エジプトで2020年2月11日、人口が1億人を突破した。記念すべき赤ちゃんが誕生したのは、その日の昼食時だった。
政府当局者によると、1億人目は女の子で、ミニヤー県内の村で生まれた。名前はYasmine Rabi’e。これまで人口の伸びを刻み続けてきたカイロの同国統計局脇の巨大な人口カウンターがついに「1億」を記した。
1億人突破は確かに「人口大国」の証しとなった(訳注=中東・北アフリカ地域では最大)。しかし同時に、人口の激増による貧困の拡大や失業者の増加、さらに土地や飲み水といった生活基盤の欠乏がますます深刻化する「不安定大国」になったといえる。
1億人突破を前に、エジプト政府は人口激増による「非常事態」を発表した。大統領アブドルファッターハ・シーシも、人口激増がテロと同様に国家の安全保障上の脅威になっていると表明していた。当局者によると、人口増に歯止めをかけなければ2030年までに1億2800万人に達するだろうとのことだ。
シーシは、子どもの数は「2人で十分」と呼びかける親向けのキャンペーンを展開して人口増に歯止めをかけようとした。しかし、この種の多くの努力が水泡に帰し、同キャンペーンも失敗した。
エジプトの出生率は08年以降に上昇した。国連によると、同国では女性1人当たり3.5人の子を産み、人口の伸び率は1.8%になった。これは同国の過密な都市に半年ごとに100万人増える計算になる。 「子どもたちがどんどん増えている」。カイロのアメリカン大学講師で「Understanding Cairo: The Logic of a City Out of Control(カイロが分かる:混迷都市の論理)」の著者のデビッド・シムスは言った。「いったい彼らはどうなってしまうのだろう?」と疑問を投げかけた。
エジプトの人口問題は、同国の地理的条件からして危機的な状況になっている。なにしろ人口の95%が国土の約4%の地に暮らしている。人びとが暮らせる緑地帯はアイルランドの半分ほどの面積で、砂漠の間を縫うように流れるナイル川沿岸から河口部の豊かなナイルデルタ地帯にかけて広がっている。
そのエジプトで出生率が最も高いのが地方部だ。地方では「大家族こそ神の恵み」と言われている。高い出生率の影響はしかし、カイロ都市圏で最も顕著にあらわれている。約2千万人が暮らすこの大都市圏がますます膨らんで、周辺の砂漠地帯や農地にまで広がっているのだ。
カイロ市内の建物の屋上から見渡すと、平らなコンクリート屋根が街を埋め、そこに何百万ものパラボラアンテナが点在している。ギザのピラミッドですら住宅やホテル、ゴルフ場に三方から迫られている。このため砂漠を背景にしたピラミッドの写真を撮ろうとする観光客は、一方の側からシャッターを切るしかない。
中流階級が多く住むナスルシティー。22年の経歴をもつタクシー運転手のAhmed Abdel-Hadiは20年2月10日夜、街路にあふれる車の流れに乗っておんぼろのセダンを運転していた。突然、けたたましいクラクションが鳴り響いた。救急車が警告ライトを点滅させながらのろのろと通り過ぎていった。
交通渋滞がひどく、イラついたドライバー同士で殴り合いのけんかになることがしょっちゅう起きるようになった、とAbdel-Hadi。そのピークがラマダン(イスラム教の断食月)で、人々は日没後の食事に我先に急ぐ。
しかし、人口激増の問題はAbdel-Hadiにもある。彼は10歳から19歳まで4人の子の父だ。だが、彼は家族の人口抑制を求める政府のキャンペーンに怒りをぶちまけた。
「人的資源は大事だ。家族は、家長たる男の収入を反映している。私が何人の子どもを持つかは収入が決めるべきで、誰からも文句を言われる筋合いはない」と彼は言うのだった。
スザンヌ・ムバラクは元大統領ホスニ・ムバラク(訳注=20年2月25日、死去)の妻だが、ムバラク政権時代は先頭に立って出生率低減に取り組んだ。その成果はある程度上がった。エジプト政府の統計によると、1990年代から2000年代にかけて同国の出生率は5・2から3・0まで下がった。
しかし11年に起きた民主化運動「アラブの春」の頃から再び上昇した。理由ははっきりしないが、おそらく経済と政治の混乱、それに欧米からの産児制限に関する支援が減ったためであろう。
現大統領のシーシが率いるエジプト政府は、数千人の家族計画推進員を地方に派遣して安価な避妊具を提供している。政府の直営店ではコンドーム3個入りパックがわずか6セント(1ドル=109円換算で約7円)、避妊リングは12セント(同約13円)だ。
同国イスラム教の最高権威アズハルも政府の計画を認め、家族計画は神の禁じるものではない、と強調した。
しかし、政府の人口抑制策はほとんど口先ばかりでスローガンに見合った行動が伴っていないと批判する声も出ている。シーシの妻は家族計画で目立った動きはみせず、政府高官も公共衛生プログラムで人口問題に水を差そうとしている。
「人口爆発は国家の脅威だと私たちは毎日聞かされている」とアイン・シャムス大学の産婦人科医Amr A.Nadim。「しかし、政府が本気で取り組んでいるとは思えない」と不信感を口にした。
彼は問題点を挙げてみせた。すなわち①多様な避妊具の供給に一貫性がない②貧弱な医療研修③米政府基金の枯渇④新人医師に家族計画コースの取得を義務付けなくなった、ことだ。
あふれんばかりの人々の群れは、彼自身の活動にも影響を及ぼしている。「私は妊娠中の女性を緊急治療するよう呼び出されることがよくある。でも交通渋滞でなかなか現場にたどり着けない」と言った。
彼は「人口過剰はあらゆるものを食いつぶす」とも語った。「問題は私たちがこの人口過剰に対して真に有効な戦略を持っていないことだ」
人口が急増している他の途上国は、かろうじて問題を乗り切っている。ベトナムでは1986年の6千万人から2018年には9700万人に増えたが、増加率は1%まで減らした。バングラデシュの人口は1億6千万を超えるが、増加率はベトナムと同じレベルまで抑え込んだ。
だが、エジプトでは18ー19年の人口増加率が1.79%で、こうした国々の倍近い。国連人口基金のエジプト代表Aleksandar Bodirozaは、同国では毎年70万人以上の若者が労働市場に流れ込んでいると述べ、「これはどんな政府であっても対応が困難だ」と語った。
若者たちの住居問題も難題だ。シーシは北部の海岸に「夏の首都」を建設し、カイロの外部に新行政首都を建設するなど数々の巨大プロジェクトに取り組んでいる。
しかし、増え続ける人々の圧倒的多数はカイロや他の都市周辺の無認可居住地に移り住み、周辺の村々はベッドタウン化して農地は制御不能の開発にのみ込まれている。
貧困者への住居の提供でも、政府は無能ぶりをさらけ出していると専門家は言う。しかも貧困率は上昇している。政府自身が発表した数字でも19年夏は32.5%で、15年の27.8%から大幅に増えている。前述したアメリカン大学講師のシムスは、高止まりしている出生率は経済的な失敗の反映ではないか、と指摘。「エジプトはかつての田舎社会のルーツに向かっている。人は貧しければ、もっと子どもを持つようになるのだ」と付言した。
20年2月11日に人口1億人を突破したが、多くのエジプト人は肩をすくめるだけだった。過密都市の住民にとって「1億人突破」はニュースでもないのだ。
マーケティング代理人のAhmed Alaa(24)は日々人混みを避けたい思いにかられると打ち明けた。それで往々、ただ家にこもっていたくなるという。「混雑がそれほど常態化している。何をするにも約束が取れない。交通がマヒしている」(抄訳)
(Declan Walsh)©2020 The New York Times
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