――AKB48を採り入れた講義って、すぐには想像できないんですが、どんな感じなんでしょう?
私はいわゆる、ベタな「AKBオタク」ではありません。専門も比較政治学、とくに韓国政治です。でも、変わりゆく世界の中で、私たちがどのように生き延びていけばいいのか、それを平易な言葉で学生に届け、自分で「選んで、決める」キッカケを提供するのが私の仕事だと思っています。その中で行き着いた工夫の一つが、AKB48でした。
講義ではまず、学生たちにAKB48と、おニャン子クラブ(1980年代に人気を博したアイドルグループ)のビデオ映像を見せます。いずれも、仕掛け人は秋元康氏(AKB48の総合プロデューサー)です。きょとんとしている学生に、私はこう説きます。「秋元氏が世に送り出したのはアイドルではなく、一貫してプラットフォームビジネスなのです」と。
ここで言いたいのは、このビジネスを巡って社会が4層構造になっているということです。
まずお金をいちばんもうけるのは、プラットフォーム、つまり遊び場をつくった人。スマホもそうですね。
次に、遊び道具やアプリを提供した人がちょっぴりもうけさせてもらえる。そして、遊ばせてもらっているユーザーは、「課金する」ではなく、正確には課金されているわけです。
最下層は、遊び場そのものの存在も知らない人たちです。さあ皆さんは、この4層構造のうち、どこにいたいですか、と問いかけます。
――なるほど。AKB総選挙について、先生は「政治的有効性感覚を高める巧みな仕組みだ」と説いていますね。どういうことでしょうか?
ご存知の通り、民主主義の下で行われる実際の選挙は1人1票が原則です。衆院選のたびに選挙区ごとの1票の格差が問題になりますよね。
でも、自分の1票で当落が変わることなんてまずありません。しかも、候補者ごとの主張、政党ごとのマニフェストに様々な差異がある。複数の争点がある中で、自分にとって好ましい政策パッケージを一つの党がすべて代表してくれるとは限らない。
例えば、外交防衛政策は自民党がいいけど、他の政策は立憲民主党がいい、とか。とにかく、非常に複雑です。投票という行為は最もシンプルで、コストがかからない政治参加の仕組みのはず。それなのに、投票率が低いのには、それなりに理由があります。
そこで重要なのが、自分の1票で物事を左右できるという感覚、専門的には「政治的有効性感覚」です。
例えばAKB総選挙の場合、投票権付きCDの購入枚数などに応じて、1人でいくらでも投票できる。これは経済力の差などに応じて投票権に差がある「株主民主主義」や「加重投票制度」などと呼ばれるものです。
CD1枚が1千円程度だとして、200万円分で2千票。自分ががんばれば、その後の生活は破綻(はたん)するかもしれないけれど、今ある貯金をぜんぶ投入すれば、「あの娘」の順位を押し上げられるかもしれない。つまり、「推しメン」(お気に入りのメンバー)の順位を、自分の票で変えられるんだという政治的有効性感覚がビンビン刺激される。
運営側もそれを十分に分かっていて、実に巧みに設定している。彼らにとって都合の良いプラットフォーム(遊び場)なわけです。プラットフォームビジネスとはそういうものです。
――AKB総選挙のそもそもの始まりは、運営側とファンの意見のズレを解消しようという発想だったのではないですか?
もちろん、建前はそういうことになっています。お釈迦様(秋元康氏)の手のひらの上で、孫悟空(ファン)が踊っているんだと公言してしまったら、崩れてしまう。「夢の国」にいる間は余計なものが見えないようになっているものです。運営側は「夢をちょっとでも長く見させたい」わけですし、ファンも「夢をひと時でも見たい」わけです。
AKB総選挙で忘れていけないのは、ファンが選挙で選べるのは、あくまで新たに発売されるシングルCD1曲を歌うメンバーだけだということ。さらに言えば、そもそも総選挙に立候補する数百人のメンバー全体を選んだのは誰なのか。それは、運営側です。
これは、実際の選挙にも重なって見えます。
有権者が投票所で候補者を選ぶとき、候補者がすでに何人かに絞り込まれている。それは政党の仕事ですから、当然と言えば当然です。日本では、政党間で政策論争はあっても、政党内の候補者の絞り込みには一般の有権者はなかなか関与できません。
自民党の総裁選は党員も投票できますが、2012年に党員票では石破茂氏に及ばなかった安倍晋三氏が議員票で逆転し、総裁、そして総理に決まりました。選択肢の中から選ぶことと、選択肢そのものを決めることは両方とも、選ぶこと、決めることの本質と深く関わっています。
――「多数決」についても講義で採り上げていると聞きました。
今の若者たちは高校まで、「多数決」にどっぷりつかって育ってきたように見えます。意見が一致しなければ、多数決で1票でも多い方を選ぶ。いわゆる、白黒はっきりつける文化の中で育ってきているのです。それ以外にもいろいろ方法があるということをそもそも知らなければ、決め方を選ぶことはできません。
もちろん、多数決にも問題があります。例えば1位に3点、2位に2点、3位に1点と配点する「ボルダルール」など多数決以外の決定方法も考案されています。こうした分野の長年の蓄積は、『多数決を疑う』(坂井豊貴・慶応大学教授著、岩波新書)などの本で初学者でも分かりやすいかたちで紹介されています。ただ、私が思うに、多数決で白黒はっきりつけるというのは、責任の所在が分かるという良い面もある。選挙でいえば、ダメなら「そいつ」を落選させればいいのですから。
そして、人生の中では、白黒付けなくてはいけない局面がけっこう多いものです。例えば、進学する大学は1校だし、結婚相手も1人。2位以下はきっぱり諦めて、「1位」に決めなくてはいけない。そして、なによりも多数決というのはシンプルでパワフルです。そこが、人間の直感にフィットしやすいのでしょう。
――複数の政治学者から、「民主主義という政治体制に疑問を抱く学生が最近、驚くほど多い」というぼやきを聞きました。先生はどう思いますか?
たしかに、「決められる政治の方が効率的で、国民の同意が得られるならそちらの方が良い」「決定過程が不透明だったり、政治参加が広範囲になされていなかったりしても、結果が良ければかまわない」といった意見が広がっているように感じます。
でも、私は直ちに規範論に立つことはしたくありません。そう考えている人たちに、頭ごなしに「いかん」と言っても、受け入れられないと思います。そういう考え方がグローバルなトレンドになってきているのだとすれば、彼らがなぜそう考えるのか、丁寧に理由を選り分けるべきです。物事は適切に分けないと、分かりません。「分ける」と「分かる」は語源が同じですね。
日本の場合、安倍政権がこれだけ長期間、支持されて一強を保っているというのは、やはりパフォーマンスの良さもあるのでしょう。それは学生の就職活動を見ていても実感します。本当に気に入らなければ、小選挙区制なら選挙で落とすことはできる。これだけ何回も選挙で戦って勝てないのなら、それはむしろ対案を説得的に示すことができていない野党側に問題があると思った方がいいのではないでしょうか。
そうそう。私が住んでいる新潟にもNGT48というAKB48の姉妹グループができました。「おぎゆか」こと荻野由佳さんは苦労人で、AKB48のオーディションには何度も落ちたんですが、NGT48としてデビューして、昨年のAKB48総選挙では5位に大躍進。東京にリソースやチャンスがますます集中する時代ではありますが、いつでも、どこからでも世界にアクセスできるし、バリューを生み出せる。そんな「地方創生」の未来も重ね合って見えます。(聞き手・玉川透)
浅羽祐樹(あさば・ゆうき)
1976年生まれ。新潟県立大学国際地域学部教授。専門は比較政治学、韓国政治。著書に『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年)など。