「今年」、どれだけの人がこんなふうだったろう。「こんなはずじゃない」と。けれど、僕や母からしたら「こんなはずじゃない」のは生まれてからずっとで、逆境しかないところで育っているから、ヘラヘラ笑ってしまうのだった。卑屈に(笑)。松田修の展覧会ステートメントより
誰も予想しえなかった新型コロナウイルスの蔓延。松田修の個展タイトル「こんなはずじゃない」という思いは、2020年、世界中のあらゆる人々によって共有された。ある意味で稀有な連帯感が生まれたといっていいかもしれない。この厄災から逃れることのできる人は誰もいないという事態が起こったのだ。
しかし、黒人の死亡率が高いことや、移民労働者の多い地域でクラスターが発生するなど、ウイルスへのリスクは万人に平等ではないことが各国で明らかになっていった。さらにリモートワークが可能な職種の人とそうでない人との格差も浮き彫りになった。
また、5月のジョージ・フロイド氏死亡事件をきっかけにアメリカで起こったブラック・ライヴズ・マター運動は世界に拡散し、奴隷制度に依拠しながら繁栄した白人中心の歴史にも批判の目が向けられた。2020年は、連綿と続く差別や格差による歪みが注目された年だったといえる。
混乱の2020年と先行き不透明な2021年をまたぐ、年末から年始にかけて開かれた松田の展覧会は、まさに格差と歪みの問題を見る人に突きつける、鋭さとリアリティをもった内容だった。
なかでも展覧会の中核となる映像《奴隷の椅子》(2020)は、これまでに例を見ない、鮮烈な印象を与える作品だった。モニターの画面いっぱいに映るのは、古ぼけた女性のポートレイト写真。この女性が自らの人生を語り始めるのだが、静止画の口や目、眉が映像加工によって奇妙に動き、声のトーンも不自然だ。そのぎくしゃくした演出には笑いを誘うコメディの要素がある一方で、赤裸々に語られる内容はかなり深刻である。
売春街近くに育った女性は19歳で一人目の子供を産み、生活のためにスナックで働き始める。彼女の育った環境ではそれが普通のことだった。やがて自分の店をもつが、生活は苦労の連続だった。貧困の中での3人の息子の育児、2度鑑別所に入った長男、阪神淡路大震災時の家の火災、母親の認知症発症、親友の自死、3回の離婚と、波乱万丈の人生がギャグをまじえながら語られる。そして2020年、コロナウイルスの影響により彼女はスナック「太平洋」の閉店を決める。
さらに女性は、作品を見ている鑑賞者の座る椅子が、彼女の店で使われていたものだと告白する。このホラーめいた演出に、物語に引き込まれていた鑑賞者はぎくっとする。他人の話として聞いていた自分が突然女性とつながるのだ。今自分が座っている年季の入った白いソファーは、彼女の店「太平洋」に確かに存在していた...。女性の壮絶な人生とコロナ禍の不幸に対して、もはやフィクションの傍観者であることは許されない。
「最近では長男が芸術家と名乗り、東京で詐欺まがいのことをしている」と話す女性の言葉から、長男とは松田のことであり、女性が松田の母親であることが推察される。不器用ながらも実直に生きてきた彼女にとって、芸術表現やその商売は「詐欺」に思えるのも納得がいく。松田は自身の作品には「カスな運命を受け入れつつヘラヘラ生きていく」そんな「スラム魂」があると述べ、自分は「スラム出身の文化人」、略して「スラ人」として「超底辺層の視点による低次元的アート」を提案するのだという。
確かに松田の視点は彼の育った環境なしには得られなかったものだろう。映像作品《呪い》では「上中下」「右左」という声がひたすら流れ、日常風景に現れる横線と縦線を捉えた映像が映る。ラインによって空間が上中下、左右に分断され、階級や思想の対立構造のイメージが瞬時に立ち現れるのだ。
ポール・ゴーギャンの絵画《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》のタイトルを使った作品には、今日あまり見ることのなくなった女性の局部を表す「記号」が現れる。松田が都内でかろうじて6つ発見し、収集したものだという。それぞれの記号はアニメーション化され、無邪気な女性の声で言葉を発する。「私たちはどこから来たのか」「私たちは何者か」「私たちはどこへ行くのか」...。
この記号たちが発する声から伝わってくる寄る辺のなさに、私は愛おしさと共感を覚えた。どこから来て、何者で、どこへ行くのかもわからないまま、消費され、見下された存在の「彼女」たち。けれども、気まぐれな落書きから自立して一個の人格をもち、動き出した彼女たちからは、前向きな生のエネルギーが感じられる。それは松田の母の姿とも呼応する。
「自分の人生に後悔はありませんが、自分で選んだ人生ではなかったと思います」と語る母の言葉に、きれいごとでは済まされない格差社会の現実を突きつけられるとともに、彼女の生きる姿勢に備わった潔さとプライドを尊敬せずにはいられない。また立場は違えど、極端なジェンダーギャップが存在する日本社会において、理屈ではどうすることもできない構造的差別の限界を感じ、悔しさ、惨めさ、非力さを味わってきた女性として、共感できることは多いのだ。
松田は彼独自の経験と視点を生かして、他の人には描くことのできない「スラム」から見た社会の歪みを見事に作品化している。それは、さまざまな「弱者」に寄り添い、励ます行為でもある。しなやかで強靭な「スラム魂」を内包する松田の作品は、他者の人生に対する見る人の想像力を喚起するとともに、個々人が自分自身の痛みを見つめ、慰めることをも促すのだ。
展覧会情報
松田修「こんなはずじゃない」
2020年12月5日~2021年1月16日(終了)
東京・無人島プロダクション