをした消費者は2010年には40%いたが、17年はほぼ10人に1人しかいなかった。スウェーデンのほとんどの業者が紙幣や硬貨を受けつけてはいるが、ますます少なくなってきている。

18歳から24歳までの人たちをみると、キャッシュレス人口は驚くほどだ。彼らの買い物での支払いは、デビットカードやスウェーデンの大手銀行(複数)が立ち上げたスマホアプリ「Swish(スウィッシュ)」による決済が95%にまで達している。

スウェーデンでは、誰もが思っていた以上の速さで現金が姿を消している。首都ストックホルムのマーケットでは花屋でもカードが使われている=2018年11月6日、Loulou d'Aki/©2018 The New York Times

若者の家庭では必需品と化したフラットパックされた家具(訳注=平らな箱に入れた組み立て式の家具)を売るIKEA(イケア)はキャッシュレスによる商売の効果を見極める実験をしてきた。首都ストックホルムから北へ約160キロにあるイェブレのイケアでは、現金を使う顧客が1%に満たないことがわかったため、10月以降、一時的にキャッシュレス方式を取り入れた。イケアの従業員たちはこれまで、現金を数えたりするなどの扱いに業務時間の約15%を費やしてきた。

上級支配人のパトリック・ブーステイン(38)によると、キャッシュレス化の試みで商品販売フロアの従業員の仕事が楽になった。これまでのところ、現金でしか支払いができない顧客は1千人につき約1.2人だ。主にカフェテリアで小銭を使う傾向がある。イケアの場合、カフェテリアで顧客に現金を使わせる代わりに、無料券を配っている。

家具販売大手イケアのイェブレ店では、一時的にキャッシュレス化を実験している。現金を使っている人は顧客の1%未満であることがわかったからだという=2018年11月7日、Loulou d'Aki/©2018 The New York Times

「(お客さんに)こう言うんです。『50セントのホットドッグを注文されるなら、お代はいりません。でも、次はカードでお支払いください』と」。そうブーステインは話し、これまでのキャッシュレス実験の結果だと、現金は必要不可欠ではなく、むしろ経費がかかると言っている。「ほんのわずかな数の人たちの必要を満たすサービスのために、多くの資源を投入しなければならないからです」

しかし、スウェーデン国民年金機構の最寄りの支部は、多くの退職者たちがイケアのイェブレ店にちょっとした食事に行くこともあるため、同店のキャッシュレス実験に反発している。

「私たちの機構には、銀行関連のことでパソコンを使ったり、iPadやiPhoneを使ったりすることが簡単でない人が100万人ぐらいいます」と同機構の全国会長クリスティーナ・タルベーグ(75)は言う。「デジタル化に反対しているわけではありませんが、その進行があまりにも速すぎます」

同機構は退職後の年金生活者たちに電子決済のやり方を教えるための資金集めをしている。ところが皮肉なことに、その努力はたくさんの現金でつまずいてしまった。電子決済のやり方を学ぶ研修が地方で行われると、高齢者たちはその費用を現金で寄付するから、研修担当者は現金を受け付けてくれる銀行まで何十キロも車を運転しなければならないのだ。そうタルベーグは言う。

スウェーデンの銀行は計1400の支店があるが、その半数はすでに現金の預金を受け付けていない。

銀行各行は、消費者や小売業者らにデビットカードやクレジットカード――銀行とカード会社はうまみのある手数料を稼げる――の利用を奨励するなどしてキャッシュレス革命を推進してきた。これには銀行が開発したスマホアプリ「Swish」による電子決済も含まれる。

スウェーデンでは2000年代の半ばに銀行強盗が頻発したこともあって、以後、銀行は安全確保を理由の一つにして現金の扱いを減らす方向にかじを切ったのだ。銀行が襲われる事件は08年に210件起きたが、17年はわずか2件だけだった。

スウェーデン・サンドビーケンのATM=2018年11月7日、Loulou d'Aki/©2018 The New York Times。キャッシュレス化が進行し、無駄な維持費を節減するため、各地でATMが次々に撤去されている

近年、銀行は数百ものATMを撤去してしまった。わずかしか現金が流通していないため、ATMを維持するのは経費がかかり過ぎるからだ。スウェーデン銀行家協会の役員リーフ・トロゲンは、そう話している。(抄訳)

(Liz Alderman)©2018 The New York Times

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