「彼女たちは歌う」展に参加したアーティストたちは、使用する手法もテーマもそれぞれ異なる。しかし私が彼女たちの作品から共通する要素として感じたのは、当たり前にみえる境界や関係性、歴史に新たな焦点を当て、あらゆる枠組みを超えて世界に対峙しようとする、決然たる態度だ。
鴻池朋子は本展では最も活動歴が長い、日本を代表する現代アーティストの1人である。現在アーティゾン美術館で開催中の個展が高い評価を得ている。鴻池は人と動物、人工と自然の領域を超える世界のありさまを、絵画やインスタレーション、自らのパフォーマンスを収めた映像などを通して表現してきた。
彼女の絵画作品にはしばしば少女の足のモチーフが現れる。人間の上半身をもたないその足は、昆虫や狼と合体し、ナイフの群れや髪の毛の渦のようなものに巻き込まれながら存在する。少女の足を立体化した作品《インタートラベラー》は、これまで鹿児島県霧島の山中や、カンザスの自然史博物館、釜山の海などあらゆる場所に出現し、周囲の風景を変容させ、特異な印象を放ってきた。
今回の展覧会では、1階から2階へと続く階段上部の窓辺にその少女が座っていた。大部分を狼の毛皮で覆われた足は絵具で汚れている。鴻池が大学時代を過ごした東京芸大という場所のオマージュとも呪いとも思える絵画の素材。人工的(アーティフィシャル)な「アート」を凌駕するかのように見える獣は、少女を喰らうのか守るのか、融合するのか。緊張と親和性を伴うこの生物は、外部と内部を隔てる窓から、訪れる人を静かに見下ろしている。
遠藤麻衣もまた、人と動物との奇妙な関係に執着した作品《私は蛇に似る:「肥前国風土記」より》を発表している。8世紀の書物である『肥前国風土記』に記された蛇と人間の女性、弟日姫子(オトヒメコ)との交わりの物語を、巨大な漫画として表現し、壁いっぱいに展開した。戦で夫が留守の間に夜な夜な女を訪れる男をつけていったところ、その正体が大蛇であったという物語で、韓国やベトナムなどアジアの多くの地域に存在する蛇婚姻譚の一バージョンである。この伝説は一方では夫を待つうちに石になった佐用姫(サヨヒメ)伝承に分化しており、異種との性交の隠微なイメージと貞淑な女性の美談という対極に遠藤は注目し、前者の描写を試みた。
遠藤は自身が影響を受けたという90年代の少女漫画の表現形態を選んだ。画面の一部に記された原文の漢字は多くの日本人には解読不可能な呪文のように映る。遠藤は伝説を脳内で自分にしっくりくる漫画に「翻訳」して、キッチュともいえる表象に置き換えている。秘事を覗き見る侍女のコミカルな表情、スクリーントーン、花模様や「はっ」「ギョ」などの漫画特有の文法が、フィクションを増幅させる。
さらに写真作品《私は蛇に似る》では、遠藤自身が蛇へと変身している。ペットのうずらを握る遠藤の射るような視線に気づく時、人と蛇との二重性と同一性が同時に浮かび上がってくる。
2階の展覧会場の中央にでんと構えた巨大な人形のインスタレーション《「あなたのために、」》。「サン子ちゃん」と名付けられたこの物体は、幼い頃からユゥキユキの家庭にあった人形に由来する。姉妹2人が巣立った後に、過保護だったユゥキユキの母親は「三女のサン子ちゃん」と呼ぶ人形に子供服を着せてかわいがっていたそうだ。常に「あなたのために」と言いながら家族の世話を生きがいとする母親。ケアする性としての母の存在は、それが善意であり社会的には「美徳」ですらあるだけに逆らうことが難しい。自身の内面を支配する「インナーマザー」と決別するために、彼女はあえて母親を誘い、この巨大な人形の服を共に編んだのだという。
人形の裏には、かつて「インナーマザー」との別れを試み、失敗した経験を表した映像がある。母を象徴する編みぐるみの人形を海に捨てに出かけたユゥキユキは、結局はそれを再び背負って自宅に戻って来るのだ。
さらに人形の「胎内」のモニターには、BL(ボーイズラブ)のキャラクターに扮したユゥキユキとその友人が映る。男装した女性たちは喫茶店で会い、屋上で口づけし、毛糸で編んだペニスをほどきあう。「好き」という声が繰り返し響いてくる。
様々なコスプレを試みた経験から、それが自身と社会の間に皮膜を作ると同時に人間の「欲望の受け皿」として機能すると分析するユゥキユキは、BLのコスプレ仲間に一種の恋愛感情を抱いたことがあるという。それは女性同士や男性同士とも異なる「BLとしての」感情だったと彼女は語る。この幾重ものフィルターによって、アイデンティティやジェンダーを超えて発生する愛の形が、白昼夢のような映像の中に漂っている。
小説や漫画を数多く書いてきた小林エリカは、現在連載中の雑誌『ちくま』の実物を壁に掲示するというユニークな展示を行った。小林は「彼女たちの戦争」というシリーズで歴史に登場する女性のポートレイトを雑誌の表紙に描き、その人物に関するエッセイを記している。マリア・スクウォドフスカ=キュリー、すなわち後に放射性ラジウムの研究によってノーベル賞を受賞するマリ・キュリーに始まり、ベルエポックのパリで人々を魅了した女優の貞奴、女性の参政権をアピールするために競馬馬に撥ねられて死んだエミリー・デイビソン、核研究で偉大な功績を残しながらも女性でユダヤ人であることにより影の存在だったリーゼ・マイトナーなど、男たちの歴史とは異なる女たちの「戦い」に焦点を当てた作品である。
過去の人物を描写しながらも、小林はまるで友人のような態度で彼女たちに「会いに」いく。料理や育児をし、恋に悩む彼女たちに寄り添い、励ますのだ。小林は彼女が尊敬するカナダの作家アリス・マンローが「女性の日常を書くことそのものがフェミニストとしての行為である」と語った言葉に共感したという。そのような姿勢が小林の作風からは感じられる。
小林が光を当てる前世紀の女性たちには、男性と同等の政治参加も、教育も、労働も、恋愛も許されていなかった。彼女たちの戦いがあったからこそ、今の私たちがあることを感謝の念とともに実感する。しかし同時に、男性研究者に業績を横取りされたり、夫に裏切られて精神を病んだり、自立心が旺盛だったがゆえに見せしめとして処刑されるといった彼女たちの不遇を見ていくと、それが過去のことには思えないのだ。いったいいつまで戦わなくてはならないのだろう。涙が出てくる。
いや、それでも私たちは戦い、主張し、説得し続けなければならない。少しでも油断したら歴史は逆戻りしてしまう。ブラック・ライブズ・マターを見れば、黒人たちの戦いは何百年も続いてきたことがわかるし、あらゆる差別の根は想像を絶するほど深いのだ。
本展に参加したアーティストたちは、あらゆる常識や伝統、「当たり前」とされる枠組みを超えて、新たな視点から世界を照射する。その勇気あるヴィジョンがオルタナティブな未来へのヒントを与えてくれる。
先人が築いた功績を引き継ぎ、地道な努力を続けると同時に、先例のないアイデアを創出することができるのがアートの力だ。アーティストたちとともに、より自由で開かれた世界を描くことはきっとできると私は信じたい。
展覧会情報
ジャム・セッション 石橋財団コレクション×鴻池朋子
鴻池朋子 ちゅうがえり
東京・京橋 アーティゾン美術館
2020年6月23日ー10月25日
展覧会情報