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変わる移民の描き方 「個」に注目する金仁淑氏、ネトフリでもアジア人の描写に変化

アートから世界を読む 更新日: 公開日:
金仁淑さんの作品
《Eye to Eye 東京都現代美術館 Ver.》10チャンネルヴィデオ、2チャンネルサウンド「翻訳できない わたしの言葉」展示風景、東京都現代美術館、2024 ©金仁淑

「狭間」にいる人たちの「個」に注目

この春、栄誉ある写真賞である「木村伊兵衛写真賞」(第48回・2023年度)を金仁淑(キム・インスク)が受賞した。朝鮮半島にルーツをもつ父と日本人の母の間に生まれて日本で育ち、韓国にも長く暮らした金は、共同体の持つ歴史や伝統に着目しつつ「多様な個」の存在に焦点を当てた作品を制作してきた。

4月26日に行われた同賞の授賞式の挨拶の中で、金は「日本では外国人、韓国では日本人として扱われ、自分は何者なのだろうと問うこともあった」と話している。「個」ではなく集団として一括りにされる不自由さを知る金は、外部からのレッテルを剝(は)がしたところから見えてくる本質に注目してきた。

例えば、大阪の朝鮮学校に通う子供たちの生き生きとした姿を撮った初期のシリーズ《sweet hours》(2001-2020)について金は次のように述べる。

「外部から見た朝鮮学校は、イデオロギーや政治を連想させる空間となってしまうことが多い。私は作品を通じてこの空間を、個々の記憶が積み重ねられた空間へ再構成したいと思うようになった」注1)

自身の体験と重ねながら「狭間」に生きる人々をテーマにしてきた金は、コミュニティの内側に積極的に入りこみ、一貫して多様な個人に迫る制作姿勢を取ってきた。

金仁淑さんの作品
《sweet hours, girls, 11 November 2001》Cプリント、サイズ可変 ©金仁淑

今回受賞した作品は、かつて韓国の政策によって当時の西ドイツに渡った韓国人移民1世から3世たちを写した《Between Bread and Noodles》と、滋賀県にあるブラジル人学校「サンタナ学園」に通う子供たちと教員、支援者と金が出会う過程を表現した《Eye to Eye》である。大型モニターに映し出された子供たちの姿は、映像でありながら一人ひとりに向き合ったポートレイトだといえる。

また、サンタナ学園の様子を映す映像からは、日本とブラジルの「狭間」に置かれた子供たちの存在が見えてくる。サンタナ学園には、労働者としてブラジルから日本に渡ってきた親を持つ0歳から18歳までの子供たちが通う。

乳幼児の保育の場として、また言葉や文化の壁により日本の学校教育に馴染めない子供や、将来帰国してブラジルの教育を受ける予定の子供たちの受け皿として機能している。

しかし、公的資金を受けることのできない同施設は、映像に登場する日系ブラジル人の校長「ケンコ先生」の比類なきバイタリティとそれを支える人々の熱意によって何とか運営している状態だ。

温かくも鋭い金のカメラを通して、日本に数多く暮らすブラジル系移民労働者とその子供たちのコミュニティ、そして個々のアイデンティティが可視化される。その時、私たちは現在の日本を構成する人々の多様性に気づかされることになる。金は狭間に身を置く人たちの個に、カメラを通して光を当てるのだ。 

映像作品で描かれる「アジア人」の変化

 金が、集団の中の「個」に注目してきたように、映画やドラマの世界でも従来のステレオタイプに抗う表象が目立つようになっている。特に最近ヒットした映像作品における「アジア人」の描かれ方には注目すべきものがある。

アメリカにおいてアジア人(特に東アジア人)は「モデルマイノリティ」と呼ばれ、高学歴(特に数学や科学に秀でる)、勤勉、従順、安定した収入などのイメージと結び付けられてきた。それは社会において都合の良いステレオタイプとなり、個別の民族や個人を無視したイメージとなっていった。注2)

しかし、近年そのイメージを裏切る表現が注目され、高い評価を受けている。例えば2023年のアカデミー賞を総なめにした映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)。中国系マレーシア人の俳優ミシェル・ヨーが主演するエヴリンは、フラストレーションを抱え、常に苛立ち、優等生とは程遠い激しい性格を持つ女性である。

「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」の場面写真
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2023年9月6日ブルーレイ発売、ギャガ)

ヨーはインタビュー番組の中で映画についてこう語る。

「道で毎日すれ違っている、声を持たない年老いたアジア人移民女性が、突然こんなにも強い主張を持ち、スーパーヒーローになれるんだと気づかされるのです」注3)

同インタビューでヨーは、中年アジア人女性俳優として彼女に与えられる母、叔母、祖母といったステレオタイプな役柄に言及している。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』はそのような固定的なイメージとは全く異なる配役だっため、演じていて実に痛快だったという。

Netflixで話題になり2024年のゴールデングローブ賞とエミー賞の複数の部門で受賞したドラマ『BEEF/ビーフ』(2023)もまた、東アジア系アメリカ人の多様性を見せるドラマである。

スティーヴン・ユァン演じるダニーは、事業がうまくいかず、追い詰められて自暴自棄になっている韓国系アメリカ人2世。一方、アリ・ウォン演じるエイミーは中国人の父とベトナム人の母の間に生まれ、経営者として成功している。

日系アメリカ人の夫と幼い娘とともに裕福な暮らしを送っているエイミーだが、内面には言いようのない不満を抱えている。その2人の車が接触しそうになったことをきっかけに、ダニーとエイミーは互いにあおり運転で相手を挑発し、激しい嫌がらせの応酬が展開されていく。

立場は違えども爆発しそうな「怒り」を抱える2人のアジア系アメリカ人の悲喜劇を描いたこのブラックコメディは、「モデルマイノリティ」としてのお行儀の良いアジア人のイメージを見事に裏切っている。いや、あえてステレオタイプを可視化しつつ、最終的にはそれを破壊しているといっていいかもしれない。

Netflixシリーズ「BEEF/ビーフ」独占配信中
Netflixシリーズ「BEEF/ビーフ」独占配信中

映画やドラマの中で乱暴な言葉を叫び、怒りをあらわにし、暴れ回るアジア系移民たちのコミカルかつ切実な演技に私自身が強い快感と共感を覚えるのはなぜだろう。

移民ではなくとも「従順で大人しく、柔軟で逆らわず、にこやかで優しく、和を尊び癒しを与え、誰からも愛され常に譲り、憤りは見せず自己主張せず、それでいて芯は強く、弱音を吐かず頼りになり(続く)...」という女性に求められる理不尽な要求にうんざりする経験があるからではないだろうか。

外部から貼られるレッテルや要求という見えない暴力。それに対する痛快な反逆が、自身の気づきと解放につながるのだ。個々人の立場は違っても、同じような思いを持つ多くの人たちから、これらの作品は熱烈に支持されたのだと思う。

「作り手」のリアルな経験が反映

「作り手」が変わらなければ表象は変わらない。『BEEF』の製作総指揮を取るイ・サンジンは、韓国で生まれた後に家族でアメリカに移り住んだ。彼自らの移民としての経験があるからこそ、これほどまでにリアルな描写ができたのだろう。自嘲も含めた共感と愛情をもって、ステレオタイプではない、アジア人の多様な個性が表現されていた。

『パスト ライブス/再会』(2023)のセリーヌ・ソン監督もまた、韓国出身のカナダ人である。主人公のノラは韓国から海外移住したために、初恋相手のヘソンと離れ離れになる。その後白人男性と結婚したノラがニューヨークで24年ぶりにヘソンと会うという物語は、ソン監督自身の経験からインスピレーションを受けたものだという。注4)

韓国での子供時代の環境と人間関係、ニューヨークでの新たな生活、失われることのない友情と郷愁。ノラの内面を分裂させ、揺らぎを生じさせる感情は、複数の文化に身を置く監督自身の移民の経験に根ざしている。

「個を追求することによって普遍性が生まれる」と金仁淑が語っている注5)ように、映画やドラマに描かれる移民の個性は、属性を超えてそれを見る多くの人の共感を呼ぶ。

金やイ・サンジン、セリーヌ・ソンのようなクリエーターたちが、自身の経験をもとに声を発し、複雑で繊細な移民の物語を語ることによって「マジョリティ」から見た表象とは異なるリアルな世界が描かれていく。

「モデルマイノリティ」というレッテルから離れた多様な個性が今後ますます世の中に表れてくることだろう。それは必ずや表現の世界を、そして社会を豊かにしてくれる。同時に、多くの人の隠された怒りや不満をたとえ一瞬でも吹き飛ばしてくれる力を持つはずだ。(敬称略)