岡田裕子による「誰も来ない展覧会」は、視覚と聴覚を使って「場」を味わう体感型の贅沢なプロジェクトだった。語りを通して歴史とイメージを浮かび上がらせる手法は、ジャネット・カーディフ*の「オーディオ・ウォーク(音散歩)」を想起させる。
*音を使ったサウンドインスタレーションを制作するカナダのアーティスト。視覚と聴覚を組み合わせた手法を用いる。夫のジョージ・ビュレス・ミラーと共に創作を行っている。
会場の「元映画館」は、かつて日暮里金美館(東京都荒川区)と呼ばれる映画館だった。戦災を乗り越え、1991年に閉館するまで続いた映画館は、2019年にカフェバーと多目的イベントスペースとして生まれ変わった。チケットもぎりのブースや舞台幕に刺繍された商店の名前など、懐かしい昭和の雰囲気が伝わってくる。
ネット予約によりワンドリンク付き1,500円の入場料を払った観客は、まず岡田の映像作品を大スクリーンで鑑賞する。岡田がセレクトした《翳りゆく部屋》(2008)、《Restaurant No Dress Code》(2012)、《EXCERCISES》(2014)の3本だ。どの作品からも、岡田特有のユーモア溢れる演劇性と身体表現を通して、社会や美術の問題が浮かび上がる。
中でも《翳りゆく部屋》は、「ゴミ屋敷」と化した部屋に住む老女に岡田自ら扮し、役所の介入に対して「どれも大事なものだから捨てちゃだめ」と必死に抵抗する様子をコミカルに描いたインパクトの強い作品だ。現代社会の高齢化の現実とともに「誰が何にどのような価値をおくのか」という、美術にも深く関わる根源的問題をつきつけられる。
映像鑑賞の後、観客は岡田のナレーションによる音声ガイドに従っておのおの館内をめぐる。この「朗読劇」ともいえる岡田のサウンド作品《こんにちは、さようなら、あの日、ここで「誰も来ない展覧会」》(2020)の内容が秀逸だった。
物語の設定は「世界が正体のわからないウィルスの感染拡大による混乱のさなか」だった時のこと。「無症状感染者」と診断された岡田は、患者隔離施設の一つとして使われていた「元映画館」の最初の収容者となる。その滞在1週間の記録が序章から7日目まで、日記のように語られる。「光」で始まり、7日目に「休む」という構成は、キリスト教旧約聖書の「創世記」になぞらえたものだとわかる。
暇と不安を持て余す岡田は「誰も来ない展覧会」を開くことを思いつき、毎日さまざまな「作品」を制作する。チケットをもぎるパフォーマンスをしながら「ゴドー」ならぬ観客の「ゴトウ」さんを待ってみたり、舞台幕に結婚指輪を吊るしたり、拳を緩めた穴からスクリーンを覗く行為に「のぞき窓」という作品名をつけたり。また岡田の巧みな語りにより、追憶の風景が目の前にありありと浮かんで来る。もぎりの前に行列のできた3本立て700円の古い映画館、歓楽街の活気、居酒屋での一家だんらん、自分の母親が子供の頃に芝居小屋で覗き見た光景。
特に鮮烈な印象を受けたのは6日目の「イブ」についての語りだ。カウンターの棚で見つけた『2001年宇宙の旅』のビデオをスクリーンに映しながらフロアで全裸になり(もちろん朗読の中で)、人類の夜明けの第一号の女性を演じる岡田。リヒャルト・ストラウスによる「ツァラトゥストラはかく語りき」の有名な冒頭部分が流れ、そのメロディーを口ずさむ。美術におけるヌードの規制について触れつつ「誰も見ない展覧会で脱ごうが、脱ぐまいが、誰にも咎められない」と開き直る岡田は、人類で最初に罪を犯したとされるイブに思いを重ねる。
「彼女の後悔、怒り、諦め、確かにあったであろう彼女自身の幸せを想像しながら、時に腕を振りかざし、怒りに身をまかせながら」ぐるぐると会場を回る。「原罪」を押しつけられ、知恵の実を食べたがゆえに羞恥心を知り、主体はなく常に「見られる」存在となったイブは、今誰かの見せ物ではなく、自分のために裸になる。イブの怒りは岡田の、そして私の怒りだ。岡田の作品に通底するフェミニズムの視点と、孤独な人に寄り添うヒューマニズムが伝わってくる。ドラマチックな音楽とあいまった、本作のクライマックスとなっている。
ノスタルジーと叙情性に富む語り口でありながらも、「36.4度平熱」というように毎日が検温の報告で始まるところには緊張感が漂う。今年のダイアリーの予定が真っ白だったり、マスク着用で口紅を使わないため、化粧ポーチの口紅が真新しいままであることなどの描写が、私たちが今まさに対峙する現実世界の日常をリアルに物語る。それは「しるし」と題した4日目の記述のなかで、自分が死んでも残る証として思い出の詰まった結婚指輪を作品とするというエピソードからも感じられる。
そこはかとなく漂う死の影と不安。岡田は、コロナウィルスという見えないものを前にする私たちの「今」を「あの日」と呼んで過去形にすることで時間軸をずらし、未来から現在を振り返る。閉館した映画館の往年の時代を、現在から振り返るかのように。現在進行形の難題に、現実とフィクションを交えながら向き合う本作は、きわめてユニークで意味のある表現だ。誰もが感じている問題を共有しつつ作品へと昇華し、答えのない問いとともに未来へと進む。それはアートの役割だろう。
また物語の冒頭と最後に使われている、作品の不穏なトーンを効果的に表現した音楽は、岡田の息子である会田寅次郎による作曲である。若い世代のクリエーターによって、岡田の作品に新たな要素が加わっていく。そんな親子のコラボレーションも素敵だ。岡田の持ち味である演劇的手法を用いて社会に切り込む表現は、今回のサウンド作品を経てさらなる展開が期待できそうだ。
展覧会情報
映像の美術館#01「岡田裕子展ー誰も来ない展覧会ー」
2020年9月25日~10月4日(終了)
元映画館(東京都荒川区東日暮里3-31-18 旭ビル 2F)