エチオピア北部の青ナイル川で建設が進むグランド・エチオピア・ルネサンス・ダムが貯水を開始し、間もなく発電を始めることになった。紀元前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスによって「エジプトはナイルの賜物」と言われ、ナイル川が運ぶ肥沃な土壌や水によってエジプトは発展してきた。だが、国際的な合意なきダムの稼働は、エジプトの水利用が制限されることにもなりかねず、危機感が高まっている。
「ナイルの水は生死の問題」
アフリカ最大となるダムは、長年貧困に苦しんできたエチオピアにとっては、悲願の大規模プロジェクト。本格的に発電が始まれば、電力の国内消費を十分まかない、近隣諸国に電力を輸出することも可能になる。一方、ナイル川に90%以上の水を依存するエジプト。シシ大統領は「ナイルの水はエジプトにとって生死の問題だ」とエチオピアの動きに神経をとがらせている。
ナイル川最大の支流である青ナイル川は、エチオピアのタナ湖を源とする。下流に位置するスーダンやエジプトとの計3カ国の話し合いは、合意を得られていない。交渉を仲介する米国も、エチオピアの一方的な動きに対して援助を停止し、話し合いによる解決を目指すよう圧力を強めている。エチオピアは、治安上の理由からダム上空の民間機の飛行を禁止、ダムの稼働状況が察知されることを警戒している。軍事衝突の懸念すらもある。
エジプトは、ダムを7年間にわたって徐々に貯水するとともに、年間400億立方メートルの水をダムから放流するよう提案。これに対し、ダムによる発電を発展の起爆剤としたいエチオピアは、貯水ペースを上げたい意向で、エジプトの提案を「主権を侵害するものだ」と反発している。
植民地時代の不平等な協定
ナイル川流域の水配分は、アフリカに多くの植民地を持っていた英国がエジプトと1929年に結んだ協定と、1959年にエジプトとスーダンが結んだ協定に基づいてきた。1959年の協定では、エジプトが75%、スーダンが25%の取水権を持つと定められた。他の流域国がナイル川で開発を行うためには、エジプトとスーダンの合意を必要とする、極めて不平等なものだった。1929年の協定は、エジプトで生産された綿花を輸入していた英国の利益になるとの判断があったとされ、その他の流域国の利益は考慮されなかった。
エジプトがナイル川の水問題に危機感を抱くのは、急増する人口とも無縁ではない。2020年2月には、エジプトが中東諸国では初めて人口1億人を突破した。2019年のエジプトの人口増加率は2.0%に達しており、効果的な人口抑制策が実施されなければ、2030年までに1億2800万人に達するとの予測がある。
急がれる農業の近代化
こうした人口急増に伴い、ナイル川の河畔に広がってきたエジプトの都市や街は、ナイル川から離れた砂漠地帯に拡大し、農地にも転用されてきた。ところが、水利用の不適正な管理や政治の停滞、人口増加により、首都カイロの南西にあるファイユーム周辺などの砂漠に広がる農地は、耕作できなくなる場所が増えているという。エチオピアのダムが本格稼働し始めれば、さらに影響は深刻化すると農業関係者は懸念している。
エジプトの農業は、エンジン式のポンプでナイル川から水を引いた水路から水を汲み上げ、農地を冠水させて栽培する方式が多い。ナイル川の水を大量に使えたことで可能だった農法だが、水利用の転機を迎えた今、水を大量消費する稲作の制限や、水を効率よく使う農法への転換が進められている。
現地の日本人にも好評なモロヘイヤ
水に恵まれてきたエジプトは野菜が豊富。市場には色とりどりの野菜や果物が並ぶ。ナイル川のデルタ地帯では、稲作も盛んで、主食はパンだが、お米もよく食べられる。日本では、ご飯に味噌汁が定番だが、エジプトで日本の味噌汁のような存在なのが粘り気のある野菜モロヘイヤを使ったスープ。チキンやラムを使って出汁をとるが、現地ではウサギを使うのが一番美味しいとされている。市場では、生きたウサギがニワトリやハトと共に売られている。
こってりした料理が多いエジプトだが、このモロヘイヤのスープは現地在住の日本人にも美味しいと好評。レストランよりもエジプト人の家庭で味わうものが美味しいとの声が多い。春から夏にかけては、市場で新鮮なモロヘイヤが売られているが、乾燥や冷凍ものもエジプトでは一年中、手に入る。自宅の庭に植えたモロヘイヤが大きく育ったので、今シーズン最後となるモロヘイヤスープを作ってみた。