アジアの視点によるキュレーション
コロナウィルスが世界で猛威をふるっている。物や情報のみならず、病もまた驚くべき速さでグローバルに広がる現実を前にして、途方に暮れるばかりだ。思えば、状況がこれほど深刻になる前のタイミングで台湾を訪問することができたのは幸運だった。「アジア・アート・ビエンナーレ2019」は、最近見た国際展の中で最も刺激的で興味深い展覧会だったからだ。
2007年から2年に1度、台湾中部の台中にある国立台湾美術館で開催され、今回で7回目を迎えるこの国際展は、アジアの視点を探究し、アジア地域の現代美術の発展と多様性に寄与することを目的としている。今回は展覧会のキュレーターとしてアジアの2人のアーティスト、シンガポール出身のホー・ツーニェンと台湾出身のシュウ・ジャウェイ(許家維)が選ばれ話題を呼んだ。2人とも独自のリサーチに基づいて歴史や政治の問題に焦点を当てる作品を制作し、世界的に最も注目されるアーティストである。
「岡山芸術交流2019」をフランス人アーティストのピエール・ユイグがディレクションするなど、プロフェッショナルなキュレーターではなく、アーティストがキュレーションする展覧会が注目されるなか、今回は特にアジア出身アーティストによる「アジアの視点」が際立った興味深い試みとなった。
ホーは昨年の「あいちトリエンナーレ」において、豊田市内の旧料亭旅館「喜楽亭」を丸ごと使ったインスタレーション《旅館アポリア》を発表。日本の哲学者や映画製作者などの文化人の思想と戦争との関係に鋭く迫る本作は、表現の自由をめぐって揺れるトリエンナーレの中で堂々たる力強さを見せていた。*
*「あいちトリエンナーレ」での作品についてはこちら。
統治が及ばないゾミアとスールー海とは
ビエンナーレのタイトルは「山と海から来た異人(The Strangers from beyond the Mountain and the Sea) 」。異人とは、民俗学者・折口信夫による「まれびと」の概念から着想を得たもので、遠方からやってくる超自然的存在を指す。そこには神のみならずシャーマン、外国商人、移民、植民者やスパイなどが含まれる。
さらに山は「ゾミア」、海は「スールー海」を意味する。ゾミアとは中央ベトナムから北インドにまたがる山岳地帯を指し、少数民族やゲリラ、ドラッグ密売人たちが活動する地域である。一方、太平洋と南シナ海の間に位置するスールー海は、歴史的に奴隷貿易や海賊行為が行われ、現在でもテロリストの活動場所となっている。ゾミアとスールー海は、政府の統治が及ばない「国家」の枠組みを超えた場所なのだ。
2人のキュレーターたちは、この地理的な概念に「雲」と「鉱物」という要素を加え、人間世界を超越した時間軸と空間軸を設定した。ダークな魅力を放つ展覧会のコンセプトは実にドラマチックで、SF小説や映画の物語性を漂わせる。さらに、異界からの来訪者、山から海、雲から鉱物まで、あらゆる次元をくまなくかつ素早く想起させる点は、インターネットの網目の連続性とスピードを感じさせる。今日の「デジタルな」環境は、アーティストの思考や表現に確実に影響を与えている。
ビットコインから抗マラリア薬まで、アジアをめぐるイメージ
本展の導入部分に展覧会を象徴する印象的な映像作品がある。中国人アーティストのリュウ・チュアン(劉窗)による三面のビデオインスタレーション《ビットコイン・マイニングと少数民族のフィールドレコーディング》(2018)である。
作品中に、ダムからほとばしる水流をドローン撮影した迫力の映像が現れる。ここはゾミアの一部である四川省の山間部で、安価で豊富な水力発電により、大量の電力を必要とするビットコイン採掘にとって最適な場所となっている。世界のビットコイン採石場の半数が集中するという。かつて国民党軍に敗れた共産党軍が身を隠しながら「長征」を続けた地域が、中央の金融システムから逃れる仮想通貨の担い手たちを引き寄せているのだ。そして現代版「採掘」によって得られた情報は「雲(デジタルクラウド)」に集約されていく。
シンガポールのアーティストのチャールズ・リム(林育榮)は、普段目にすることのない海底に作られたインフラの仕組みを視覚化する。海底ケーブルや、石油を貯蔵するために地下に掘られた岩の洞窟など、地上での利便性のために姿を変える海の実態に着目し、自然と政治との関係性を浮き彫りにする。
台湾出身のリュウ・ユ(劉玗)は、ドローンで撮影した壮観な風景とアニメーションを組み合わせたダイナミックな三面映像作品《救済の山》(2018)において、鉱山と荒れ果てたゴーストタウンの姿を映し出す。時代を超えて出会う登場人物の会話から、19世紀アメリカのゴールドラッシュのイメージが伝わってくる。リュウは、自由と一獲千金を求めてさまよう開拓者としての人間の性と、人を引きつけて止まない鉱物との結びつきに注目する。
韓国出身のパク・チャンキョン(朴贊景)は「あいちトリエンナーレ2019」で北朝鮮の少年兵のイメージを表す写真作品《チャイルド・ソルジャー》(2017-2018)を出品したアーティストである。**
**「あいちトリエンナーレ」での作品についてはこちら。
今回見せた映像インスタレーション《京都学派》(2017)は、戦時中の日本人のメンタリティに迫る内容である。死のイメージを連想させる日光・華厳の滝と京都学派の学者たちによる言葉、さらには特攻隊員たちの日記に残されたテキストがスクリーンに投影され、特攻の死の概念と京都学派の思想との関連が示唆されている。
台湾のディン・チャオンウェン(丁昶文)はインスタレーション《ヴァージン・ランド》(2019)を通して、植民地における支配者と土地との関係について考察する。
日本が台湾を統治していた1920年代、日本の製薬会社である星製薬は、抗マラリア薬のキニーネを採取するために大量のキナの木を台湾で栽培した。薬品という利益を生む「武器」の製造のために、従来の自然が変質する様を、支配のメカニズムとしてティンは注視する。
このように、アーティストたちは日本を含むアジアの歴史と現在の問題に切り込み、新たな風景を描いてみせる。最新の技術を駆使し、知的かつクリエイティブに表現する彼らの抜群のセンスと実力に圧倒される思いがした。
しかし、このようなアジアのアーティストたちが展開するグローバルな議論の中に、日本が当事者として不在なのはなぜか。次回は、日本の組織や表現環境の問題について読み解く。