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「エリートの偽善」に憎しみ、ここでも フィリピン大統領選、先頭はマルコス氏の息子

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フィリピン大統領選に立候補しているフェルディナンド・マルコス・ジュニア、通称「ボンボン・マルコス」氏
フィリピン大統領選に立候補しているボンボン・マルコス氏=George Calvelo via Reuters Connect

【前の記事を読む】「フィリピン麻薬戦争」死者6000人超、それでも支持される「俺たちのドゥテルテ」

■「強い」指導者への郷愁

「BBM!BBM!ボンボン・マルコスは国民の希望だ」

一日中頭の中でリピートされそうな軽快な曲と歌詞が響く。昨年11月に南部タグム市であった集会で、押し寄せた支援者に両手をあげてこたえる男性候補者がいた。1965年に大統領に就き、戒厳令を敷いて独裁体制をとったフェルディナンド・マルコス(1917~89)の長男ボンボン氏(64)だ。

世論調査機関パルス・アジアが今年1月に実施した世論調査によると、ボンボン氏の支持率は60%と、主要な5人の候補者の中でダントツの人気を誇る。2位で、ベニグノ・アキノ3世前大統領に近いリベラル派の現副大統領レニ・ロブレド氏(16%)らを大差で引き離している。

ドゥテルテ氏とマルコスは関係が深い。ドゥテルテ氏の父はマルコス政権下で閣僚だった。「独裁者にならなければ、マルコスは最良の大統領だった」。ドゥテルテ氏は16年の自身の大統領選の演説でこんなふうにマルコスをもちあげた。大統領になると、博物館に保存展示されていたマルコスの遺体を国立英雄墓地に埋葬し、マルコス家の悲願を実現させた。今年の副大統領選の候補としてボンボン氏と共闘するのは、ドゥテルテ氏の長女でダバオ市長のサラ氏(43)だ。

マルコス元大統領の長女アイミー・マルコス
父マルコス元大統領の遺体を英雄墓地に埋葬することを最高裁が認め、支持者らと喜ぶ長女アイミー・マルコス氏(中央)=2016年、鈴木暁子撮影

フィリピンの政治評論家リチャード・ヘイダリアンさんは「マルコス家にとってドゥテルテはいろいろな意味で都合がよかった。ドゥテルテを支持した人たちはいま、ストロングマン(強権的な指導者)の源流にいる『マルコス』を支持している。10年後、ドゥテルテは歴史的にマルコスの『前座』だったと位置付けられるのかもしれない」と話す。

彼は前座だったのか……。それほどの威力をマルコス家は持っているということか。ヘイダリアンさんはドゥテルテ後に起きることを警戒する。「ボンボンは、もちろん父マルコスでもドゥテルテでもない。いい人柄だとちまたで言われているくらいだ。でも、彼が体現するのは『マルコス家が権力の座に戻る』ということ。歴史を書き換え、父マルコスの後につくられたリベラルな基盤をなかったことにしようとするかもしれない」

ドゥテルテ大統領の長女で副大統領選に立候補したサラ・ドゥテルテ氏=2019年、鈴木暁子撮影

それにしても、なぜフィリピンの人はこれほどまでにボンボン氏を待望するのだろうか。

「父マルコスの時代、フィリピンはとても豊かな国だった」。ボンボン氏の支持者で、中部バギオで不動産業を営むジェフリー・ガルシアさん(39)はこう話す。彼が送ってくれた80万人が登録するユーチューブのリンクを見てみると、高速道路や病院、稼働直前だった原子力発電所などの公共事業を推し進めたマルコス元大統領を礼賛していた。国づくりの青写真が引き継がれなかったためにフィリピンは貧しい国になったと説明していた。

マルコスはインドネシアのスハルトとともに、人権よりも経済発展を優先する「開発独裁」の筆頭にあげられる。まるでその復活を目指す宣伝動画みたいだ。でも「しょぼいまま」の国に不満を持つ人の目には夢のように見える。「あの原発があれば今ごろ停電もなく過ごせたはずだった」「シンガポールや日本のような国になっていたはずだった」。ボンボン氏の支持者が口にするのは、美化されたマルコス時代へのノスタルジーだ。

保存展示されているマルコス元大統領の遺体
マルコス元大統領の遺体が保存展示されていた施設内部。許可を得て撮影=2016年3月、鈴木暁子撮影

ソーシャルメディアで広がる情報からは、マルコス時代の暗い過去はばっさり抜け落ちている。60年代のフィリピンは豊かだったが、アテネオ・デ・マニラ大学がウェブ上に開く「マーシャル・ロー・ミュージアム(戒厳令博物館)」によると、戒厳令をへて状況は様変わりした。マルコスの地盤の北部以外では貧困家庭が増え、政権内の汚職などで経済は悪化。61年に3.6億ドルだった国の債務は86年に282.6億ドルにまで膨らんだ。世界銀行によると73年に8.78%だったGDP成長率は、マルコス退陣直前の85年にはマイナス6.85%に落ち込んだ。

公共事業も汚職の手段になった。86年の朝日新聞を見ると、漁港開発などの円借款に携わる日本企業から数百億円ともいわれるキックバックがマルコス家にわたった「マルコス疑惑」が連日報じられている。不正蓄財への日本の加担は国会で議論され、日本の政府援助の適正なありかたを見直すきっかけになった。90年にはスイスの最高裁が、マルコス家の隠し財産3億5600万ドルがスイスの銀行にあると明らかにし、フィリピン最高裁は03年、国の財産の私物化と見て政府に没収を認める判決を出した。

マニラの大統領府近くに集まり、マルコス政権の崩壊に狂喜する市民たち
マニラの大統領府近くに集まり、マルコス政権の崩壊に狂喜する市民たち=1986年2月、マニラ、星野忠彦撮影

こうしたことへの不満から、フィリピンの人たちは86年、「ピープルパワー革命」を起こしてマルコスを国外に追放したのだと、私は理解していた。でも、フィリピンのすべての人が賛同し、納得していたわけではなかったようだ。

「マルコスが国を去った時は、ラジオを聞いて涙が出た。彼こそ最高の大統領だった」。私の友人のおばで、ルソン島北部カガヤンに住むロザリンダ・ケルビン・パスクアさん(74)はそう話した。彼女は「マルコス・ロイヤリスト」と呼ばれる筋金入りのマルコス家の支持者で、恩恵を受けたマルコス家から再び大統領が出れば「悲願がかなう」と言う。

「ピープルパワーでフィリピンの人たちは民主主義を取り戻したのではなかったんですか?」と聞いてみた。パスクアさんは「革命に集まった人たちは対抗勢力が学生を集めて反マルコスに仕立て上げたフェイク(偽物)です。私のように地方に住む人たちはあそこにいなかった」。さらにこう続けた。「メディアはすぐ『民主主義』っていうけれど、自由にも規律が必要。道にごみをぽいっと捨てない日本人にはわからないかもしれないけど、フィリピン人には規律を教える厳格なリーダーが必要。マルコスは独裁者でなくしつけが厳しい人だったのです」

■民主主義「最先端」のいらだち

マルコス元大統領が妻イメルダのために建て、現在は博物館になっている施設の内部
マルコス元大統領が妻イメルダのために建て、現在は博物館になっている施設内部には、豪華な家具やマルコス家の歴史を物語る展示がある=2018年、レイテ島タクロバンのサント・ニーニョ・シュライン、鈴木暁子撮影

ボンボン氏を支持する人たちの話から垣間見えるのは、ドゥテルテ氏と近いマルコス家のボンボン氏に政権が引き継がれることで、公共投資や麻薬犯罪の撲滅など、彼らが評価するドゥテルテ政権の政策の「継続」を求める気持ちがあることだ。

ボンボン支持者でもあるマリ・カーさんは、「フィリピンではこれまで、政権がかわるたびに政策がぶつっと途切れてきた。ドゥテルテと同じビジョンをもったネイションビルダー(国を造るリーダー)のボンボンが引き継ぐことができれば、国はさらに発展する。今回の選挙はこれからの国の運命を左右する分かれ道になる」と話した。

もう一つ、政治評論家ヘイダリアンさんの話を聞いてなるほどと思ったのは、現状を冷ややかに見るようなフィリピンの人々の視点だ。「いまあるこの社会が民主的な社会だというなら、どうぞマルコスにやらせて、直させればいいじゃないかと。多くのフィリピン人はシニカル(皮肉的)な思いを持っているように見える」とヘイダリアンさんは言う。

これまで政治を担ってきたエリート層の偽善を敏感に感じ取り、反発、さらには憎しみさえ持ったフィリピンの人たちの気持ちはわかる気がする。この20年、フィリピンでは機会は限られた人にしか与えられず、私腹を肥やすかスピード感に欠けてみえるリーダーしかいなかった。たまりにたまった不満がドゥテルテ大統領を生み、さらにマルコスの復活まで求めているのかもしれない。

マルコス元大統領の長男、ボンボン・マルコス氏を支援する日本在住のフィリピン出身の人たち=鈴木暁子撮影

ドゥテルテ氏が大統領に選ばれる前から、フィリピンでは裕福な名家がビジネスを牛耳っていると言われた。今も国会議員の8割が世襲とされる。象徴的なのはドゥテルテ氏の前の大統領のベニグノ・アキノ3世。民主化のシンボル、コラソン・アキノ元大統領の長男だ。6%台の経済成長を果たし、腐敗をなくそうと公共事業の見直しに時間をかける「グッドガバナンス(良い統治)」を進めた。だが市民が期待した貧困や渋滞の問題に迅速に対応できず、アキノ氏の愛称をもじった「ノイノイする」は何もしないという意味の俗語になってしまった。

その前任のグロリア・アロヨ氏も父は元大統領で、米ジョージタウン大ではあのビル・クリントン氏と同期。だが退任後、上院選での与党議員の得票数の改ざんや5億円以上にのぼる公金の不正流用容疑で逮捕された。さらに前任のジョセフ・エストラダ氏は「貧者のためのエラップ」の愛称で当選したが、汚職疑惑で任期途中で引きずり下ろされた。

アジア経済研究所上席主任調査研究員の川中豪さんは86年のフィリピンの民主化に感動し、フィリピンの政治から民主主義のゆくえを注視してきた。だが昨年1月、テレビを見て仰天した。米国でトランプ氏が負けた大統領選の結果を「不正だ」と考えた市民が議会に押し寄せていたからだ。「フィリピンの地方選挙でよくみる動きが、民主主義のモデルと言われた米国で起きた。いよいよだなと感じた。民主主義という制度の中で紛争を解決することに、もはやみんなが合意していない」

「モデル」となる民主国家がなくなり、世界中の人が今のままでいいのかと思い始めている。だが、クーデターで突然軍に政権を掌握されたミャンマーのような事例はそう多くはない。「民主国家だけど運営の仕方が権威主義的という国が増えている。その最先端を行くのがフィリピンだ」と川中さんは言う。

「民主主義は一つのやり方にすぎず、権威主義よりもよい結果が出る保証はない。でも、そのやり方にこそ価値がある」と川中さんが話すのを聞いてはっとした。「民主化すれば目的を果たした」と思っていなかったか。民主国家ならば、何もしなくても安心して暮らしていられると。とんだ勘違いだ。

フィリピンにも日本にも、世界中の国にもそれぞれの課題がある。その「穴」を埋めるように、立場や意見の違う人が話し合い、合意点をさぐりながら生きていく。それが民主的であるということなのだろう。こうした手間をかけるのはかなり面倒くさい。でも、それを省いた先に行き着くのはどんな社会だろう。
話し合いに参加している実感がないフィリピンの人たちは、大統領選に投票することで「変われ」という声を社会にぶつけているように見える。その背中から、私たちは何をくみ取ることができるだろう。