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アート=アクティビズム 「ドクメンタ15」にみる社会変革目指すアーティスト

アートから世界を読む 更新日: 公開日:
屋内の展示会場の様子の写真。前に段ボールで作られた赤い戦車があり、白く字が書かれている。その後ろには大きな女性の顔の絵。
「タリン・パディ」の展示風景(画像はすべて筆者撮影)

インドネシアのアート集団 脱「西洋中心」を宣言

「ドクメンタ15」のディレクターはインドネシア出身のアート・コレクティブ(集団)の「ルアンルパ」である。ヨーロッパの由緒あるドクメンタのディレクターとして初のアジア人かつ初のアーティスト集団である。

ルアンルパは2000年にジャカルタで結成され、急速に都市化の進むインドネシアの進行形の問題などを中心に、展覧会やリサーチ、ワークショップや出版など、ジャンルや手法を横断する活動を行ってきた。

彼らの思考が前面に示された「ドクメンタ15」のテーマは「ルンブン」。インドネシア語で「米蔵」を意味する。

それはインドネシアの田舎において将来に備えて米を貯めておく倉庫であり、地域が共有する財産として使われてきた。この精神に基づき、予算や知識、アイデアを公平に分かち合い、持続可能な環境と社会、経済を「コミュニティ」をベースに構築することがドクメンタの目標として掲げられた。(注1)

壁ほどの大きなバナーに、様々なメッセージが書かれている写真
(画像1)ルアンルパがインドネシアのコレクティブ「セルム(Serrum)」「グラフィス・フル・ハラ(Grafis Huru Hara) と共に行う実験的学びの場である「グッスクル(Gudscul)」のバナーには、「友達を作る」「友から学ぶ」「知識をシェアする」など、「ルンブン」のスピリットが書かれている。

このルアンルパの宣言は、パンデミックが露わにした人々の経済格差や、気候変動に表れる環境問題など、資本主義経済の行き詰まりを感じる現代社会の問題意識と共鳴するものだ。

参加者の多くがグループとして活動するアーティスト・コレクティブであり、「個」として突出した能力を競い合うアートマーケットや通常の国際展のイメージを覆す内容だった。ドクメンタの公式ガイドブックに詳細に記されたルアンルパの制作方針やプロセスを読むと、その挑戦的とも取れる態度は明快である。

「知識や歴史や芸術に関する西洋的”中心性”をどう反中心的なものに解体できるか」「グローバルなアート界のモデルに合っていないが故に見えないものとされている、多様なアートの実践や作品が存在する」「単なる個人的表現の追求や単体として展示されるための作品、あるいは個人コレクターや権威的美術館に売る作品ではなく、それぞれの環境で異なる現実社会において機能する作品が存在する。それを読み取り、理解することが必要だ」。(注2)

ヨーロッパを代表する芸術祭のディレクターとして招かれながらも、西洋中心に形成されてきたアートの価値を脱構築しようとする宣言は堂々たるものである。

そしてルアンルパが他の多くのコレクティブと共有する反資本主義的態度は、行きすぎた資本主義によって搾取されてきた「グローバルサウス」からの声として響く。

さらに彼らの母国インドネシアの歴史を振り返れば、300年以上に渡ってオランダの植民地であり、第二次世界大戦中は日本軍に占領され、さらに冷戦以降は1998年まで30年続いたスハルト政権の反共政策の下、表現の自由が徹底的に弾圧された国であり、抑圧への抵抗が彼らの根底にあることは十分理解できる。

地面に大小や色とりどりの玉が置かれ、少年が座り込んで遊んでいる
(画像2)グッスクルの展示スペースには子供の遊び場が多く用意されている。

不健全な「食」への警鐘、抑圧への抵抗に連帯

出品された作品の数々にも、地域のコミュニティとの連帯が表現されていた。

バングラデシュの「ブリット・アーツ・トラスト」(Britto Arts Trust)は、2009年から多くのアーティストに呼びかけ、バングラデシュ国内の異なる民族が住む田舎を訪れて彼らの芸能とアートのコラボレーションを行ってきたが、今回映像インスタレーションの《再訪(Re-Visit)》(2021-2022)において、周縁地域を再度訪れ、伝統芸能や料理のレシピを記録し、現在地域が直面している環境破壊や土地の権利の問題を明るみにした。

「食」はブリットが今回特に着目したテーマで、磁器や金属、布で作った食べ物を陳列したバザール風の展示では、グローバル市場の要求に答えるために、地元の農業が旬やオーガニックとは程遠い不健全な食物作りを行っていることへの警鐘を鳴らした。

バナナなど果物屋の店先だが、すべてが白黒になっている写真
(画像3)ブリット・アート・プロジェクト《地元の市場とスーパーショップ(Local Bazaar and Super Shop)》

タイの「バーン・ノーク・コラボレイティブ・アーツ・アンド・カルチャー」(Baan Noorg Collaborative Arts and Culture)はカラフルなスケートボードのランプをもつ広場を作り、スケートを楽しむ子供たちで賑わっていた。

《牛乳を撹拌する; 物の儀式(Churning Milk; the Rituals of Things)》(2022)と題されたこの作品では、バーン・ノークの故郷であるノンポが1950年代の終わりに稲作中心の農業から酪農に政策転換した歴史を踏まえ、人と牛の伝説を交えた物語を展開させる。

さらに、ドイツとノンポの酪農家を結び、後継者の不在など現在の酪農が共通して抱える問題について議論を行っている。政治、伝説、進行形の社会問題をスケートボーダーのアクションが「撹拌」する作品だといえるだろう。

(画像4)バーン・ノーク・コラボレイティブ・アーツ・アンド・カルチャー《牛乳を撹拌する; 物の儀式》

「コミナ・フィルム・ア・ロジャヴァ」(Komîna Fîlm a Rojava)は、シリア北部のクルド人を中心としたロジャヴァ自治区の映画製作者たちによって、地域の映画文化振興のために結成された。今回このコレクティブは自分たちによる作品の他、クルドの映画史を紹介する映像を選んで上映している。

最も心を奪われた作品はシェロ・ヘンデ(Şêro Hindê)監督による 《孤独な木々(The Lonely Trees)》(2017)だ。クルドの民族歌謡を歌う名人たちの圧倒的な歌声と、その伝統についての語りを、美しい草原の景色と共に紹介する内容だ。

音楽家のメフムード・ベラズィー(Mehmûd Berazî)による洗練された音響効果とともに、歌の世界に引き込まれる。

長い迫害の歴史に加え、現在もシリアのアサド政権による弾圧を受ける地域において、失われゆく少数民族の文化を映像に記録し、さらには映画学校を作って若い映画作家を育てる努力をするコレクティブの使命感に感動する。

(画像5)コミナ・フィルム・ア・ロジャヴァが上映する映画の一つシェロ・ヘンデ監督《孤独な木々》

インドネシアのコレクティブ「タリン・パディ」(Taring Padi)の展示会場の建物ハレンバード・オストの庭には、夥しい数のダンボール製の人形が地面に突き立てられていた。

これらは2021年から2022年にかけてタリン・パディがインドネシアやドイツ、オランダやオーストラリアの町を訪れ、子供から移民、農民に至るあらゆる層のコミュニティとのワークショップを通して作られたものだ。「差別をやめろ」「重婚反対」「移民を選んだわけではない」「平和と自由を」など、思い思いのメッセージが書かれている。

「インドネシアの影絵人形芝居(ワヤン・クリ)の伝統を社会正義を求めるアクティビストたちの活動と身近なエンターテイメントにまで解体した」と作品解説にあるように、市井の人々の切実な思いが伝わってくる。一方でカラフルかつ素人さと親しみやすさをもつ表現は、遠足で訪れていた小学生たちを楽しませていた。

(画像6)タリン・パディ《ダンボールの人形(Cardboard Puppets)》

さらに建物内には、巨大なバナー作品を中心にタリン・パディの作品の数々が展示されていた。油彩画や木版画、緻密なペン画やオブジェなど、その勢いに圧倒される。

「現代美術」とは異質な印象 「民衆と共に」の姿勢徹底

民衆の苦しみと為政者への批判をわかりやすく描いたタリン・パディの作品群は、いわゆる「現代美術」の印象とは異質である。表現の自由が奪われたスハルト政権崩壊直後の1998年に結成されたコレクティブの目標は、政治の腐敗や社会の不正に対して民衆と共に声をあげることなのである。(注3)

今回、メイン会場であるフリデリチアヌム美術館前の庭に展示されたタリン・パディの巨大なバナー作品《人民の正義(People’s Justice)》(2002)の中に、ユダヤ人への差別的な表現があったとして「反ユダヤ主義」だと断罪され、作品が覆い隠された後に撤去されたことが大きなニュースとなった。(注4)

タリン・パディはステートメントにおいて多くの人を傷つけたことを謝罪し撤去を決めたことを伝えながらも、「反ユダヤ主義」の意図は全くなかったことを強調し、改めて民族、人種、宗教、ジェンダーとセクシャリティを問わずあらゆる人々を尊重するグループであると述べる。さらに《人民の正義》はスハルトの軍事独裁によって暴力と検閲が横行した時代への批判であり、反共の名の下に1965年に50万人以上の人々が虐殺された歴史を暴くものであると説明する。(注5)

ハレンバード・オストの展示会場にも1965年の虐殺を詳細に記す作品があった。

長文の英語の説明文を写真に撮ろうとしたところ、熱心に読んでいる観客がいたので「ちょっと撮らせてください」と声をかけたことがきっかけで何気ない会話が始まった。彼はオランダ人だという。

日本の太平洋戦争中のインドネシア侵略の話をすると、彼はいかにオランダが長くインドネシアを植民地支配し、戦後も手放そうとしなかったかを批判した。こんな対話が見る人の間で生まれることがタリン・パディの作品の力ではないだろうか。

マスメディアを通して湧き上がった「反ユダヤ主義」の話題に反して、会場の雰囲気はリラックスしており、冷戦下で起きたインドネシアでの悲劇に関心をもってじっくりと展示を見る観客が多かった。

(画像7)タリン・パディの会場風景

その他にも、ロマ民族の作品を展示する「Roma MoMA」を企画したハンガリーの「オフ・ビエンナーレ・ブタペスト(OFF-Biennale Budapest)」(画像8)、絵画を通してオーストラリアにおける先住民の土地の権利を表明するアボリジナルのアーティスト、リチャード・ベル(Richard Bell)(画像9)、難民の置かれた厳しい現実を表現するデンマークの「トランポリン・ハウス(Trampoline House)」(画像10)、ニュージーランド先住民のLGBTQ+の人々のドラァグ・ショーの映像やポートレイト作品を通してエンパワメントを行う「ファフスワグ(FAFSWAG)」(画像11)、蚊帳で作った原子炉の形をしたオブジェ《元気炉(Genki-Ro)》(2022)(画像12)と共に東日本大震災を思い返す展示を行った「シネマ・キャラバン&栗林隆(Cinema Caravan and Takashi Kuribayashi)」など、少数民族、性的マイノリティ、移民やさまざまな困難を抱えた人々に寄り添い、問題を可視化して社会変革を目指す精神が、ドクメンタ全体を貫いていた。ここではアートは贅沢品や余暇のためのものではなく「アクティビズム(行動主義)」そのものである。これまでの芸術祭で見たことのないその徹底した姿勢とパワーに接し、その熱は今も筆者の心を動かしている。