長期政権や軍に対する抗議デモが続いているアフリカ北東部のスーダンで6月3日、恐れていたことが起きてしまった。デモ参加者が寝泊まりしていた軍本部前の拠点を治安部隊が強制排除に乗り出し、多数の参加者を殺害したのだ。
デモを主導するグループは「100人以上が犠牲になった」と主張する一方、地元政府は「犠牲者は61人だった」と説明している。だが、家族や友人らを失った民衆の憤りは大きかった。本来、人々を守るはずの治安部隊が、自分たちに牙を向けてきたからだ。
今回のデモの発端は昨年12月までさかのぼる。長期支配を続けていたバシル大統領の下で経済が低迷し、パンの価格などが高騰。不満を爆発させた国民が各地で抗議デモを起こした。
4月6日、デモ隊はバシル政権を長年支えてきた軍本部前で大規模デモを開始。軍はその5日後、クーデターを起こしてバシル氏を解任した。だが、軍はそのまま権力の座を握ったため、民衆はデモを続けた。
私が4月下旬に現地入りした時は、武器に頼らない「平和的な抗議デモ」が行われていた。デモ隊がテントを張るなどして拠点にしていた軍本部前には毎日、数万人から10万人近い人々が集結。子どもを連れて参加する親や女性だけのグループも多く、至る所で母国の将来について語り合っていた。日中の気温は40度を超えるため、仕事終わりで「夜の部」に参加する人も多かった。
軍は、デモグループや野党関係者と、今後の政権運営などについて協議を重ねた。だが、「治安の安定」などを理由に主導権を握ろうとする軍に対し、「旧体制の一新」を求めるデモグループは対立。意見はなかなか一致しなかった。
野党関係者は取材に対し、「この国には、民主的な政治体制が必要だ。だが、治安の安定には軍の力も必要なことは間違いない」とこぼしていた。
そんな状況下で、治安部隊はデモ隊を排除しようとした。軍や警察だけでなく、推定30万人が犠牲になったダルフール紛争でも暗躍した民兵組織の関与も指摘されている。世界最長で知られるナイル川に数十人の遺体が遺棄されていたことも発覚。現地在住の住民からは、手をロープで縛られたまま、川に浮かぶデモ参加者の遺体の写真がSNSで送られてきた。
事態を受けて、スーダンも加盟するアフリカ連合は、文民政権の発足までスーダンの資格を停止することを決定。隣国エチオピアなどは、軍側とデモグループなどの仲介に乗り出し、対立の解消に動いている。
だが、自国への波及を恐れるサウジアラビアやアラブ首長国連邦などはスーダン軍への金銭支援を表明するなど、周辺国の利害や思惑も複雑に絡み合っている。「第2のアラブの春」とも呼ばれたスーダンの民主化の行方は、不透明のままだ。