66万人の衝撃 SNSで拡散
塩田さんは1972年、大阪で生まれた。京都精華大、ドイツ留学などを経て97年からベルリンに住む。展覧会は、絵画、動画、インスタレーション、舞台芸術など、25年の芸術活動を網羅していた。
2015年にベネチア・ビエンナーレの日本代表となり知名度は増したとはいえ、66万6千人は衝撃的である。島根県の人口が約67万人だから、島根県民全員がみたような勘定になる。
開催期間などが違うので単純比較はできないが、2004年の草間彌生展、2015年の村上隆展、2017年のレアンドロ・エルリッヒ展などの集客数を超えた。
歴代トップは、2003年の開館記念展覧会である「ハピネス:アートにみる幸福への鍵 モネ、若沖、そしてジェフ・クーンズへ」(時代や地域の異なる約180人のアーティストの芸術表現を通じて「幸福」という概念を探った展覧会)の約73万人だという。
塩田展の最大の特徴は、SNSで評判が広がったことである。大規模なインスタレーションが話題を呼び、いわゆる「インスタ映え」する画像となって、SNS上でシェアされた。
森美術館が来館の動機をアンケートでたずねた結果によると、SNSがきっかけになっていた人が54%にのぼり、美術館の公式サイトや各種メディアを大きく上回った。テレビ・ラジオがきっかけと答えたのは4%だった。
2017年に開かれたアルゼンチン出身の現代美術家、レアンドロ・エルリッヒ展も61万人を集める人気となったが、そのときの来館の動機でSNSを挙げたのは31%。テレビやラジオで知ったという人が18%だったのに比べると、今回は、ネットの影響が大きかったことがわかる。
ネットで拡散した影響とも関係があるとみられるが、若い人や女性が多かったのも特徴的だった。20代を中心に、39歳以下が78%も占めた。会期後半になるにつれ、10代からのSNS投稿も増えたという。
また、訪れた人のうち、女性が65%にのぼり、男性よりもはるかに多かった。
印象的な赤い毛糸、『不確かな旅』
筆者は、8月に展覧会を訪ねた。入るとすぐ、赤い毛糸を使った大きな部屋いっぱいのインスタレーションがあった。
『不確かな旅』と題された作品。鉄のフレームで作られた六艘(そう)の小舟から、天井に向かって無数の赤い糸が張り巡らされている。その中をめぐる観客の人影までが混然となり、一枚の絵のように見えた。
2年前、今回の展覧会が決まった翌日、塩田さんの卵巣がんの再発がわかった。6時間の手術のあと、抗がん剤治療を受けながら準備を進めた。牛革を使い内臓にみえるような作品は、「身も心もばらばらになった」塩田さん自身を示している。
赤と並んで、黒い糸や色彩も作品に多用されている。作品展を企画した森美術館副館長の片岡真実さんは「死と向き合いながら作り続けたことが、塩田さんの作品の精神性をさらに深めたと思います」と語る。
もう7年前になる。筆者がベルリンに滞在していたとき、ベルリン日独センターの方の紹介で、塩田さんと夕食を共にした。ベルリンにはアーティストが多数集まる。パリやロンドンに比べて生活費が安いことや、壁が崩壊したあとの自由な空気を、塩田さんは気に入っていると話していた。
5年前、ワシントンに駐在していたときにも再会した。塩田さんの作品が、スミソニアン博物館のサックラー美術館内の大きなスペースで、1年間、展示された。やはり赤い毛糸が使われ、数百もの靴が結ばれている。その迫力と情感に、圧倒された。
「彼女の作品には何か台風的な構造があり、周囲は巻き込まれざわざわしているのですが、中心がいつも静であるように見えます」。美術評論家の中原佑介の評を、今回の展覧会のカタログで知った。
それは会っているときの印象でもある。作品の大きなエネルギーとは裏腹に、本人は静かで、穏やかに話す。
「死の匂い」と「癒やし」
作品で使われている多くの靴やスーツケースは、アウシュビッツ強制収容所を想起させる。収容所跡の博物館には、ナチスに大量虐殺されたユダヤ人らの靴やカバンが積み上げられていた。一方で、赤く結ばれた糸からは、人とつながることによって生きていける癒やしがある。
森美術館で作品を見ながら、唐突に思い出したのは、戦後詩壇で大きな存在感があった鮎川信夫の詩であった。
影は一つの世界に 肉体に変わっていく
小さな灯りを消してはならない
絵画は燃えるような赤でなければならぬ
(鮎川信夫『アメリカ』より抜粋)
来年は、鮎川の生誕100年である。自らの従軍体験、親友の死……。その詩には、独特の静けさと死の匂いが漂う。
1986年に鮎川は急逝する。評論家の吉本隆明は弔辞で、鮎川の「虚無の情感」とともに、そこから射(さ)し込む「無限の優しさと思い遣(や)り」にも触れた。
塩田さんの作品から感じられるのも虚無性や死の匂いであり、それと一見矛盾するような「無限の優しさ」である。
「不安な時代」に共感を求めて
さて、なぜここまでの集客が出来たのかに戻ろう。
美術関係の仕事の経験がある筆者の知人は、平日の午後、「塩田展」を訪ねた。大雨にも関わらず、長蛇の列で、入場するだけで30分以上も待った。列に並んでいたのが、外国人観光客と若者がほとんどということに、まず驚いた。
まるで観光スポットのように、作品を背景にスマホで自撮りする外国人やカップルの様子に、複雑な気持ちになったという。
塩田千春さんの「魂」よりも、塩田展に来ている「アートな自分」のほうに興味があるのでは、と感じたからだ。
たしかに、現代アートに詳しい人からみると、「インスタ映え」する自分を撮ることが来館目的のようにみえた場合は、もっとアートそのものを見て欲しいと思う気持ちになるだろう。
一方で、筆者含めて現代アートに詳しくない人にとって、動機はともあれ美術展に実際に足を運んでみれば、それが現代アートの新たな魅力に気がつくきっかけになるかもしれない。
10月、展覧会も終盤になったころ、もう一度、森美術館を訪ね、片岡副館長に、なぜここまで集客できているのかを聞いた。
「もちろん『インスタ映え』するので若い人に広がりやすかった面はあると思います。ですが、それだけでは説明できないと思います」と話す。
「インスタ映え」だけなら、さっさと写真を撮って美術館を去ってもいいわけだが、若い人たちも、初期の作品から熱心にじっくりとみる人が多かったという。
作品に通底する「死の匂い」も含め、塩田さんの作品群は決して明るくはない。そこに多くの若い人が来ることは「世界各地の紛争やデモなども含め、社会の先が見えないという不安に共感しているのかもしれない」と片岡さんは言う。一方で、死を感じさせる作品から逆に「生きようとするエネルギーを感じているのかもしれない」とも。
塩田さんの作品に多様される「赤」は、血液を象徴させていることが明確にわかる作品もあるが、「自分と同じような(塩田さんの)痛みを感じられる」ことが、特に女性の心を惹きつけ、共感を呼ぶことにつながったのかもしれない、と分析する。
先の見えない「不確かな旅」の中にいる私たち。皮膚感覚でそれを感じさせる塩田千春展は、このあと韓国、オーストラリア、インドネシア、台湾を巡っていく。
(2019年11月2日付 朝日新聞オピニオン面のコラム「多事奏論」に加筆しました)