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「仮想通貨は政治に頼らない」と言うけれど 結局、通貨と政治は切り離せない

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フェリックス・マーティンさん=西村宏治撮影

「21世紀の貨幣論」フェリックス・マーティンさんに聞く「仮想通貨の未来」 仮想通貨ビットコインは、政府の後押しのない、新しいお金として注目された。中央銀行もかかわらず、発行体も存在しない。そんな異例ずくめのデジタルマネーは、いずれ、円やドルといった基軸通貨に取って代わる存在になり得るのか。そして、国の信用を後ろ盾とする現在の通貨システムは今後どのように変わっていくのか。著書『21世紀の貨幣論』(東洋経済新報社刊)でお金の歴史を詳しくひもといた在英エコノミスト、フェリックス・マーティンさん(44)に聞いた。(聞き手・西村宏治)

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ビットコインは欠点だらけ

――ビットコインの通貨としての価値をどう見ていますか?

支払い手段としての通貨を考えたときには、使うことが効率的か、あるいはより安価に決済できるかといったことが大事になります。その面では、ビットコインのメリットは、さほど大きくないと考えています。たとえば、デジタルマネーということでいけば、英国では、すでに(タッチするだけですむ)非接触型のクレジットカードなど、現金を使わない決済が広がっています。私もほとんど現金は使いません。

 一つの取引あたりのコストを考えても、ビットコインのやり方は非効率で高くつきますし、エネルギーの無駄遣いもあります。スピードも遅い。欠点はたくさんあります。たとえば今のクレジットカードの決済とくらべてみても、そんなにいいものだとは言えないのです。

もちろん、匿名性というメリットはあります。ある人々は、プライバシーの確保に重きを置きます。ITを駆使した今の送金システムでは、どこの誰にいつ送ったかを政府などがすぐに調べることができます。そうした匿名性を重んじる人たちにとっては、ビットコインは非常に便利なものだったということは言えると思います。

 

中国・内モンゴル自治区オルドスで2017年8月、中国系企業のマイニング設備を点検する技術者(Bloomberg提供・ゲッティ=共同)

ただ、それにしても、私自身はそんなに優位性があるとは思っていません。ほかにも、非公式な送金手段はあるからです。たとえば「ハワラ」をご存じでしょうか。アラブ世界の伝統的な送金システムですが、いまでも使われています。

 国境を越えて送金するとき、送り手は、まず仲介人にお金を渡します。その仲介人は相手先の国にいる別の仲介人に連絡し、受け手にお金を渡してもらいます。この取引では最初の仲介人が、次の仲介人に貸しをつくります。仲介人どうしは、こうした取引で積み重なった貸し借りを、定期的に清算するだけです。こうして非公式に送金されていくのです。

 

――ビットコインは政府や銀行でなく、民間が発行する通貨という考え方が注目を集めました。

プライベートなお金という存在は、歴史的には目新しいとは言えません。お金の歴史を振り返れば、時の政権のお金が使いにくければ、商人たちは独自のお金を使いました。

 今だって新興国では、事業家たちは、政府の政策に懐疑的になれば、その国の通貨ではなくてドルを使おうとします。

同じようにプライベートなお金も、たびたび政府への対抗策として使われます。最近では2000年代の南米、アルゼンチンの経済危機では、地域通貨やスーパーマーケットのチェーンのクーポンなど、法定通貨に代わるプライベートな通貨として流通しました。 

フェリックス・マーティンさん=西村宏治撮影

ただし、地域通貨のようなこうしたプライベートなお金は、限られたグループ内でしか流通せず、その外では使えません。どんな人たちがに参加しているかが分かる範囲に限り、「受け取ってもらえる」という期待が成立するからです。ですから、プライベートなお金が国の力などを背景にした法定通貨に取って替わる存在になるとは言えないでしょう。それはビットコインも同じでしょうね。

 

――ビットコインは広く使われているように見えます。

確かに利用者が多いように見えますが、数百万人規模でしょう。何億の人が使っている法定通貨とくらべる規模にはありません。ごく一部の人たちがビットコインを選択しているのにすぎないのですが、世界中のインターネットの利用者という母数が大きいので大きく見えているのです。

限られたグループ内であれば、互いに知っているかどうかは重要ではありません。信頼が成り立つかどうかです。ビットコインの場合、サイトを訪ねれば、プログラムの内容から将来の計画まですべて見ることができます。そういう意味で、一部の人の間に信頼を築くことができたのだと思います。でも、その他の大勢の人がビットコインを使うかと言えば、使わないでしょうね。 

「既得権益への不満」が押し上げた人気

――では、なぜそんなに人気を得たのでしょうか。

まずは、既存の金融システムに不満な人が大量に生まれたということがあると思います。銀行がいまのように大きな力を持つようになったのは、金融自由化が進んだ1980年以降です。そして2008年の金融危機で、大きな信頼を失いました。

金融危機後の金融界に対しては、「既得権益を利用して大きな利益を上げている」といった批判が強くありました。ビットコインが生まれたのは、ちょうどその反発が大きい2009年です。

なにより既存の金融システムの中心にいた中央銀行、政府、大きな銀行などには競争相手がいなかった。ビットコインは、そうした既得権益への挑戦者として一部のグループに受け入れられたのだと思います。

しかし、仮想通貨が国などを背景にしたお金のように流通するかというと、そうは思いません。 

仮想通貨のATMから現金を取り出して見せるラスムス・ベルグ=7月、ヘルシンキ、西村宏治撮影

――なぜでしょう。

大きな問題は、中央銀行のように、お金の供給量を柔軟に決めるしくみがないことにあります。たとえばビットコインの流通量はプログラムがあらかじめ決めていて、最終的な発行総量は2100BTCと設定されています。お金の供給量がまったく動かせません。

これは紙幣の発行量を、国の金の保有量とリンクさせる金本位制などに近い。でも、金本位制のときですら、実際には金と交換できる量を超える規模の紙幣は流通していたので、まだ柔軟性はあった。ところがビットコインには、そうした柔軟性がまったくないのです。

 

――柔軟性がないと、なにが問題になるのでしょうか。

近代のお金のシステムでは、お金の流通量を動かすことで、二つの面でバランスを取っています。ひとつは商業の利便性です。技術革新や貿易の拡大などによって、お金への需要が増えたときには、お金の流通量も適切に増やす必要があります。多すぎず、少なすぎないように流通量を調節することで、お金を使われるようにしているのです。

このバランスが崩れると、決済手段として使うのにとても不便になります。お金を使いたい人が多いのに流通量が少ない状況になると、お金そのものの価値が上がります。そうするとビットコインで払おうとしても、払おうと思っているビットコインの価値が変わってしまう、ということが起こります。

もうひとつ重要なことは、お金の流通量が社会の「公正さ」のバランスを取っているということです。お金の量が動くと、社会の中にあるグループには有利に、あるグループには不利になります。そのバランスをどう取るか、決めなくてはならないのです。

――「公正さ」ですか。

そうです。需要を超えてお金の流通量が増えると、物価が上がっていきます。インフレ的な状況です。これは借金を抱える人にとっては都合がいい。逆にお金の流通量を抑えると、物価が下がります。これがデフレ的な状況で、貯蓄を持っている人が有利です。 

人の貯金も借金も増減させる金融政策

例を挙げてみましょう。私の家族の話をさせてください。

私の祖父は、大学の副学長まで務めた人物でした。それなりに豊かだったと思います。1970年代に引退しました。一方、私の父は教員で、それほど豊かとは言えませんでした。70年代のはじめ、彼は家を買うために大きな借金をしました。このふたりに何が起きたか。

のちに祖父が亡くなったとき、彼には遺産がほとんどありませんでした。親族は「どこかで隠れて使い込んでいたに違いない」と疑いました。

ところが、冷静に考えてみればそうではないのです。

彼は晩年、貯蓄を取り崩して過ごしました。ところが彼が晩年を過ごした70年代の後半、英国のインフレ率は1520%に達したのです。物価はわずか数年で3倍以上になりました。つまり彼の貯蓄は、数年で3分の1以下の価値しかなくなってしまったのです。

一方、父からみると、借金の価値が3分の1になった。おかげで大きかったはずの住宅の借金を苦もなく完済することができました。

祖父を批判した私の親族は、問題の背景に金融政策があったことを実感できてはいませんでした。多くのひとも、そんなことを意識することはないと思います。

しかし、金融政策は2030年の単位で見れば、社会のそれぞれの人に、非常に大きな影響を与えるのです。これが、私が「通貨の水準を決めることが、社会の公正を決めることだ」と言っていることなのです。 

フェリックス・マーティンさん=西村宏治撮影

通貨の公正さ、政治にしか決められない

――確かに、立場によって有利不利が大きく分かれます。

歴史的にみると、金融政策は、政治的な対立も生み出しました。古くは19世紀の米国では、農民と商人が通貨のあり方をめぐって対立しました。基本的に、農民には大きな借金を抱えている人が多かったのに対し、商人にはお金を貸している人が多かったからです。

より現代的な経済を考えると、世代間の分断が問題になるはずです。貯蓄の少ない若い世代はよりインフレを好み、貯蓄のある高齢世代はよりデフレを好むと思われるからです。

ですから、通貨の流通量を決めるには、政治的な権威というのが、非常に重要になります。なにがその社会にとって「公正」を決めるのかは、社会的な合意に基づいていなければならないからです。

王制だった時代には、社会の公正さを決めるのは国王ひとりだったかもしれません。しかし、私たちはいま間接的な民主政治の世界に住んでいますし、私は今のところ、これがベストな社会の合意形成のあり方だと思っています。

つまり、お金の流通量を決めるのも、民主的な政治による合意がもとになっていますし、その合意がベースにあるからこそ広く流通するのだと言えると思います。

 

フェリックス・マーティンさん=西村宏治撮影

――でも、仮想通貨の世界には、そうした政治がない、ということなのですね。

ビットコインで特徴的だったのは、極右に類するリバタリアンと、極左に類するアナーキストが、立場を超えてともに熱狂したことです。

まったく違うこの両者に共通しているのは、「これまでの人間の代表者を信用しない」という哲学ではないでしょうか。それが仮想通貨の政治哲学なのではないかと感じています。

ビットコインはプログラムで発行のしくみが決まっていますし、発行総量もすでに決められています。つまり、お金について「何もするな」ということです。「中央銀行という、よく分からない謎の集団が通貨の発行量を調節するより、何もしない方がましだ」という考え方なのです。分かりやすく言えば「金融政策を、あきらめる」ということなのでしょう。

これは今の政治的な局面と軌を一にしているように見えます。イタリアの五つ星、英国のEU離脱決定、トランプ大統領の誕生など、いずれもリーダーがSNSなどを使って市民に直接訴えかけており、これまで機能していた民主的な代表者を信用しない、という方向に動いているように見えます。

 

――ただ、ビットコインがそうだったように、金融政策をあきらめても、結局はうまくいかないように思います。

経済状況は常に代わります。ですから仮想通貨が広く流通するには、いずれにしても流通量を柔軟に調節する機能が必要です。それを決めるのは、簡単ではありません。ですから私は、仮想通貨がドルなどの基軸通貨に対抗するような存在になるという主張には、懐疑的です。

「人間の代表者を信用しない」という哲学がベースだとするなら、信じられるのはコンピューター、人工知能(AI)だということになります。

つまりAIが進化して、この通貨の水準をちょうどいいところに自動的に決めるプログラムができるようなことがあれば、その仮想通貨は、国が後押しをする通貨を超えて流通するのかもしれません。

もちろん、これは現段階では実現していませんし、いまのところAIで流通量を決められるという主張は疑わしいと思っていますが。

 

 フェリックス・マーティン オックスフォード大学で経済学の博士号を取得後、世界銀行に勤務。旧ユーゴスラビア諸国の紛争後復興支援に関わる。現在はロンドンの資産運用会社でエコノミストとして活動している。2014年に初の著書『21世紀の貨幣論』を出版。 

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