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ビットコインが変えたもの、変えなかったもの 買って分かった仮想通貨の理想と現実

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ビットコインを購入したときのスマホ画面。取材目的で1カ月間に限って保有を認めてもらった。

私がビットコインを買ったのは、6月20日のことだった。ニュースでもおなじみの仮想通貨。でも聞こえてくるのは、「もうかった」とか、「損した」とかいう話ばかり。だから一度、実際に手にしてじっくり考えてみたかった。それが円やドルをしのぐ「通貨」となって、私たちの生活を変える日が来るのだろうか――。

入手は簡単、でも使うのは……

ビットコインを買うのは簡単だった。

手続きを始めたのは、購入日の1週間前。スマートフォンに仮想通貨交換所のアプリをダウンロードし、そこから免許証の写真などを登録。数日後、確認用のはがきを受け取ると取引できるようになった。

44572円で、0.06BTC(ビットコインの単位)を購入。金融商品の保有には社内の規制があるが、今回は取材として認めてもらった。通貨として使ってみるためだ。

ところが、すぐに心境の変化に気づいた。なかなか使う気になれないのだ。

最初は、それまで値上がり傾向にあったので「もう少し上がらないかな」と使うのをためらった。すると逆に相場は落ち込み、初日から5日で5千円の含み損に。今度は「いずれ元に戻るのでは」と思えて使う勇気が出ない。

朝夕の相場チェックが日課になり、ようやく買い物に行ったのは、718日だった。相場の戻りを見て、東京・JR有楽町駅前のビックカメラに急いだ。SDカード(12765)0.015BTCほどで購入。専用レジで示されたQRコードを、スマホのアプリで写して支払いを終えた。あっという間だ。

結局、買い物をしたのは1度だけ。実はこれは、よく指摘される仮想通貨の問題点でもある。「ビットコインに将来はない」と説く麗沢大学教授の中島真志(60)は「値動きが激しく、通貨として使えないんです」と言う。

通貨には、価値の尺度となったり、価値をためておいたりする機能がある。だが値動きが激しいと、こうした役にも立たない。

でも、と思う。いまはそうでも、ずっとそうかどうかは分からない。

仮想通貨はビットコインが草分けだが、そのしくみを土台にした新しいものが生まれ、いまや世界で1500種類以上もある。時価総額は30兆円規模。この10年の市場の成長は、無視できない。

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そこに「思想」があった

仮想通貨の生みの親は「サトシ・ナカモト」を名乗る謎の人物だ。国籍も性別も不明のその人がビットコインの論文をネットに公開したのは、2008年のことだった。

ビットコインの考え方を発表したサトシ・ナカモトの論文。A4で8ページ=外山俊樹撮影

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従来の通貨システムでは、銀行のような信用機関を「中央」に置くネットワークを使うのが常識だった。ところがサトシは中央の機関を置かず、取引記録を参加者みんなで共有して管理するネットワークを使おうと考えた。そこで、「中央」がなくても秩序のある取引ができるように考え出したのが、取引記録をつくった人に報酬としてビットコインを発行する「マイニング」というしくみだ。

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そこまでして「中央を置かない」ことにこだわった背景には、サトシの「思想」があったと言われる。

「大臣は2度目の銀行救済の瀬戸際にいる」――。

091月、サトシによるとみられる最初のビットコインの取引記録には、英国の金融危機を伝える新聞記事の言葉が引用されている。当時はリーマン・ショック直後。金融界という「中央」に対する、強い反発が感じ取れる。

そもそもサトシが真っ先に論文を紹介した相手は、政府による監視を嫌い、暗号などを使って個人の自由を守ろうとしてきた技術者たちのグループだった。中央政府に反発し、個人の自由を重視する「リバタリアン」的な思想の持ち主が多かった彼らの中から、ビットコインを使い始める人々が現れたのだ。

彼らは当時、どんな思いだったのだろう。糸をたぐり寄せるうちに「史上初めて、仮想通貨をドルに換えた」という人物に行き着いた。

電話をすると、会ってくれるという。

行き先は、フィンランドだ。

「ビットコイン革命」の理想と現実

バルト海に面したカフェで会ったのは、ネット上のハンドルネーム「シリウス」こと、マルティ・マルミ(29)。知的で物静かな男性だった。日本のアニメも好きで、三浦建太郎原作の『ベルセルク』が一番だと言った。

「社会を変える手応えあった」マルティ・マルミ(初期のビットコイン開発者)=2018年7月、フィンランド、西村宏治撮影

マルティがネットでビットコインを知ったのは、大学生だった2009年の春。専門はコンピューター科学だが、政治の記事もよく読む多感な青年だった。「税金が高すぎるとか社会が不平等だとか、国や政府に不満があった。10代って、そうですよね?

そんな彼の目に「政府や銀行が介入しないお金」は、とても魅力的に映った。すぐにサトシにメールで連絡を取り、プログラムの改良を手伝い始めた。「社会を前向きに変えている」という喜びがあったという。

マルティが、マイニングで得たビットコインを「ニュー・リバティー・スタンダード(新しい自由の基準)」を名乗る人物に売ったのは、この年の10月だ。今なら40億円にもなる5050BTCは、わずか5.02ドル(550)。「価格なんて気にしていない。ただ、歴史に残ると思っていた」

だが、牧歌的な雰囲気は少しずつ失われていく。値上がりに目をつけた投機資金が流れ込み始めた。その後の1年あまりで、ビットコイン価格は100倍以上に急騰。このころサトシは周囲との連絡を絶ち、表舞台から姿を消した。

マルティも11年、ビットコイン開発から手を引いた。「できることも少なくなったから」。でも「脱・中央」の志は失っていない。仮想通貨のしくみを使い、政府のかわりに身分を証明するシステムの開発を続けている。

ビットコインはいま、もっぱら投資商品として買われている。誰でも参加できるはずのマイニングも、専用の設備を持つ企業が牛耳るようになった。

中国・内モンゴル自治区オルドスで2017年8月、中国系企業のマイニング設備を点検する技術者(Bloomberg提供・ゲッティ=共同)

その現実を、そして将来を、マルティはどう考えるのか。

「一部の人に力が集まるのは問題だ」。そう言って「でも」と力を込めた。「ビットコインが嫌なら、しくみをコピーすれば誰でも仮想通貨をつくれる。国や銀行以外のお金という選択肢が生まれた影響は大きいと思います」

仮想通貨の底力を知った日

そして翌日、私はその言葉を思い返すことになった。

ヘルシンキ駅から歩いて10分ほどのところにある薄暗いバー。地下への階段を下りていくと、壁に郵便受けのような箱が備えつけてあった。マルティの友人、ラスムス・ベルグ(44)が運営する仮想通貨用のATMだ。

しくみはシンプルだ。ネット上の取引所を通じて彼に仮想通貨を売ると、代金をATMから受け取れる。 試しにスマホでビットコインを売り、送られてきた暗証番号をATMに打ち込むと、ウィーンと小さな音を立てて50ユーロ札が出てきた。

仮想通貨のATMから現金を取り出して見せるラスムス・ベルグ=7月、ヘルシンキ、西村宏治撮影

単純に「すごい」と思った。これが国を越え、銀行のデータセンターのような中央の大きな設備もなく実現できるのだ。各国が「資金洗浄に悪用される恐れがある」と懸念するのも、よく分かった。

もちろん規制は世界中で厳しくなってきている。日本では、仮想通貨の口座を開くには本人確認資料が必要だ。ラスムスは「フィンランドでも、もうすぐ規制が始まる。今ほど簡単には取引できなくなるよ」と言った。

それでも、すべてを規制するのは難しいだろう。これは国境を軽々と越える技術だ。しかも「中央」がないおかげで、「ここが止まるとサービスが止まる」という弱点がない。仮想通貨は、思想だけで注目されたわけではなかったのだ。

世界最大の仮想通貨交換所だった「マウントゴックス」を率いたフランス人、マルク・カルプレス(33)も、思想ではなく技術に注目したひとりだった。2011年に同社を引き継いで事業を拡大したが、不正アクセスで数百億円分の顧客の仮想通貨を失い、14年には倒産の憂き目を見た。その彼がいま語るのは、ビットコインの意外な弱点だ。

記者の質問を受け弁護士が相談する最中、下を向くマウント・ゴックスのマルク・カルプレスCEO=2014年2月、東京・霞が関、長島一浩撮影

ビットコインの意外な弱点

7月、東京で会った彼は見違えるようだった。かつては長髪で、シャツに収まらない首回り。ところが15年に業務上横領などの罪で逮捕・起訴され、拘置所生活で35キロやせたという。進行中の公判では無罪を主張。仮想通貨の流出については、昨年、かかわったとみられるロシア人男性が欧州で当局に拘束されている。

マウントゴックスのマルク・カルプレス元CEO=7月、東京、西村宏治撮影

「交換所を引き継いだころは、ビットコインが決済ビジネスを変えると思っていました」。よどみのない日本語で言った。「ビットコインを受け入れる店舗が増えれば、それをドルや円に替える場が必要になるはず」と考えたという。

現実には、取引の決済のためにビットコインを使う利用者は、増えなかった。

マルクが指摘したのは「技術の進化」の問題だった。この10年、電子マネーやスマホでの決済サービスが充実したのに、ビットコインは抜本的な進化ができず、競争力が弱まってしまった、というのだ。

「ビットコインは、最初は実験という雰囲気でした。技術者がお互いに送りあって、いろいろ試していました」。ところが、投資家の資金が入り始めると事情が変わる。大きな変更をしようとすると、それまでのやり方で稼いでいた事業家から反対の声が上がるようになったのだ。

ネックになったのが、「中央を置かない」という思想と、プログラムの開発や改良といった運営のあり方との関係だった。

ビットコインのプログラムは、その思想を反映して、有志によって開発されている。その分、合意形成には時間がかかる。一部の開発者が運営方針に反発して、新たな仮想通貨を立ち上げる「分裂」も昨年に起きた。

「ナカモトさんが、もっとリーダーシップを取ればよかった。だけど、彼はいなくなってしまった。自分が『中央』になっていろいろ言われるのが嫌だったのかもしれません」 マルクの指摘は、私も考えていたことだった。「中央」を置かずに人間をまとめる運営なんて、簡単にできるんだろうか。

確かにネットの世界では、「中央」ではなく「みんな」で作り上げるソフトやサービスがある。代表格はウィキペディアだろう。誰もが書き込める、「みんな」でつくる百科事典サイトだ。そういうところになら、なにかしらヒントがあるのかもしれない。

そこで、ロンドンにウィキペディアの共同創設者、ジミー・ウェールズ(51)を訪ねて聞いてみた。

ビットコインをどう見ていますか?

わざわざ「サトシナカモト」とカタカナで書かれたTシャツ姿でインタビューに応じたジミーは、こう答えた。

ウィキペディア創設者のジミー・ウェールズ

「中央を置かない」システム

「仮想通貨のテクノロジーは、とても面白い。ただ、中にはウソのような説明をしてお金を集めているものもある。現状はバブルだし、注意すべきだと思う」

だからだろう。私がビットコインとウィキペディアを比べたい、と言うと「少し乱暴な比較だね。運営の方法もしくみも違う」とやんわり釘を刺された。

私も違うのは分かっていた。2001年に創設されたウィキペディアには、約300言語、4800万本以上の記事が収録されている。誰でも編集に加われるが、報酬はない。さらに記事を削除したり、戻したりする権限を持つ「管理者」など、「中央」と呼べる人たちもいる。

ジミーはこれを「最低限のヒエラルキー(階層)」と言った。「最初は分野ごとのマネジャーが必要だと思い、私が指名していた。でも、それでは規模の拡大に対応できない。そこから時間をかけ、いろんなしくみができた」。いまは管理者を選ぶ投票もあるし、争いを収める裁判所のような組織もある。

ジミーの考えも運営に影響を与えている。「権力はないけど、みんなが話に耳を傾けてくれる。英国の女王のようですね」

では、そんなジミーは、ビットコインの将来をどうみているのか。

「私は仮想通貨の世界にも統治のしくみが必要だと思っている。でも、いろんな利害関係があるから、それをつくるのはとても難しいだろう。私にも名案はない。少し、時間がかかるのかもしれないね」

それは思っていたより厳しい答えだった。けれど、ビットコインとは別の文脈で「脱・中央」を追い求めてきた人なりの重みがある言葉でもあった。

「脱・中央」か「脱・脱・中央」か

ウィキペディアは、時間をかけていまの形になった。仮想通貨が発展していくにも、開発者や利用者をどうまとめていくかという「統治」の問題は避けて通れないのだ。

では、仮想通貨はその壁をどう乗り越えようとしているのだろう。

「トップ10の仮想通貨のうち、九つには中心人物がいる。ビットコインは例外です」。

そう言うのは、チャールズ・ホスキンソン(30)。ビットコインに次ぐ規模の仮想通貨「イーサリアム」の立ち上げに携わり、いまは「ADA」という仮想通貨を手がけている。

ビットコインに次ぐ規模の仮想通貨「イーサリアム」の立ち上げに携わり、いまは「ADA」という仮想通貨を手がける、チャールズ・ホスキンソン氏=6月、西村宏治撮影

リーダーがはっきりしていれば、その個性に従った人たちが集まってくるので、合意形成はやりやすい。だが、限界もある。「リーダーは腐敗するかもしれないし、環境が変われば適性を失うかもしれない。中心を置かないのでも、リーダーに任せるのでもなく、答えはその中間にあると思う」

「脱・中央」という思想をあきらめるしかないのではないか――。

そう考える人もいる。総合商社出身で、仮想通貨交換会社DMM Bitcoin社長の田口仁(46)も、そのひとりだ。

田口が考えるのは、もはや国や銀行といった「中央」への挑戦者としての仮想通貨ではない。むしろ、銀行を含むさまざまな企業が「ミニ中央」として独自性を持った仮想通貨を発行し、利用者を囲い込む時代が来るとみる。「『脱・中央』型の運営にこだわると、誰が責任を取るのかという話になる。それでは、ビジネスは難しいんです」

仮想通貨交換会社DMM Bitcoin社長の田口仁=6月、東京、西村宏治撮影

いまの仮想通貨に加えて、責任者のはっきりした仮想通貨が生まれ、円やドルとも共存していく。それはサトシたちがめざした仮想通貨のイメージとは異なるのかもしれないが、意外と現実的な将来像かもしれない。

同じような未来図を描くエコノミストに、ロンドンで会った。『21世紀の貨幣論』を著した、フェリックス・マーティン(44)だ。

「民間に独自の通貨のようなものが流通することは、歴史的に珍しいことではないんです」と彼は言った。たとえば2002年のアルゼンチンの経済危機では、スーパーのクーポンまで通貨のように使われた。「受け入れる相手がいるなら、流通するのです」。だから仮想通貨は今後も、さまざまなタイミングで流行する可能性はある。

それでも、円やドルといった法定通貨を超える存在になるのは難しい、というのがフェリックスの見方だ。

仮想通貨 VS. 法定通貨

「通貨と政治は切り離せない」フェリックス・マーティン(エコノミスト)=7月、ロンドン、西村宏治撮影

「ビットコインは最初、『中央銀行なんて意味がない』と考える人たちに受け入れられました。米大統領選や英国のEU離脱決定などと同じで、現状否定のひとつだったのかもしれません」

ところが皮肉にも、その中央銀行の機能がないせいで、ビットコインは通貨として使われなくなった、という。

中央銀行の仕事のひとつは、世の中に流れるお金の量を調節することだ。お金を使いたい人が多いのに量が少ないとなると、お金の価値が上がる。すると、まさにビットコインを持った私のように「もっと価値が上がるのを待とう」という人が増え、使われなくなるのだ。

発行量を調節できる仮想通貨ならいいのかというと、そう簡単でもない。今度は「どれぐらい流すか」を決めるのが難しい。

たとえばビットコインの発行量をこれから何倍にも増やしたら、どうだろう。まだ持っていない人は喜ぶかもしれないが、すでにたくさん持っている人は「価値が下がってしまう!」と不満を口にするに違いない。

フェリックスは言った。「お金の量をどれぐらいにするかは、どの水準が『公平』かを決める政治問題なんです。それを決める一番いいしくみは、いまのところ間接的な民主政治ではないでしょうか」

いま、お金の量を決めているのは中央銀行だ。でも、たとえば日本銀行総裁は国会の同意を得て内閣が任命している。そうして社会の「お墨つき」を得ているのだ。

もちろん仮想通貨だって、多くの人が納得する発行量を決めるしくみをつくれれば、円やドルを超えて流通するのかもしれない。ただ、それをつくるのは民主政治なみ、あるいはそれ以上に面倒なことかもしれないが。

そして、仮想通貨はどこへいく

それにしても、お金とはなんと微妙なバランスで成り立っているのだろう。払う人、もらう人、貸す人、借りる人が、それぞれの事情でお金を使う。しかも、その中には、利害が対立する人たちがいる。

仮想通貨の運営の難しさは、利害関係が対立する中で、どう合意をつくるかにあった。利害対立が少なかった初期のビットコインでは、「中央」を置かず、個人の自由に任せる運営が成り立った。

ところが利害対立が増えてくると、個人の自由に任せるやり方は難航し、分裂につながってしまった。

フェリックスが言うように、複雑な利害関係がある社会の中で合意をとりつけるには、選挙で「中央」をつくる民主政治は、いまのところ便利な制度だと思う。そして、その合意の「お墨つき」があることが、法定通貨の強みでもあるのだ。

結局、いまのビットコインは通貨として使える状況にはなかった。ただし、仮想通貨の技術は進化している。それらがすぐに私たちの生活を変えるとは思えないが、これから先、いろんなタイプが出てきて円やドルと共存していく可能性は、小さくはない。それが取材を終えての実感だ。

720日。私は予定通り、残っていた仮想通貨を清算した。1カ月間の収支は、2千円強のプラス。この分は豪雨災害などの対応にあたっている日本赤十字社に寄付することにした。

これで、相場とにらめっこの日々ともお別れだ。損が出ず、ほっとしている自分がいる。そして、気づいた。「相場を気にせずに買い物ができるのは、ありがたいことなんだな」

お財布のなかの「円」と、それにかかわるすべてのみなさんに、感謝しよう。(文中敬称略)