30年にわたって長期支配を続けてきたバシル大統領が失脚したアフリカ北東部のスーダン。民衆による抗議デモが「独裁者」を追い詰め、最後は軍がクーデターを起こした。だが、バシル氏が政権から去った後も、民衆は自由や民主化を求めて軍に対する抗議デモを続けている。現場の様子やデモを続ける国民の思いを取材した。
記者が首都ハルツームに入ったのは4月24日。現地の情報省から記者証を取得し、連日抗議デモが続く軍本部前に向かうと、3カ所の検問所があった。運営していたのは、抗議デモの参加者たち。武器などを持った不審者が入らないように、自分たちで警戒しているのだという。
現場では、太鼓をたたいたり、国旗を顔にペイントしたりした多くの若者たちが集まっていた。最高気温は42度。強烈な日差しを避けようとテントや給水所も設置され、露天商も繰り出していた。気温が少しだけ下がる夕暮れ時になると、仕事を終えた人たちも加わり、数万人でごった返した。時折、デモ隊と治安部隊との衝突で負傷者は出ていたものの、幼い子どもを連れて来る人もいるなど、平和的な抗議デモが続いているように見えた。
特設のステージでは、デモを主催する団体のメンバーらが演説していたが、それを警備するのも民衆によるボランティア。大学職員のアブドゥラ・アルムールさん(30)は「何か役に立ちたいと思って参加した。民主的な政権ができるまで続けたい」と語った。
記者と一緒に取材していたフォトジャーナリストの中野智明さん(60)を中国人だと勘違いした若者たちは、「ニーハオ」とあいさつしてきた。「日本人だ」と伝え、日本語のあいさつを教えてみると、ピースサインをしながら「こんばんは!」と連呼。「写真を撮ってくれ」と、あちこちからせがまれた。
今回の抗議デモが始まったのは昨年12月。きっかけは、物価上昇やパンの価格が値上げされたことだった。現金が不足し、銀行の引き出し額は1日5千円程度に制限されるようになり、ガソリンスタンドでは給油不足から長蛇の列ができた。デモは瞬く間に全国に広がり、経済低迷を招いたバシル氏の辞任や民主化を求める声が強まった。
4月11日、政権を長年支えてきた軍がクーデターを起こし、バシル氏を解任。事実上の軍事政権を立ち上げた。だが、国民は、バシル氏との関係が近かった軍幹部が権力の座に就くことに反発。抗議デモを続けた。
軍本部前では、大学生やヒジャブで頭を覆った若い女性の姿も目立った。抗議デモが始まった頃、バシル政権は現場近くのハルツーム大学を閉鎖したが、学生たちが大挙して抗議デモに参加する結果を招いた。
毎日のようにデモに参加しているというイスラ・ゼイダンさん(21)は「男性に比べて、女性は服装や就職、留学するのにも自由がなかった。将来世代のためにも、ここに来ている」と教えてくれた。
スーダン出身で、現在は学習院大学特別客員教授を務めるモハメド・アブディン氏は「他国に出稼ぎに行きやすい男性と違って、女性は国内にとどまることが多い。母国をより良くしたいという思いが強いのだろう」と説明する。
現地では、イスラム教徒が日の出から日没まで飲食を断つラマダン(断食月)に入り、昼間は抗議デモの参加者が減少。夜に活動が活発化しているという。スーダン軍は、デモを主催する団体や野党関係者らと暫定政権の発足に向けて協議を続けている。だが、軍側を支援するサウジアラビアなどの隣国の思惑もあり、国民が求める民主化がかなうかどうかは、不透明なままだ。