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アジアの最新アートは「日本の支配」をどう描く?台湾のビエンナーレを分析

アートから世界を読む 更新日: 公開日:
国立台湾美術館外観
国立台湾美術館外観

アートを見れば世界が見える。前回に続き、このコラムで取り上げる「アジア・アート・ビエンナーレ2019」は、新型コロナウイルスが本格的に拡大する前に、台湾で開かれた。現地を訪れた東京藝術大学准教授の荒木夏実さんはどう見たのか。2回の報告を予定していたが、「アジアと日本のアート環境を考えるうえで重要な展覧会」と考え、来月を含め3回にわたって荒木さんがさらに詳しく読み解く。

前回「アジア・アート・ビエンナーレ:山と海から来た異人」が新しい感覚を示す興味深い展覧会であることを述べた。アジアという場を歴史的、政治的に捉え直す試みとして、中央の統治が及ばない山岳地帯の「ゾミア」や「スールー海」に注目し、国家や「正史」の枠組みを超えて俯瞰する視点が斬新だ。シンガポールのアーティスト、ホー・ツーニェンと台湾のシュウ・ジャウェイによる共同キュレーションが秀逸で、歴史的・時事的リサーチに基づいた、知的な考察を促す作品が数多く紹介されていた。

特筆すべきは、2人のキュレーターによってじっくりと練られた展覧会全体のテーマに、選ばれた作品の数々がマッチしていることだ。このような大規模な展覧会(しかも複数のキュレーターによる)では、全体のテーマに対して出品作品が「こじつけ」られたようにみえる場合もよくあるのだが、本展にはそのような不自然さがない。境界を超えていく「開拓者」や「他者」のイメージは、異界から来るまれびと、無法地帯に存在するアウトサイダー、さらには植民地支配を欲する「国家」の姿につながっていく。二項対立ではなく、一見矛盾する立場や価値観が重なり合う「ゾミア的な」視点が新鮮で、実に刺激的だった。

描かれる日本のイメージ

アジアにおける植民者であった日本に言及する作品も多い。アジアの国々が経験したヨーロッパ諸国および日本による植民地化とその支配からの独立、さらにポストコロニアルの時代をたどる上で、日本を再考することは当然ながら重要なポイントである。

前回紹介したように、韓国のパク・チャンキョンは京都学派の特攻隊への思想的影響に触れ、台湾のディン・チャオンウェンは日本統治下の台湾で日本の製薬会社が作ったプランテーションのイメージを作品化し、自然と支配の関係について考察している。また台湾のワン・ホンカイ(王虹凱)は、植民地時代に東京で山田耕筰と橋本國彦に作曲を学び、日本の音楽界で活躍した台湾出身の作曲家江文也に注目する。その後中国で活動していた江は、文化大革命の時代に「日本帝国主義の手先」と糾弾され、不遇の人生を送った人物である。ワンは時代に翻弄された江の人生と音楽をリサーチし、創作ワークショップの様子を映像に収めた。

ワン・ホンカイ《国なき譜 》2019
ワン・ホンカイ《国なき譜 》2019 ワンは、本作のワークショップとパフォーマンスを2019年に日本でも行っている。(主催:シアターコモンズ)

さらにインドのズレイカ・チャウダリは、ベルリンのラジオ局でプロパガンダ放送を発信するスバス・チャンドラ・ボースの姿を作品化した。インド独立運動家のボースは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツ政権および日本軍に接近し、愛国者としてイギリスからの祖国の独立を画策した。江やボースなど戦前・戦中に日本と密接な関係にあった人物の存在を通して、単純に侵略者と犠牲者の関係で語ることのできない多層性が浮き彫りになる。

ズレイカ・チャウダリ《アザドハインド・ラジオのリハーサル 》2018
ズレイカ・チャウダリ《アザドハインド・ラジオのリハーサル 》2018

戦前・戦中の日本との関係によって戦後突如として「裏切り者」扱いを受け急転直下の運命をたどった人々もまた、境界を行き来する「異人」として捉えられている。

このように本展において、日本は他のアジアの国々の歴史や政治を考える上での「対象」として描写されている印象が強い。終戦直後のアメリカ占領下の横浜と三島由紀夫のイメージを表現した田村友一郎の《Milky Bay》(2016)が、唯一歴史に言及した日本人アーティストによる作品だったが、他の作品にみられるアジアというコンテクストやテーマの重みを共有するものではなかった。

つまり日本は分析の対象として重要な位置を占めるが、「主体」としては不在なのだ。日本が「植民者」として他の国々にとって「他者」であったがゆえにそのように表象されるのはある意味で当然なのだが、理由はそれだけではないだろう。

徹底したリサーチに基づく知的な議論

この展覧会の重要なポイントはアジアという場に関する国を超えた「議論」である。それはまずキュレーターであるホーとシュウの協働の賜物である。どのように二人で企画を進めていったのかをホーに尋ねたところ、どちらかがイニシャチブをとるのではなく、あらゆる面で平等に、平和的に計画が進んだそうだ。コンセプトの方向性が似ていたために、出品アーティストの候補名も驚くほど一致していたのだという。

ホーがシュウとともに初めて国立台湾美術館へ向かった時、電車の中で既に展覧会の骨子となるアイデアを二人で出しあい、ダイアグラムを作ったそうだ。ゾミア、スールー海、雲、鉱物、水の循環、無(Void)などのキーワードからなるダイアグラムは、そのまま展覧会のコンセプトとなった。「一つの強いテーマを掲げるのではなく、様々な要素の関係性のネットワークをダイアグラムとして示すことにした」とホーは語る。このダイアグラムが単なる記号ではなく展覧会のコンセプトとストーリーを示すものとなった*。

*筆者のホー・ツーニェンへのメールでのインタビューより(2020年2月)

「アジア・アート・ビエンナーレ2019」展のコンセプトを示すダイアグラム
展覧会のコンセプトを示すダイアグラム

ホーとシュウによる展覧会カタログ*の論考を読むと、彼らが徹底的なリサーチに基づくコンセプトの構築と作品分析を行っていることがわかる。民俗学者の折口信夫による「まれびと」の解釈、文化人類学者ジェームズ C. スコットによる「ゾミア」の分析、ゾミアにおける麻薬取引の歴史と現在のビットコインやカジノとの結びつき、金やひすいの鉱脈に引き寄せられる人々と経済のメカニズム、西田幾多郎をはじめとする京都学派の哲学など、さまざまな角度から主題にアプローチしている。学者や専門のキュレーターではない彼らが、大量の本を読み込み、調査し、アーティスト特有の独創的な分析を行っていることに感嘆せずにはいられない。また本展の出品作品の多くが、綿密なリサーチを重ねた内容であり、アーティストの知的好奇心と能力の高さを強く印象づけていた。

*展覧会カタログ『2019 Asian Art Biennial: The Strangers from beyond the Mountain and the Sea』(National Taiwan Museum of Fine Arts, 2019)

筆者にとって本展は久しぶりに見る刺激的で清涼感を味わうことのできる展覧会だった。同時に思ったのは、これは日本では実現不可能だろうということだ。次回はその理由について、日本の芸術環境を中心に述べたい。