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「安芸の小京都」竹原の芸術祭 暮らしの記憶、アートを通じて未来につなぐ

アートから世界を読む 更新日: 公開日:
竹村京《修復されたM家の瓦》 撮影:川越健太
竹村京《修復されたM家の瓦》 撮影:川越健太

平安時代に京都の下鴨神社の荘園として栄えた竹原は「安芸の小京都」と呼ばれた。江戸時代には製塩業で栄え「浜旦那」と呼ばれる商人たちが文化や学問の振興を支えていた。酒造りも盛んで、最盛期には26軒の造り酒屋が存在した。現在は竹鶴酒造、藤井酒造、中尾醸造の3蔵が製造を続けている。(竹鶴酒造はNHKの連続テレビ小説『マッサン』のモデルでニッカウヰスキーの創始者竹鶴政孝の生家である。)

見事な景観を保ちながらもあまり観光地化されていない、穏やかな佇まいの町並みにある古民家に足を踏み入れると、かつてそこに暮らした人々の時間と空気が流れてくるように感じられる。この空間に堆積した記憶をアートを通して表現できないだろうかと思い「記憶の地層」という展覧会のテーマを決めた。

竹原市町並み保存地区 撮影:荒木夏実
竹原市町並み保存地区 撮影:荒木夏実

原爆の地、広島から

せっかく広島で展示するのだから、広島、そして日本を代表するアーティストを紹介したいと思い、出品作家の一人として、国内外で活躍し現在は広島市立大学で教鞭を執る岩崎貴宏に依頼した。明治初期に建てられ、竹原の初代郵便局だった旧上吉井家住宅に設置された《Out of Disorder (Layer and Folding)》(2018)は、黒々とした地層の断面と、鉄塔や電線、工事現場をかたどった風景が扇状に連なるインスタレーションである。

タオルやコートの裏地、綿棒やデンタルフロスなどの身近な素材を組み合わせ、土台の布地をほどいて引っ張り出した糸から地表の構造物が作られている。精緻な手仕事の繊細さと量塊のもつ迫力を併せ持つ作品だ。

地層が示す圧倒的な時間に対し、人間の世界は薄い地表の上に過ぎない。しかし、地球上の土地をくまなく制覇しようと開発に邁進する人間の果てしない欲望がそこには表れている。

岩崎がかつて筆者に語った言葉を思いだす。彼はスコットランドに留学していた時、「Out of Order」(故障中)という掲示の表現に傲慢さを感じたという。「秩序の外にある」=「壊れた状態」という思考に、原爆の破壊の歴史をもつ広島出身の岩崎は反発を覚えたのだ。

そのことが「Out of Disorder」、すなわち無秩序から生まれてくるものという発想をもつ同シリーズの制作につながった。布のほつれや糸などの目立たないもの、ゴミとして捨てられるものに光を当て、丁寧に立体物を作り上げる岩崎の仕事には、忘れられたものに愛情を注ぐ真摯な態度が表れている。

岩崎貴宏《Out of Disorder (Layer and Folding)》 撮影:川越健太
岩崎貴宏《Out of Disorder (Layer and Folding)》 撮影:川越健太

現在広島市立大学芸術学部で彫刻を学ぶ安達響(ひびき)は、岩崎と同様に地球の圧倒的な時間を感じさせる作品を、繊細な手法で表現している。《ミギワ》(2024)は岩塩を素材とした彫刻作品だ。岩塩は地殻変動によって陸地に残された海水の塩分が結晶化したものと考えられ、数百年から数億年前に形成されたといわれている。

和室のちゃぶ台と土間の台に置かれた黒、透明、赤茶、ピンクなど色とりどりの岩塩の塊からは、手や足の形を見てとることができる。それらはまるで岩から生まれ出たばかりの生命のようだ。「石の塊に内包された彫刻を発見するのが彫刻家の仕事」と語ったというミケランジェロの言葉のように、石は安達に見つけられることを待っていたに違いない。

安達にとって削り出す行為は、原石の地層と出会い、現在と過去を行き来する手段だという。時空を超えて現れた彫刻は、製塩業の歴史をもつ竹原で、自然と人の営みを示唆する。

安達響《ミギワ》 撮影:川越健太
安達響《ミギワ》 撮影:川越健太

人々の営み、思い出を元に

東京藝術大学大学院博士課程に在学するちぇんしげは、三つの作品を組み合わせてユニークなインスタレーションを展開した。旧森川家住宅と旧松阪家住宅で展示した《玄関をDumpling(ダンプリング)するには漂流なり》(2021-23)は、ちぇんしげと下宿先の大家「初子さん」との食を通じた思い出を元にした作品である。

80歳を超えた初子さんは、ほぼ毎日夕飯を作って玄関に届けてくれたのだという。ちぇんしげはそれを毎回写真に撮って記録した。食を通じた2人の交流は、初子さんが病に倒れて亡くなるまでの約1年間続いたという。今回の展示では、プリントアウトした夥しい数の料理の写真を横長の板に貼り付けた。

ちぇんしげの思考を元に描かれた絵画の中に白いメモ書きが貼られている。「今日はすきやき」「ナベ使ってください煮物入」「太まきすし夜まめまきます ピーナツおいておきます」。特徴ある手書きの文字は、初子さん直筆のメッセージだった。ちぇんしげの絵画の一部となった文字は、住宅の歴史と響きあい、この場所で繰り返されてきた人の営みを想像させる。

ちぇんしげ《玄関をDumpling(ダンプリング)するには漂流なり》 撮影:川越健太
ちぇんしげ《玄関をDumpling(ダンプリング)するには漂流なり》 撮影:川越健太

東京藝術大学の4年生である島村凜は、竹原町並み保存地区に住居や職場をもつ人たちへのインタビューを元に制作した映像インスタレーション《追憶の住むところ》(2024)を旧松阪家住宅に展示した。東京オリンピック(1964年)の頃に小学生だった住民が、当時盛んだったお祭りの様子や、松阪家の庭に入ってしまったボールを取りに行った思い出を語る。1982年にこの地域が町並み保存地区に選定されて以来、子供時代の遊び場が特別な場所に変わったことへの寂しさが、彼女の言葉から感じられる。

古い家を修繕して住みながら、竹原の空と海をテーマにした作品を制作する陶芸家。廃れていく祭りを継承し、町の活性化のために花火大会を企画する飲食店の主人。一人ひとりの発言からこの土地への愛情が伝わってくる。同時に、住民が発する「消滅可能性都市」という言葉が、住民が見つめる厳しい現実を示している。

「このままずるずるね、時代の流れのままに消滅していくんじゃ悔しいからですね。できることをやりたいなという気持ちはあります」。そう語る男性の言葉には、ノスタルジーと諦念、それでも前向きに取り組もうとする意志が混在する。

島村凜 《追憶の住むところ》 撮影:川越健太
島村凜 《追憶の住むところ》 撮影:川越健太

同じく東京藝大4年の百崎楓丘(ふうか)は、ジェンダーなどの個人的特性から解放された身体の可能性を探る写真作品を制作している。今回は新作として、竹原に住む5家族を撮ったポートレイトの作品《皮膚の記憶ー竹原の家族とともに》(2024)を発表した。

4代続く葡萄農園を営んできた3世代家族、就職を機に移り住んできた夫婦、セカンドライフとしてカフェを営む夫婦。さまざまな家族のカラー写真と、重ね合わせた家族の手を写したモノクロ写真を二双一対にして畳の上に立てた。

各々の家族の個性を見せる肖像写真とは対照的に、手の写真には匿名性と抽象性が感じられる。そこに個や時代を超える身体や感情の存在(ありか)を探る作家の関心が表れている。

百崎楓丘 《皮膚の記憶ー竹原の家族とともに》 撮影:川越健太
百崎楓丘 《皮膚の記憶ー竹原の家族とともに》 撮影:川越健太

ヨーロッパとも出会う

竹村京はドイツでの15年間の滞在を経て、現在日本を拠点に国内外で活躍するアーティストである。刺繍を用いた繊細な表現を通して記憶にアプローチする作品を制作する。本展では3軒の住居を舞台に意欲的な新作を発表した。

大正時代、かつて森川家の塩田のあった土地に移築された旧森川家住宅では、屋敷に残されていた瓦を使った作品を土間の梁に吊った。薄布で包み、欠けた部分を補修するように蛍光絹糸で刺繍を施した作品は、竹村が続けている「修復シリーズ」の新作である。

ブルーライトで照らされた瓦をオレンジ色のアクリル板を通して見ると、絹糸で縫われた部分が蛍光色に光る。金継ぎを思わせる竹村の技法は、失われたものの存在に光を当て、過去の記憶を呼び起こす。

制作過程において、竹村は瓦を吊る針金がすぐに錆びてしまうことに気づき、金属の素材選びに苦心した。錆びの原因は瓦を何度洗っても落ちない塩の影響であることがわかった。竹原の塩の痕跡は、作品を通してその存在を示していた。

竹村京《修復されたM家の瓦》 撮影:川越健太
竹村京《修復されたM家の瓦》 撮影:川越健太

竹村が古い写真を元に制作した《Mother and Son》(2024)を展示した旧吉井家住宅は、元禄4年(1691年)の建築で、竹原に現存する最も古い町家である。竹原一の商人の邸宅として、塩浜の見回りに訪れる広島藩主のための御成座敷が残っており、海運で活躍した北前船(きたまえぶね)の船乗りたちが宿泊した記録も存在する。

土間の暗がりの中で、梁に吊られた白い薄布が自然光で照らし出され、白い絹糸で刺繍された和服姿の人物像が浮かび上がる。それは吉井家13代目の当主吉井章五の妻ナヲと息子の耕一の姿である。最初の夫が若くして急逝した後、ナヲは分家から本家に養子入りした吉井章五と再婚し、跡取り息子の耕一をもうけた。

白い影のような肖像は、2人の母子の絆を超えて「家」や「血族」という普遍的テーマを想像させる。

竹村京《Mother and Son》 撮影:川越健太
竹村京《Mother and Son》 撮影:川越健太

さらに竹村は、和室に置かれた獅子型の香炉を薄布で包み、欠けた耳の部分を光る絹糸で縫って「修復」した。御成座敷の床の間に飾られていたという獅子は、吉井家の長い歴史と人間模様を見てきたに違いない。

竹村京《修復されたY家の獅子》 撮影:川越健太
竹村京《修復されたY家の獅子》 撮影:川越健太

竹村の別のシリーズの一つに、時間と偶然のできごとの重なりをテーマにしたトランプの作品がある。本展では頼惟清(らいただすが)旧宅の茶室を舞台に新作を制作した。頼惟清(1707-1783)は、幕末の思想に影響を与えた歴史書『日本外史』を執筆した頼山陽の祖父である。3人の息子春水、春風、杏坪は全員学者になり、後に「三頼」と呼ばれた。

竹村は惟清の生まれた1707年に着目し、同年にロンドンで作られたトランプの複製品を入手した。オリジナルは、スペイン継承戦争でフランス軍を破る功績をあげたマールバラ侯爵の戦勝記念として発行されたものだった。

さらに、竹原で出会った人々に現代のトランプを一枚引いてもらい、そのカードのマークを数字の分だけ薄布に刺繍した。それをイギリス製トランプの上に重ねることによって、かつてヨーロッパで起こった出来事と竹原の人々の行為が偶然に出会うのである。

武士も刀を預け丸腰で臨んだ茶室は、政治的密談の場でもあった。遠いヨーロッパの戦争と惟清の時代、そして竹原の今が重なり、一期一会のゲーム(あそび)になる。

竹村京《Playing Cards In R. Familyʼs Tea Room》 撮影:川越健太
竹村京《Playing Cards In R. Familyʼs Tea Room》 撮影:川越健太

作品がつなぐ過去と未来

本芸術祭の特徴である、一軒一軒の住居が放つ強い力(オーラ)は、作品展示を難しくする要素にもなりうる。しかし、アーティストたちは真摯にその空間に対峙し、かつてそこに居た人の存在を感じつつ新たな物語を紡いでいった。今を生きるアーティストの作品を通して、見えないもの、忘れられた記憶が浮かび上がり、過去と現在そして未来がつながる。

竹原は日本の他の多くの町と同様に、少子高齢化とそれに伴う人口減少の困難に向き合っている。しかし町の生命とは「現在」だけではなく、長い歴史の中にあるのではないか。塩田の風景、浜旦那たちの心意気、文化を重んじる気風。竹原の歴史を知るほどに、その魅力は増していく。本展覧会が町に光を当てる一つのきっかけとなっていたらうれしい。

連載終了のごあいさつ

今回で連載は終了となります。皆様がアートと社会の関係に興味をもってくださるきっかけになっていたらうれしく思います。これまで読んでくださった方々には心よりお礼申し上げます。