白人男性が定めたルールを解体する試み
イタリアのヴェネツィアで2年に1度開かれる「ヴェネツィア・ビエンナーレ」は、1895年から続く国際美術展で、多くのアート関係者や観光客を小島に集める一大イベントである(別の時期に建築や演劇、音楽部門の祭典も行われている)。前回はコロナ禍の影響により開催が1年延期となり、2022年に実施された。
展覧会のメインとなるのは国別のパビリオン展示とテーマ展示だ。
2022年のテーマ展示は、イタリア出身でニューヨークを拠点とするチェチリア・アレマーニが初のイタリア人女性キュレーターとして企画を手がけた。
展覧会タイトルの「The Milk of Dreams(夢のミルク)」は、女性のシュールレアリストの作家レオノーラ・キャリントンによる書物の題名を引用したもの。キャリントンが描いたのは「誰もが変化し、なりたいものに変身できる世界」だとアレマーニは語る※注1。
展覧会では、植物と動物、人間とその他のものの違いや、ポストヒューマン、サイボーグがテーマとして扱われている。それはヨーロッパの白人男性によって規定された分類やルールを解体し、捉え直す試みでもある。
そのコンセプトを反映した本展の大きな特徴は、200人以上の参加アーティストの90%以上が、女性またはジェンダー・ノンコンフォーミング(従来のジェンダーの規範に当てはまらない)アーティストで占められていることだ。「美術史と現代文化の男性中心性をあえて問い直すため」とアレマーニは主張する※注2。
例えばシュールレアリストというとルネ・マグリットやサルバドール・ダリなどの男性アーティストを想像しがちだが、本展で紹介される女性のシュールレアリストやその周辺にいたアーティストたちの作品群がユニークで興味深い。
また、南米のアーティストや正式な美術教育を受けないセルフトート・アーティストの作品も数多く紹介されている。
神話、呪術、人と動物のハイブリッドなど、「正式な」美術史からこぼれてきたモチーフがあふれ、まさに「夢のミルク」の描く変幻自在な世界が広がる。
黒人女性アーティストが体験を通じ問い直す歴史
国別パビリオンにおいても、女性アーティストの活躍が目立った。
アメリカ合衆国館を代表したのは「The Milk of Dreams」展にも含まれていたシモーヌ・リーで、黒人女性の身体性を通して黒人の歴史や暮らしを様々な技法を通して表現する。
リーはテーマ展参加アーティストに与えられる最高賞である金獅子賞を受賞した。黒人女性アーティストの受賞は初めてのことである。
国別パビリオンの部門では、英国館を代表したソニア・ボイスに金獅子賞が贈られた。この部門でも黒人女性アーティストは初受賞だった。
ボイスは黒人女性ミュージシャンたちが歌う姿を映像インスタレーションとして表現し、英国の音楽史において十分に評価されることのなかった女性ミュージシャンの存在と、声というメディアに焦点を当てた。
フランス館の代表アーティストは、アルジェリア系フランス人女性のジネブ・セディラ。映画館と撮影スタジオに模したインスタレーションを通して、アルジェリアのフランスからの独立に関係する歴史と個人史を重ね合わせ、虚実が交錯する物語を紡いだ。
『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューでセディラは語っている。「私は植民地主義の賜物なのです。もし植民地化されていなかったら、私はアルジェリアにいたはず。私はあらゆる物語とあらゆる苦しみの遺産なのです」※注3
フランスの植民地主義の歴史と現在の国内の多様性に、セディラの体験は直接結びついている。
多様な歴史への注目、さらに強く
2023年9月に筆者はロンドンを訪れた。ここでもミュージアムの多くが黒人や女性、その他のマイノリティ・グループに属するアーティストに焦点を当てていることを感じた。以前から多様な歴史に注目するミュージアムは多かったが、その傾向はさらに強まっている。
テート・モダンでは「A World In Common: Contemporary African Photography」というアフリカ諸国出身のアーティストを集めた大規模な展覧会が開催されていた。
19世紀のカメラの発明以来、西洋中心主義的視点で撮られる対象となっていた「アフリカ」※注4を、アフリカ大陸出身のアーティスト自身の視点から捉え直す試みといえる。
36人の出品アーティストの一人サムソン・カンバルは、第一次・第二次世界大戦でイギリスのために戦ったアフリカの兵士の写真を使った立体を作っている。ダンボール製なのは、兵士たちがいつでも取り替えがきく存在であることを示す。
サントゥ・モフォケンは南アフリカで20世紀初頭に撮影された家族写真のスライドを投影し、アパルトヘイト政策以前に存在していた裕福な黒人家族の様子を示すと同時に、白人流の生活スタイルを踏襲するその姿に疑問を投じる。
ヴィクトリア&アルバート博物館の彫刻ギャラリーでは、現代アーティストのトーマス J プライスによる人物像が、17世紀から19世紀に作られた彫刻とともに展示されていた。
「自分自身の存在に気づいて、価値があると感じてほしい」※注5と語るプライスは、現代の日常を生きる黒人の何気ない姿を彫刻にする。ドラマチックなロダンの彫刻群の間に立つ人物像の理想化されていない身体性が、ロダンとのコントラストとともに強い印象を放つ。
18世紀の優雅な建築を誇るサマセット・ハウスのギャラリーでは「Black Venus: Reclaiming Black Women In Visual Culture」と題して18人の黒人の女性およびノンバイナリーのアーティストによるグループ展(ニューヨークFotografiskaでの展示に新たな作品を加えた巡回展)が開かれていた※注6。
黒人女性がどのように表象されてきたかを歴史的にたどるとともに、黒人の現代作家による表現を紹介している。
展覧会のサブタイトルに「取り戻す」とあるように、見られるものとして客体化、差別化されてきた黒人女性の姿を、主体的に表し、分析している。
トラファルガー広場で20年以上続いている現代アーティストによる彫刻を紹介するプロジェクト「The Forth Plinth(4番目の台座)では、テート・モダンの展示にも含まれていたアフリカ南東部の国マラウイ出身のサムソン・カンバルによる《Antelope》が展示されていた。
台座に立つのは、イギリスの植民地政策に抵抗し、処刑された牧師のジョン・チレンブウェの彫像である。カンバルは1914年に撮影された写真をもとに、帽子を被ったチレンブウェの姿を制作した。
白人の前で黒人が帽子を被ることを許されていなかった時代に、抵抗の姿勢を示すものである。チレンブウェは脱植民地化を牽引した英雄として讃えられ、現在もマラウイでは毎年1月15日をチレンブウェ・デーとして祝っている。
さらに、チレンブウェの像の大きさが、並んで立つ白人宣教師ジョン・チョーリーの倍ほどもあることが、彼の存在感を際立たせている。
タイトルの「アンテロープ(レイヨウ/かもしかに似た動物)について、カンバルは「最も気前がよくてあらゆる動物の獲物になって肉を与える母のような存在」※注7と説明する。「The Fourth Plinth」の開幕式でカンバルは「今、大英帝国がアンテロープの帝国に変化したことを喜ばしく思います」※注8と述べている。
女性や独学のアーティスト、黒人や移民が体験してきた歴史やリアリティとは何か。ヨーロッパのミュージアムやキュレーターたちは今、かつての植民地主義に向き合い、西洋中心主義的な歴史や美の基準からの脱却を、果敢に試みている。