『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』は米フロリダ州に実在するモーテル「マジック・キャッスル・イン・アンド・スイーツ」を軸に展開する。世界屈指の人気テーマパーク「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」のほど近くにある、薄紫色のかわいらしい外観の宿泊施設だが、泊まっているのは観光客ではなく、家族ぐるみで住まう人たちだ。映画は定職のない母ヘイリー(ブリア・ヴィネイト、24)と2人で暮らす6歳のムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス、8)を主役に据え、彼女の目線で「隠れホームレス(The Hidden Homeless)」の日常を見据える。ムーニー自身は暮らしの厳しさなどよく実感しないまま、「マジック・キャッスル」管理人のボビー(ウィレム・デフォー、62)に厳しくもあたたかく見守られつつ、同じ境遇のスクーティ(クリストファー・リヴェラ)やジャンシー(ヴァレリア・コット、7)といたずら三昧。だが奔放な母ヘイリーの収入がいよいよゆき詰まってモーテル代も払えなくなり、ムーニーの無邪気な暮らしに危機が迫る。ウィレム・デフォーは今作でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。
マジック・キャッスルは実在のモーテルで、撮影当時も今も営業を続けている。主な子役はそろって地元フロリダ出身。ムーニー役のブルックリンこそ子役としての活動歴があるが、スクーティ役のクリストファーは今作の出演募集広告を見て応募、ジャンシー役のヴァレリアはベイカー監督が米量販店チェーン「ターゲット」の店内でスカウト。母ヘイリー役のブリアはベイカー監督がインスタグラムで見いだしたリトアニア移民と、まったくの新人ぞろいだ。特にクリストファーは2008年に生まれてこの方、人生の大半がモーテル住まいだった。それだけに、彼らの一挙手一投足は演技と思えないほどリアルに感じる。
「既存の枠組みからは外れた、路上やソーシャルメディアでのキャスティングを交ぜ込みたかった」とベイカー監督は語る。幼いクリストファーの経験は脚本に生かされたりもしたのだろうか。そう聞くと、「彼の感情を揺さぶりかねないから、そういうことはしたくない。幸い彼はもう安モーテル住まいではないけど、僕らが彼に出会った時はまだモーテルに住んでいた。彼は多くの子どもよりも確実に、いろんなものを目にしてきたよね」とベイカー監督は答えた。
今作を貫くテーマは「隠れホームレス」。ベイカー監督と共同脚本・製作を担ったクリス・バーゴッチが母の引っ越しの手伝いでフロリダを訪れた際、ディズニー・ワールドへと続くハイウェイ192号線沿いの安モーテルが軒並み、低所得層の住みかになっていると知り衝撃を受けたのがきっかけだ。ディズニー・ワールドが世界の豊かな観光客を惹きつける一方、そのチケットの数分の一の料金で泊まれる安モーテルは、サブプライム住宅ローン危機などで家を失ったり、高騰する家賃を払えなかったりする人たちの最後の手段として機能してきた。ベイカー監督は2011年ごろにバーゴッチから知らされるまで、「正直、『隠れホームレス』という表現があること自体、知らなかった。背後にある政治や状況を理解しようとリサーチを進めると、これは全米規模の問題だとわかった」と話す。
「モーテルだって1室1泊数千円するのに、なぜ安上がりなの?」と疑問に思う方もいるかもしれない。でも家を借りるにはある程度の家具を買いそろえて保証金を支払う必要があるし、米国ではクレジットカードの支払いを過去に延滞していたり、支払い金額が少なかったりすると、いい保証人がいない限りなかなか部屋を貸してもらえない現状がある。そのうえ米国の家賃水準は都市部を中心に、好調な経済を背景にとんでもなく上がっている。その日暮らしの人が仕事を求めて都市部に居ようとすると、住まいにたちまち困ってしまう。
ロサンゼルス在住のベイカー監督は言った。「ロサンゼルスも今きわめてひどい状況になっていて、ホームレスの救護施設も、手頃な住宅も足りない」。実際、私が4年前まで住んでいたロサンゼルスのアパートは、当時も年々賃料が上がって難儀したが、調べてみると、今はさらに手が出ない水準にまで高騰していた。
ベイカー監督が営業中のマジック・キャッスルで撮影を続けられたのは、オーナーも「住人」もこの問題を何とかしなければならないと思っていたためだという。「オーナーはとても心の広いすばらしい人物だし、モーテルで暮らす人たちも、自分が何に直面しているか理解していた。彼らは2008年の金融危機や、サブプライムローン住宅危機による大打撃を取り上げてもらうことで変化がもたらされれば、と願っていた。オーナーたちは地元行政やNPOと団結して状況を変えようと努力していたが、連邦政府の資金も必要だ。国の政策レベルで変えていかなければならない」とベイカー監督は語った。
マジック・キャッスルの住人たちとは今も連絡を取り合っているそうだ。「彼らはなおひどい苦境にあり、それを打破できないでいる。最低賃金が上がらず、貯金もできない。手頃な住宅が提供されない限り、この状況から抜け出せないと感じている」。米国は経済指標が総じて好調で、雇用も平均して上向いているが、「トランプに言わせれば『好調な経済』となるけれど、米国で今年、最低賃金が上がったのはわずか18州。この賃金では家族を養えない事実を見るべきだ」とベイカー監督は力を込める。
ベイカー監督には前作『タンジェリン』(2015年)の日本公開を控えた2016年12月にもインタビューした。詳しくはシネマニア・リポート[#30]にあるが、ちょうどドナルド・トランプ米大統領就任を翌月に控えたタイミングだっただけに、完成まで大詰めだった『フロリダ・プロジェクト』について、「トランプ就任後にますます大事な意味を持つ作品になる」と語っていた。そのことについて触れると、ベイカー監督は「手頃な住宅に住めない経済危機への取り組みは今もあまり進んでいない。米住宅・都市開発省は困窮する人たちに手を差し伸べ、ホームレスをなくす責務があるのに、資金が十分にゆきわたっていない。今作のプロジェクトを始めた2011~12年頃と今とで状況は変わっておらず、なお非常に重要でタイムリーな話だ。この映画の重要性は増している」と改めて強調した。
ベイカー監督は前回のインタビューで、「オバマにも取り残されたと感じ、クリントンも信用できず、何らかの変化を求める人たちがいかに絶望的になってきたか、映画界の特権層や富裕層は念頭においてこなかった。特に大手スタジオの作品は、そうした声を代弁してこなかった」とハリウッド批判も展開した。それから1年半近く、ハリウッドでは今まで以上に多様性を説く人たちが増え、「置き去りにされた層」を描いた作品も増えつつある。
「とりわけ映画やテレビで描かれるロサンゼルスは、偏っていて多様性を欠いている。それがエンターテインメントの都というものだし、そうしたハリウッド映画への国外の関心にこたえる形にもなっていた。僕はそれについてかねて落胆していたが、変化は出ている。昨年はトランプ政権に反発するような作品が出てきたし、今年はより多様な映画を見られるようになった。リベラルな業界として、変わりたい欲求はある。道のりはまだ長いけれど、今後2年ほどでどうなっていくか見ものだ」
変化の一翼は、今作も担っている。米国のインディペンデント映画界ですでに評価の高いベイカー監督だが、大予算の大作がキャンペーンにしのぎを削るアカデミー賞に今回ノミネートされたのは画期的だ。周縁にいる人たちを映画で描く大切さが広く認識されてきたということだろうか。そう言うと、ベイカー監督は「まったくもってそう願う。こうした問題に光を当てることで、人が考えるようになり、社会の風景が少しでも変わればと思っている。ささやかな一歩だけれどもね」と言った。
ただ、ベイカー監督はオスカーにからむ監督になってもなお、大手スタジオには背を向け、インディペンデント映画の世界に居続けるつもりだという。「資金的にも大変だけど、この映画で描いた人たちの大変さに比べれば何てことはないよ。自分はとてもラッキーで、恵まれていると思う」
ベイカー監督は今作を見た観客から、「この問題で自分に何ができるだろうか」と問いかけられることがあるという。「隠れホームレス」は米国だけの問題ではなく、英国など欧州でも起きている。日本も格安の宿泊施設に住む日雇いの方々は昔からいるし、都市部を中心にネットカフェを寝所とする人たちが「ネットカフェ難民」と呼ばれるようになって久しい。
「僕は政治家でも政策立案者でもないドラマ作家。だから、撮影に協力してもらった地元のNPOの人に『自分に何ができるかと問われたら、どう答えるべきだろう?』と聞いてみた。すると、『住まいは基本的な人間の権利だという、ひょっとしてみんなが忘れているかもしれない点を広めることがいかに大事か』『ホームレスをなくすため取り組む必要がある』といったことを言われた」
ベイカー監督はそう言ったうえで、こう懇々と説いた。「隠れホームレスは、気づいていないだけで、みなさんのすぐ近くにもいるかもしれない。誰にだってできることはある。必ずしも慈善的な寄付をする必要はなくて、支援活動にかかわったり、ボランティアをしたり、この状況について広めたりすることもできる。これが僕らが伝えたいメッセージだ」