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民主主義のカギを握るのは アントニオ・ネグリに聞いた

World Now 更新日: 公開日:


――世界中で「強力な指導者」が続々と現れ、存在感を強めています。彼らの多くは欧米の価値観からは「独裁的」「強権的」と批判されながら、自国では高い人気を誇っています。

それがグローバルな現象になっていることは一目瞭然です。一般的に「ポピュリズム」と呼ばれていますが、そういう指導者の方が有権者の心をとらえ、教育できるようになっているのが今の世界です。その背景にはいったい、何があるのか。議会制民主主義や既存の政治体制が著しい危機に直面していると、私は見ています。第2次世界大戦後の政治体制を見渡しても、それはまったく新しいものといえるでしょう。

ただし、この問題を考えるとき、独裁的な指導者たちに注目しても仕方ありません。現在の政治体制がどのようなメカニズム、条件、文脈、背景のもとに築かれてきたかを分析するべきです。なぜなら、彼らは崩れかけた議会制民主主義の社会が生み出したものだからです。その社会では、民主的なやりとりはもはや機能しなくなっている。格差が広がり、少数のエリート層が社会に介入する決定的な手段を握っています。これこそが根源的な問題だと思います。

たとえば、フランスの例を見て下さい。今春、大統領に就任したマクロンは、まるで何もないところから突然、舞台に現れた登場人物のようでした。ところが、少数エリートが国家をつかさどるツールがもはや、彼の元に集中しています。それは右派と左派の党内対立のうえに起きたことです。こうした中道に政治が集約していく動きは「急進的な中道」などと呼ばれてきましたが、いまやそれに続く「中道の独裁」と言うべきものです。

――英国の研究チームが最近、14万人以上への調査から「経済的な不安定さや、強い心理的な不安を抱える人ほど、独裁的な指導者を支持する」と結論づけました。不安は強い指導者を求めてしまうのでしょうか?

昔なら、たしかにそうでしたね。でも、現代はむしろ、人々が選挙で「棄権」の方に走るようになったのではないでしょうか。かつて選挙で70%を超す高い投票率を誇ったのに、今では40%に満たないという国は少なくありません。独裁的な指導者は、けっして高い得票率を獲得して選ばれた人ばかりではありません。

経済的に不安定で、心理的にも不安を抱えている人々が途方に暮れているのは間違いありません。しかし、かつて彼らの受け皿となった左派系の政党はもはや存在しないか、あるいは、存在しても何も有効策を打ち出せない。戦後の政治状況を振り返ったとき、これは本当に深刻な問題です。

アルゼンチン出身の政治理論家、エルネスト・ラクラウは、たいていのポピュリズムは「代用」であると説きました。つまり、民意の受け皿となるものが足りていない、あるいは何もない状況では、人々は「代用」としてポピュリズムを支持してしまうのです。


――崩れかけた議会制民主主義が問題となると、じゃあ直接民主制の方がまだましということでしょうか。

たしかに理論的には、直接民主制の方がいいですね。しかし、あくまで理論上です。それに、もし実現できたとしても、そっちの方がいいとはけっして言い切れません。まず直接民主制を実現するには、いくつかの条件が必要です。それも、なかなか容易には満たせない条件が。それが満たされていない現状では、直接民主制の話をしてもあまり現実味がない。そして、なによりも直接民主制は資本主義とは相いれないと思います。

――直接民主制がうまく機能するために必要な条件とはなんですか。

まず、すべての人々が自由で平等の状態であることが条件となります。しかし、資本主義にとって、自由や平等なんて、しょせんお題目でしかありません。それに、非常に複雑な仕組みのうえに成り立っている現代社会では、通信手段や情報へのアクセスが少数のエリートに集中している。直接民主制の話を持ち出す前に、まず取り組むべきは、だれもが平等にそうした情報にアクセスできる枠組みを整えることだと思います。

――通信という意味では、インターネットやソーシャルメディアが広く普及し、コミュニケーションのツールは昔より格段に発達していますが。

たとえば、イタリアでは「五つ星運動」という、インターネットのおかげで急激に支持を伸ばしている政党があります。人気の高いお笑い芸人(ペッペ・グリッロ氏)が創設した新興政党ですが、世論調査によれば、もしかしたら次の選挙で最強の政党になるかもしれません。しかし、私が見るところ、所属メンバーたちの主張はバラバラで、満場一致でまとまれる唯一の論点は「憲法の維持」ぐらいです。本来やるべきは、憲法を維持することではなく、その価値を実現することなのに。憲法に「人々は平等でなくてはならない」と書いてあれば、その実現のために行動しなくてはならない。


インターネットやソーシャルメディアはある意味かなり機能していると思いますが、あくまでコミュニケーションをとるための手段であり、機能しているかどうかは問題ではありません。それらを通じて何を提示すればいいかを、私たちは分かっていないのです。宣伝するわけではないですが、近ごろ出した私の新著『assembly』では、ちょうどその点に触れています。ちなみに、本の表紙の絵はミツバチです。共同著者のアイデアなんですが、群れ集まる生物の象徴として使っています。まるで集会のように。そして、群れ集まるのは、何かを作り出すためです。

人間は何かを作り出す時こそ、自由が保障されていると私は思います。現在はネットやパソコンを使うことが多いせいか、何かを生産するという作業が昔に比べてとても協同的になっている。情報の中で働き、情報と共に人生を歩む。民主主義が抱えている大きな課題を解決するカギも、その辺にあるように思います。個人としてではなく、市民全体として何かを作り出す。それこそ、待ち望まれる大変革なのではないでしょうか。

――トランプ政権が誕生した米大統領選や、EU離脱(ブレグジット)を選択した英国の国民投票など、多くの人が「こうなってはいけない」とわかっていても、民意の暴走を止められなかった結果が相次ぎました。

トランプの場合は米国独特の、ある種の非直接民主制でした。国民投票は直接民主制の特徴的なツールですが、ブレグジットの場合は不平等で間接的に介入してくる力によってコントロールされていました。システムを変えない限り、トランプの登場やブレグジットなんかいくらでも起こりますよ。そして、システムを変える前に、人を変える必要がある。さらに、人を変えるためには所有権のあり方や生産システムなど、我々の日々の生活の中で「常識」になっていることを徹底的に変える必要があります。たとえば、この時代になってようやく当然なことのように見えてきましたが、ベーシックインカムの導入はその一例です。最低限の平等を保障する、これぞ直接民主制を実現する必要な条件の一つだと思いませんか。他にもたくさんありますが、なにか変わらないと、続いて何も要求できない。直接民主制はただの理想論です。そこまでいかなくても、現在の議員代表制よりももう少し直接的に有権者がかかわるシステムをつくらなくてはいけない。では、どうすればいいのか。そのためにはまず、その前提条件となる自由や平等がお題目ではなく、現実味のあるコンセプトにならなくてはならないと思います。

――5年ほど前に朝日新聞のインタビューを受けたとき、ネグリさんは「これからもし世界のどこかで新しい民主主義の革命が起きるとしたら、それはきっと米国から始まるに違いない」と語っていました。トランプ政権が誕生した今も、その考えに変わりはありませんか?

今でも、そう確信しています。米国には、現状を変えられると信じる国民のエネルギーというか、パワーを感じます。あの国は他の国とは根本的に違っている。資本主義の国でありながら、中間層も存在しているし、何かを築く自由もエネルギーもまだある。実際、2011年のニューヨーク・ウォール街でのオキュパイ運動は、極めて重要な社会運動でした。それに続いてスペインの「怒れる者たち」の運動もあったし、いわゆる「アラブの春」も起きました。「集まれ」「集合せよ」は、情報や知識の流通を解放するために権力と闘う根本的な呼びかけになりました。それはトランプ政権が誕生した今も変わっていないと思います。

――しかし現実には、米国では持てる者と、そうでない者との「対立」「分断」が進んでいます。

その対立を仕切ることこそ、民主主義の重要な役割だったのです。貧しい人や裕福な人の間をとりもって、うまくオーガナイズすること。それは、まさに闘いです。でも、現在それは不可能になってしまった。なぜなら、ネオリベラリズムはそれを徹底的に拒否するからです。組合などの集団活動から、個人主義的なシステムへと戻してしまった。個人主義では社会的な問題は解決できません。でも、そのネオリベラリズムも限界に達しているのかもしれませんね。もう弱みを見せているような気がします。あ、でも誤解しないでください。私はけっして革命家の立場に立つわけではありませんよ。

第2次大戦直後から1970年代末まで、きっと日本も同様だったと思いますが、欧米の社会はとんでもなくにぎやかで、ケインズ主義をベースにしていました。そこでは、いわば多種多様な社会団体の存在が認められ、その間に「契約」が常にありました。その中で非革命的ではありながらも、市民的な社会が築かれていった。背景にあったのは恐怖だと思います。影響力のあるエリートや経営者はソ連を恐れていた。しかし、1989年の東西冷戦終結をもって、その恐怖はなくなり、自由もなくなったのです。

――それでは、人類共通の「敵」でも現れないと、我々はひとつにまとまれないということですか。宇宙人とか?

もしかして、その「共通の敵」が現れたかもしれませんよ。トランプです。あるいは、彼が象徴する何かかもしれませんが、ある意味、彼は具現化された「悪」といえるでしょう。グローバリゼーションは最近起こった数少ない「良いこと」の一つです。そのおかげで我々は国境を簡単に越えることができるようになりました。(トランプは)それを否定するなんて。そのうえに、彼は核をつかった戦争を欲しているかのようだ。そして、この世に米国しかないように思っているようだし。まったく、どうかしています。

トランプの当選はまるで、米国の民主主義という体の中に「がん」が発覚したようなものです。でも今や、ただの「がん」です。治せるか、それで終わりを迎えるか。そのどちらかかもしれませんが、少なくとも私は民主主義の革命の兆しを感じています。

――日本を見てみると、先の総選挙では投票率(小選挙区)が戦後2番目の低さでした。政治への関心が極端に薄れているように感じられます。

それでも安倍政権は勝ちましたね。憲法を改正するつもりですね。これは非常に危ないですね。

――福島第一原発事故から6年が経ち、原発再稼働の動きが加速しています。脱原発の運動も続いていますが、日本全体を巻き込むほどの大きなうねりになっているとはいえません。

私は根っからの楽観主義者です。悲観主義者は道徳的ではないと思っているので。というわけで、期待はけっして、なくさないでください。ただし、現状を変えるために日々、努力は続けなくてはいけません。今になって、「革命」のなんたるかがわかってきたような気がします。革命とは権力を握るために起こすのではなく、体制を変えるために起こすのです。体制を変えるとは、貧困層が暮らしやすくなるように、下から体制を作り直すこと。人々はいまや政治に無関心となり、選挙で「棄権」に逃げてしまう。そして、支配階級は盲目になっています。下層で何が起きているのか、分かっていない。だからこそ、努力し続けることが必要なのです。


■アントニオ・ネグリ(Antonio Negri)
1933年、北イタリア生まれ。現代ヨーロッパを代表する左派知識人の一人。2000年にマイケル・ハート米デューク大学教授との共著『〈帝国〉』を発表。ウォール街のオキュパイ運動の参加者たちが彼の本を手にしていたことでも知られる。『マルチチュード』(04年)、『コモンウェルス』(09年)と合わせて三部作。今秋、ハート教授との最新共著『アセンブリ』を刊行。現在、パリ在住。