私は帰国子女の学生だ。
しかしそのことを誰かに明かすのは、かなり抵抗がある。
ちょっとした自己紹介で「キコク」と口にするだけで、相手の表情や態度、雰囲気がピリッと変わることが往々にしてあるからだ。
いきなり警戒レベルが一段階上げられたような居心地の悪さ。これは一体何なのだろう。
今回、上智大学に通う帰国子女数名に話を聞き、その違和感の原因を探った。
押し付けられる「キコクシジョ」のイメージ
山口実結さん(21)は、小学校1年生の7月から小学校4年生の夏までアメリカで暮らしていた。帰国した際の違和感について問うと、次のような経験を挙げた。
――日本に帰ってきたときはうまく馴染めましたか?
帰ってきたときが人間関係に敏感な時期だったし、学校が荒れていたというのがストレスでした。学校に行くのが嫌な時期もありました。
あと日本の勉強に追いつけなくて。やっぱり補習校レベルだとやっている内容が全然違いすぎると思います。日本語があんまり出てこなかった時期もあります。
――小4でも結構違いました?
英語はできるけど日本の小学校的な学力は足りていなかったので、ギャップに戸惑いました。初日に漢字テストがあったんですけど、もうぜんっぜん埋められなくて。それが悔しくて塾に通い始めました。
あと、帰国子女っていう目で見られるのが恥ずかしい時期がありました。英語、何か喋ってよって言われるのが、最初はすごく嫌で。当時周りに、自分と同じ帰国子女や外国の子などが全然いなくて、だから私が珍しかったみたい。学校の劇があったんですけど、その時に『あなたは英語喋りなさい』って先生に言われて。
――先生に?
はい。それで仕方なくしゃべった……みたいな。
――いやいやながら、という感じですか?
いやだったし、恥ずかしかった。しらけたらいやだなって。小学校には、英語の授業もあったんですよ。担任の先生とALTの先生が来て。私はそこで自動的にアシスタント係になっちゃって。特別扱いというか、押し付けられた感じがありました
帰国子女としての経験はさまざま
3歳から5年間フランスに、中学2年生から高校卒業までベルギーに住んでいた栗山美波さん(22)は、小学校で一度帰ってきたとき、帰国子女が毎年入ってくるような学校だったためか、馴染めないと感じることはなく、4年生から中学2年生まで学級代表を務めたという。
「でも同じ時期に帰ってきた友達は、いじめられたりとか、転校しちゃった子もいました。いじめられて私立に行った子とか」
成田詩織さん(22)は、年中から2年間マレーシアに、小学校1年生からそのまま香港に4年間滞在した。どちらも日本人学校に通ったというが、小学校5年生で帰ってきたときは「正直、大変でした」と言いつつ、からっと笑った。
「香港の日本人学校だったんですけど、学校にそんなに派手な子はいないし、お行儀が良くて言葉づかいもきれいな子たちばかりだったんです。それが当たり前だと思っていたので、日本に帰ってきて、授業を聞かずに廊下をガンダ(猛ダッシュ)したり給食で牛乳が空中を飛び交ったりする学校に行って、すごく疎外感を感じました。文化があまりに違って。私は別に日本語を喋れるんですけど、やっぱり変わってるんでしょうね、自分たちとは違うという感じで接されました。いじめまではいかないけど、はぶっちょみたいなのがありました」
通常カルチャーギャップというと、日本から海外に行ったときに感じるものであることが多いが、このような逆カルチャーギャップも存在する。それは、滞在年数や滞在国、帰国後の環境などによって程度の差こそあれ、多くの帰国子女が一度は経験していることと思う。
現代の逆カルチャーギャップ
ところが、帰国子女が苦しむ逆カルチャーギャップが、現代の日本社会で問題にされることはない。
公益財団法人海外子女教育振興財団によると、帰国児童生徒数は、調査を開始した1977年から右肩上がりに増え続け、92年度には1万3000人を超えた。その後はバブル崩壊後の日本経済の低迷とともに減少傾向となるが、2012年度からは再び増える傾向にある。
1990年前後は、帰国子女に社会的な関心が集まっていた。1987年にNHK総合テレビで帰国子女を主人公にしたドラマ「絆」が放送されたり、テレビ番組でたびたび特集が組まれたりした。
「絆」原作である大沢周子氏の著書『たったひとつの青い空――海外帰国子女は現代の棄て児か』によると、当時は服装や髪形、化粧などが派手な帰国子女が目立ち、言動も「日本で普通に育ってきた子」とは違う、という点が奇異の目で見られた。「ヘンジャパ」と罵られた人もいる。
一方で「絆」の番組詳細には「日本の教育や日本人の心の内にある閉鎖性の問題を描いた」とあり、帰国子女を通して日本社会のあり方を問う動きもあったようだ。
けれども現代は、留学という選択肢も身近になり、当時ほど帰国子女が珍しい存在でもなくなったせいか、そのような目線はなくなったのではないか――。一般にそう考えられているようだ。実際に、帰国子女研究の本を探しても、1990年前後は圧倒的に多いが、それ以降は急激に刊行点数が減っている。
この企画について、私がインターンをしていた朝日新聞GLOBE編集部のデスクと話していると、こういう反論も考えられる、と言われた。自分が通った、帰国子女向けの教育に特化した高校について話していたときのことだ。
「帰国子女入試とか制度も整ってきてるし、受け入れる学校も増えてきたから、帰国子女向けの学校は必要ないんじゃない?帰国子女の話があまり注目されないのも、日本が多様性を受け入れられるようになって、いまさら帰国子女なんて、問題にする話じゃなくなったからじゃない?」
その意見には、しかし首を横に振ることしかできなかった。
違う。それは違う。実際に現代の帰国子女も、話を聞けば昔と変わらない逆カルチャーギャップを感じている。制度上の受け入れ態勢があったとしても、そこで生活するうえで生きづらさを感じ続けるのであれば不十分だ。
直感的にそう反論が浮かぶ一方、「実際に帰国子女が困っているのならもっと問題になっているんじゃないの? でも実際あんまり聞かないし」と言われてしまうと、声が出なかった。
確かにそうだ。なぜ現代では問題提起がなされていないのだろう。
それを考えると、話を聞いた帰国子女たちの、取材前の対応が思い起こされた。
帰国子女による「キコクシジョ」の外在化
帰国子女の、帰国後の違和感などについて取材したいんです。そう話を持ちかけたとき、どの取材相手も一様に同じことを言った。
「私、あんまり帰国子女らしくないんですけど、大丈夫ですか?」
滞在国や滞在年数は特に指定していなかったが、話を聞くとどなたも2年から4年ほどの滞在、しかも複数回の渡航経験がある方もいるので、彼女らを帰国子女じゃないと断じる人がいるとはとても思えない。だが、あまりに同じことを言うものだから、つい気になって聞いた。
「キコクシジョらしいってなんですか?」
山口さんは、英語がペラペラで、海外に友達がいるイメージだと答えた。また、芸能人で言うなら河北麻友子さんのように、何のてらいもなく英語が口から出てくる、見た目が“パリピ”っぽい人だという。
「私はそれには当てはまらないと思うんです。ノリが違う。彼女らは海外に染まっているけれど、私はそこまでではない。でも、そうなりたいかというと、別に今のままで満足しているから良いんですよね。英語がパッと出るのだけは羨ましいなって思いますけど」
成田さんは、帰国子女には3タイプいるのではないかと分析した。
「1つは日本語日本ベースの帰国子女。2つ目は滞在国の言語や文化がベースの帰国子女。あと、どっちつかずがたまにいるかな、という感じ。2番になりきれなかったというか、アイデンティティーがはっきりしない子というイメージがあります。私は、その中で言うと日本ベースの帰国子女だと思います。どうせ帰ってくるの分かってたし。でも、一般的にキコクシジョというと2番目のタイプのことを言いますよね」
彼女らは「キコクシジョ」と自分たちは違う、ということを、いろんな観点から語ってくれた。
自分が帰国子女であるということを現在公言しているか、という質問には「隠してはいないけど、聞かれなかったら言わない」と成田さん。
栗山さんも「どういう高校行ってたの?とか昔の話を聞かれたら、一応言うようにはしてます。でも、特に今だと、就活でつつかれたら嫌だな~って(笑) 自分の半分は海外で、そこで経験したことは自分の強みなので、言えるところは言いたいんですけど……」
ところが「自分が帰国子女で良かったか」と問うと、答えはイエスだ。「日本の狭い社会では見えなかったいろいろな社会問題を実際に目の当たりにしたことで、問題意識が芽生えた」と栗山さん。社会学科でで学ぶ彼女は現在、在日外国人について研究をしている。そのきっかけのひとつに、ベルギーで見た難民の存在があったという。「ベルギーの難民政策から日本が学べることも多い。そう考えると、私個人だけでなく社会にとっても帰国子女の経験はプラスになるのではないかと思っています」
すなわち、「帰国子女」であることにはメリットがあるが、「キコクシジョ」と日本社会で見なされることはデメリットなのではないか。
私も覚えがあった。授業で質問や意見がたくさんあっても、何度も手を挙げることができないのだ。
アメリカなどでは、高等教育の場になってもいわゆる「素人質問」がたくさんある。一度カナダの大学に行った時は、授業時間の半分以上が質疑応答の時間であった。それなのに、取るに足らない質問から教授が唸るような複雑な質問までひっきりなしで、沈黙の時間がなかった。
しかし、それを日本でやろうとすると浮く。自発的な質問者がほとんどいないからだ。日本の大学では「素人質問」は恥のようで、高等な質問が思い浮かばなければそっと俯いて書き物をしたり、虚空を眺めたりする学生が多数派である。そして、その静寂の中で、帰国子女が少しでも浮いたしぐさをすると「キコクシジョだから」と思われるのがオチだ。異端者は異質な目で見られ、さらに集団内において帰国子女というバックグラウンドが知られている場合、それを原因視される。
だとしたら、帰国子女だというステータスを目立たないようにし、「キコクシジョ」と自分は違うものだと強調し、環境に適したしぐさをするほうが、より順応できる。もっとも、そもそもステレオタイプ的な「キコクシジョ」らしい性格ではない自覚もあるため、隠す必要もない。「聞かれなければ言わない」というスタンスにも深く共感した。
見えない帰国子女問題、それで良いのか
今さら帰国子女なんて、問題にする話じゃないんじゃない?
その言葉が何度も何度も反響して鳴り響く。
帰国子女は既に制度が整っているから、問題なんてないのではないか――きっと、当事者でなければそう感じる問題なのだと、改めて気づかされた。
文部科学省の「学校基本調査」によると、帰国児童生徒数はここ5年連続で増えており、年間1万2000人を超える。帰国子女入試制度など、制度的な受け入れの整備は進んでいる。けれども、彼らを取り巻く問題の根本は、心理的な障壁だ。ドラマ「絆」の時代から30年も経ったというのに、未だに障壁は残っている。なのに、そのことを帰国子女本人さえも努めて隠していく。
当事者以外は問題の存在にさえ気づきもせず、当事者も次第に環境に適応していき、どんどん見えなくなっていく。
ただ、当事者は環境に適応する前に、多かれ少なかれギャップに苦しんでいるという点は、見過ごしてはいけない。帰国した人々がそのギャップを苦に思わずに、個性そのままで適応できる社会こそが、多様性のある社会なのではないか。
みんなちがって、みんないい。
増えゆく帰国子女が個性を曲げずに受け入れられる、ニューノーマルな社会は、まだ遠い。
(GLOBEインターン 加藤あかね)