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先進国が問う「豊かさ」の新常識とは? ベーシックインカムと地方移住

World Now 更新日: 公開日:
フィンランドのベーシックインカム実験で受給者の一人に選ばれたユハ・ヤルビネンが制作している太鼓=フィンランド・クリッカ、宋光祐撮影

働かなくてもお金もらえるなら、働かない?

何もしなくても生活に最低限必要なお金をもらえるとしたら、人は働かなくなるのか。フィンランドが今年から始めたベーシックインカムの社会実験は、この論争に終止符を打つかもしれない。

ヘルシンキから北へ300キロ余り離れた町クリッカで暮らすユハ・ヤルビネン(39)は、1月から失業手当の代わりに毎月560ユーロ(約74千円)の現金をベーシックインカムとして社会保険庁から受け取り始めた。実験に参加する2千人の一人として、対象となる約18万人の失業者のなかから選ばれた。支給は2018年末まで2年間続く。

実はベーシックインカムでもらえる額の方が、失業手当より約100ユーロ少ない。それでもヤルビネンは、昨年末に社会保険庁から支給開始を知らせる手紙を受け取った時の喜びを口にする。「新しい人生が始まったみたいだったよ!」

失業手当と違ってベーシックインカムには何の条件もない。職を探す必要はないし、仮に働いて収入を得ても減額されずにもらい続けることができる。

子どもたちと自宅で遊ぶユハ・ヤルビネン=宋光祐撮影

ヤルビネンは看護師の妻と6人の子どもを育てている。以前は木材の窓枠をつくる会社を営んでいたが、仕事が忙しくなりすぎたことや不動産のトラブルが重なり、7年前に精神的に調子を崩して働けなくなった。会社も破綻(はたん)した。

それ以来、失業手当を受け取ってきたが、職業紹介所で担当者に職探しの活動ぶりをチェックされることに「奴隷のようだ」と感じていた。ここ数年は木の太鼓をつくって知人らに売ってきたが、収入が見つかると失業手当がもらえなくなるため、おおっぴらには働けなかった。

働く意欲はあるけど、望まないことはやりたくない。起業する資金もない。袋小路から抜け出す機会をくれたのがベーシックインカムだとヤルビネンは言う。実験が続く間に太鼓づくりをビジネスに育て、映像制作を始めることも夢見る。「ベーシックインカムのおかげでやりたいことをできる自由が得られて幸せだ」

ベーシックインカムのアイデアそのものは決して新しくはない。英国の思想家トマス・モアが1516年に『ユートピア』で貧困対策として記したのが始まりだとされる。以来、ジョン・スチュアート・ミルやバートランド・ラッセルなど名だたる思想家らが提唱してきた。米国では1960年代の終わりにニクソン政権がすべての貧困家庭に無条件に収入を保障する法律を成立させようとしたが、反対に遭い成立しなかった。

政策としての実現をはばんできたのは財源の問題に加えて、「働かざる者、食うべからず」という価値観だ。

フィンランドでも70年代から、ベーシックインカムをめぐる議論はあった。半世紀近く経って社会実験にこぎつけた今回は、無条件に配られるお金が「失業者に働く気を起こさせるかどうか」を見るのが最大の目的だ。

実験の制度設計に携わったマルクス・カネルヴァ(38)によると、背景には働き方の変化や人口の高齢化がある。15年までの統計によると、労働者全体では依然として正社員が7080%を占めるが、90年代後半からは起業する人が増えてきた。社会が高齢化するなかで、小さい規模でも個人がビジネスを始める動きが広がれば税収増につながる。

カネルヴァは「560ユーロは1カ月の生活費としては足りないが、安定した収入にはなる。そこでさらに収入を増やすために働いたり、起業などに挑戦したりするか確かめる」と話す。

ベーシックインカムの実験、カナダでも

関心は世界中で高まっている。カナダのオンタリオ州は今春、4千人が参加する社会実験の実施を発表した。働く意欲だけでなく、個人の不安やストレスがどう変化するかも調べる。米国ではカリフォルニア州の自治体やハワイ州で導入を目指す動きがある。

豊かなはずの先進国がベーシックインカムに注目するのは、終わりの見えない低成長のなかで、働くことと豊かになることが結びつかなくなっているからだ。人工知能、ロボットの台頭で仕事が消えることへの危機感も不安をあおる。

30年前からベーシックインカムの導入を訴えている英国ロンドン大学教授のガイ・スタンディング(69)は関心の高まりを爆発的と表現し、こう語った。「ベーシックインカムは決して万能薬ではない。それでも格差や不平等を解決する手段になると、多くの人が考え始めているのではないか」

地方移住 ローカルという選択

築130年超の古民家を再生して生まれた「シェアビレッジ」 photo: Nishimura Koji

「地方移住は、もうアタリマエになってきましたね。このあたりも子育て世代の移住者が増えてきましたし」

高知市から車で約1時間半。秋空に輝く棚田を望む小さな集落の集会所で、ブロガーのイケダハヤト(31)は、なにを今さら聞くのかという風だった。

イケダが東京から高知県に移ったのは3年前。それから「まだ東京で消耗してるの?」とブログの読者を挑発してきた。

会社員時代、大規模なリストラを目の当たりにしたイケダは「今の2030代前半には、『東京で大企業に入れば、一生安泰』みたいな牧歌的な考えは、さすがにないでしょう」と言う。

むしろ、東京より地方にチャンスがあると考える人たちが目立ってきている。

「危機感が強い地方では、変化を起こしやすいんです」と言うのは、岩手県遠野市などで地域おこしを担うネクストコモンズ・ラボ代表の林篤志(32)だ。

林は、地縁や血縁のつきあいが薄れ、会社にも頼れなくなったいま、新たなよりどころが必要だと考えた。そこで全国各地で価値観を共有する人が集まるコミュニティーづくりを進め、それを基盤とした新しい社会のシステムを地方からつくろうとしている。

10年前なら、無理だったかもしれません。でも今はスマートフォンとソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で簡単に人がつながれるし、仮想通貨でお金の流れもデザインできる。地方からできることが広がっているんです」

日本の地方が直面する課題を、世界的な視線で捉えようという動きもある。

10月は台湾から、経営者の団体が視察に来ました。いろいろ注目され、驚くほどです」。秋田市から車で約1時間。秋田県五城目町の役場を訪ねると、まちづくり課長の澤田石清樹(56)がそう教えてくれた。

秋田県は、高齢化率が全国トップ。五城目町も約1万人の町民の4割以上が65歳以上で、人口は2040年までに半減する見込みだ。ところが、そんな町に若手の起業家が移り住み、積極的なまちづくりに乗り出して注目を集めている。

転機は13年。廃校した小学校をシェアオフィスにしたことだった。できた当初は閑古鳥。そこに入居者第1号として東京から来たのが、教育事業を手がけるベンチャー「ハバタク」の創業者、丑田俊輔(33)だった

2013年にオープンしたシェアオフィス「BABAME BASE」(五城目町地域活性化支援センター)

「なぜ、わざわざ東京から?」といぶかる声もあったが、丑田は町を別の角度から見ていた。「人口減と高齢化は、世界の課題。それと折り合いつつどう町を残すのかも、世界的な挑戦なんです」

仕掛けたのは、発想の転換だ。たとえば人が減れば、家や土地が余る。それは「別の道に使える資産が増える」と捉えることもできる、というのだ。

15年に始めた「シェアビレッジ」では、築130年超の古民家を活用。年会費を納めると宿泊などを体験できる仕組みをつくり、年間約2000人が訪れる施設に再生した。そのノウハウは、香川県の古民家にも応用されている。

この秋には、町の中心部の空き店舗を、子どもが遊んだり大人が学んだりできる学習施設に仕立てた。名前は「ただのあそび場」。事業を担うハバタク社員の柴田祐希(24)は「東京の企業と提携し、新しい子ども向けの探究型の学習プログラムも展開していきます」と話す。

柴田はこの夏に大学を卒業したばかり。海外留学を経験し、東京での就職も考えていたが、最後に選んだのは五城目だった。「面白いひとが集まり、新しいことに挑戦している実感があるんです」

そんな雰囲気は地元にも広がりつつある。町で300年以上続く造り酒屋を営む渡辺康衛(38)は「以前は『地方には仕事がない』と言われれば、そうだと思うしかなかった。でも今は彼らが挑戦しているおかげで、この町にも、もっと可能性があると思えている」と言う。

秋田で集落の高齢化などを調べてきた国際教養大学教授の熊谷嘉隆(57)は、高齢化と人口減に対応するには、地域に残る資産や、高齢者の知恵や経験をどう生かすか、といった点が大事になると言う。

「五城目で起きていることは、それをうまく示した例。今は成長している台湾やマレーシア、タイなども将来の問題として日本の高齢化に注目している。秋田で、世界に貢献できる対策が生み出されつつあるのかもしれません」

豊かさの新たな指標を求めて

GDPに代わって豊かさを測る新しい指標づくりが、ここ10年ほど世界で相次いでいる。

経済協力開発機構(OECD)は2011年、個人の収入やワーク・ライフ・バランスなど11項目からなる「より良い暮らし指標」をつくった。担当のキャリー・エクストンは「GDPが示す量としての経済成長ではなく、その成長から誰が恩恵を受けるのか、成長の中身が問題になってきている」と話す。

フランスでは09年、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツらでつくる委員会がGDPの限界を指摘。幸福度を測る適切な指標の必要性を唱えた。東京都の荒川区は05年、「荒川区民総幸福度=Gross Arakawa HappinessGAH)」を提唱した。

GDPへの批判は、石油など資源の制約が経済成長に限界をもたらすと指摘された1970年代にも高まった。GDPの歴史に詳しいパリ・ドーフィーヌ大学教授のドミニク・メダ(55)は言う。「GDPの裏には、多く生産すること、消費することは良いことという世界観がある。指標とは単なる統計ではなく、世界が進む方向を決める『権力』なのです。誰がそのビジョンを示すのか。今はまだ過渡期です」

行き詰まりを打破するには

先進国には、行き詰まり感が漂う。

国際通貨基金(IMF)によると、2005年から10年の新興国と途上国の実質GDP成長率は、年平均で2885%。ところが先進国は、マイナス3431%にすぎない。

格差も広がる。先進国の集まる経済協力開発機構(OECD)は14年、「富裕層と貧困層の格差がこの30年で最大の水準に達している」と報告した。

「もう経済は成長しないのでは」「成長できても、格差が広がるだけなのでは」。豊かさをめぐる議論の盛り上がりは、そんな不安の裏返しと言える。

人工知能(AI)やロボットなどの新技術が、行き詰まりを打破するという楽観論もある。しかし同時に、それが人間の仕事を奪うという不安もつきない。

京都大学教授の広井良典(56)は、経済成長を最優先としない社会を模索するブームは、この200300年で3回目だと語る。1回目は19世紀半ば、農業社会が終わるころ。この時は本格的な工業化社会に入り、議論は終わった。2回目の1970年代には石油危機などがあったが、その後にグローバル化と金融の発達で成長が続き、忘れられた。

広井は、先進国の低成長などを考えると、今回が「議論の最終段階」とみる。

ただ、成長を最優先にしないとしても、社会を支える経済基盤は必要だ。ベーシックインカムも、配分する原資をどう稼ぐかの議論は避けられない。日本では、すでに巨額になっている政府の借金をどうするのかという問題も残る。

「働かざる者、食うべからず」という「常識」から抜け出すことで、逆に人間は創造的に、前向きに働ける……。そんな発想が本当に行き詰まりを打ち破るのか。実験は始まったばかりだ。