■会えなかった「恩師」
8月24日午前、神戸港を一望できる長峰霊園。六甲カトリック教会の神父のもとで行われた納骨式に参列した。「先生、本当にありがとうございました」。手をあわせてご冥福を祈った。その場に集まった教え子の中に、政治学者の五百旗頭真さん(兵庫県立大学理事長)の姿もあった。
今年4月、中学・高校の同窓生たちのFacebookのグループで、母校の室田隆司先生が亡くなったことを知ったとき、強い後悔におそわれていた。
大学卒業後、転勤を繰り返す中、ずっと年賀状のやりとりは続けていた。だが、2013年からアメリカに赴任後、忙しさにかまけ、日本への年賀状を一切さぼってしまった。帰国して2018年に年賀状を久しぶりに出したときに、先生の自宅に届かず、宛先不明で戻ってきてしまった。
2020年春に34年勤めた朝日新聞社を退職する際、室田先生に直接お会いして、ご挨拶をしたいと考えた。母校の知人の先生に連絡し、今の連絡先を教えていただけないかとお願いした。学校内で聞いていただき、関東に引っ越されたことはわかったが、消息が途絶えたとの返信だった。お会いすることは、かなわなかった。
訃報を知り、母校に電話をして、ご葬儀の場所を教えてもらった。「先生の励ましのおかげで、文章を書く仕事に就くことができたと思っております」。そんな文面の弔電を打ちながら、なんとか連絡先を調べてお会いしたかった、と自責の念にかられていた。
六甲学院という中高6年制の男子校が私の母校である。あれは中学1年だったか2年だったか。もう半世紀近くも前のことで記憶があいまいだが、夏休み明けに、休み中に何をしたかを報告する作文課題だったかと思う。そのころ推理小説やファンタジーなどを乱読していた私は、40冊ほど本を読んだと書いた。そのことを褒めてくれたのが、室田先生だった。高尚な本を読んでいたわけでもないので、恥ずかしさが先にたったが、うれしくもあったのだろう。
そのころ、先生は、40代後半だった。カトリック信者だったが、堅苦しさはなく、授業の本題から離れた雑談は、聞いていて面白かった。そもそも教師になる際に、女子校だと思って応募したら、男子校だったと話していた。
授業中も「本を読め」と時折話していた先生としては、多読する生徒がいるだけで、うれしかったのかもしれない。部活とは別に、校内誌を編集する出版委員会の仕事をするようになったのも、先生が背中を押してくれたからだ。様々な文章を書くことも大事だと先生から言われ、下手な小説を校内誌に書いたこともある。
大学を出て、記者という職業を選んだのは、「文章を書ける仕事だから」というのが最大の理由だった。生徒に甘くはない室田先生に認めてもらったことで、「(自分は)文章が得意だ」と思い込み、それが職業選択に影響した。
記者になってみれば、自分より文章が上手な人はいくらでもいた。文章力にせよ取材力にせよ、追いつけない人たちがいるとわかった。それでも30年以上記事を書き続け、最後の数年は、定期コラムも持たせてもらえた。苦しいことも少なくはなかったが、ありがたい経験を積ませてもらった記者人生だったと思う。
■ご長女からの手紙
さて、冒頭に記した話である。
今年4月から私は、帝京大学で、「文章を書く」ことを通じて「論理的思考」を鍛えることを目的とした講義を担当している。6月に、学生たちから、質問を受ける時間を設けたところ、「そもそも、なぜ新聞社の記者になったんですか」と聞かれた。「文章を書く仕事をしたかったからなんだけどね。中学・高校時代の国語の先生から褒められた経験がなければ、記者になることはなかったと思う」と話した。
ちょうどその日のことだった。大学から自宅に戻ると、一通の手紙が届いていた。封筒の裏側をみると、室田元美とある。開封してみると、先生のご長女から、私の弔電に対してのお礼の文面で恐縮した。先生が千葉に引っ越されてからのことや、ご家族に看取られてご自宅で亡くなったご様子なども綴られていた。
先生について、「どちらかといえば保守的な考えの持ち主でした。が、購読していたのは朝日新聞でした。理由を聞くと、『少し違った考えを読むのがいいんだ』と答えました」とあった。生前、私の記事を読んでもらっていて、それが親子の話題になったこともあったという。「あれこれ思い起こせば、頑固で偏屈なところもありましたが、聞く耳をもった人でした。父の大きな耳が懐かしく思い出されます」。8月に神戸で納骨式があることも、そのお手紙で知った。
それにしても整った文章を書かれる方だなと思っていたら、元美さんは、著書もあるルポライターだと、のちに知った。
元美さんによれば、先生は、学校の仕事から戻ると家で毎日ずっと本を読んでいたという。「とにかく本が好きで、戦争直後の若いころから生活費を切り詰めて、本を買っていたようです」。心にもないことや、お世辞を言うのが嫌いで、息子や娘のことも、ほとんど褒めない人だったという。
元美さんは納骨にあたり、先生の遺稿集をまとめた。その中には、1930年に生まれた先生が、3歳で満州ハルピンに移住し、14歳で終戦を迎えたこと。その後、弟を亡くし、ハルピンで収容所に入れられ、長春に移ったのちの極貧生活の中で、煙草や豆腐を売って糊口をしのいでいたことなども書かれていた。
「ソビエト兵から銃を突きつけられたり、路地裏で殴られたり、辛い経験も多かったようです。学校へ行かずに働かざるを得ない時期が2年あり、そこから頑張って大学を卒業した中で、支えになったのが本を読むことだったのではないでしょうか」と元美さんは思う。
■アメリカと日本、「褒め方」の違い
新聞社から転職後、メディアリテラシーなどをテーマに、大学や、中学・高校で教壇に立つことが増えた。授業の進め方、特に「褒め方」について、悩むことが多い。日米という対照的な社会の中で、学校やクラブ活動を見たことで、いろいろと考えこんでしまう。
アメリカ勤務時代、息子が通っていた学校やサッカークラブでの指導を見ることが多かったが、基本的に先生やコーチは、「誉める」ことに重点を置いていた。日本の学校の部活や外部のスポーツクラブでは、部活の顧問やコーチが選手を厳しく叱責する指導法をとっているケースもあるが、それとは好対照だった。アメリカでは、失敗しても、先生やコーチから叱られるのではなく、「ナイストライ(Nice try)!」と言われることが多い。
シリコンバレーでベンチャー企業に投資を行っている投資家に取材したとき、「投資する際、起業に失敗した経験のある人のほうが、むしろ成功のチャンスが大きいと思っている」と話していたのも印象的だった。社会が、個人の失敗に対して寛容であること、たとえ失敗したとしても果敢にトライすることに価値を置いていること、一度失敗したら終わりではなく、二度目、三度目のチャンスがあること。そこは、アメリカ社会の良い点だと思うが、小さいころからの教育環境とも関係があるのだろうと感じていた。
一方で、アメリカでは、小さいころから「褒められすぎる」ために、自分の実力を客観視できなくなるリスクもある。東京のインターナショナルスクールの経営者に取材したとき、ご自身の留学時代の話となった。「『ピアノが得意だ』とみんなの前で言う子がいました。どれほど上手なんだろうと期待したけれど、弾けるのは『猫ふんじゃった』だったんですね。それは自己肯定が行き過ぎている例で、アメリカ人には『自己愛』が強すぎる人が多いという感覚はあります」
トランプ氏のナルシシストぶりについてアメリカ人の心理学者にインタビューしたときに、アメリカ人全般に、ナルシシストになる人の割合が、諸外国よりも多いという話を聞き、合点がいったものである。
■褒めると伸びる?ダメになる?
対照的に、日本で深刻なのは、若い世代の「自己肯定感」が低すぎることである。
2015年に発表された国立青少年教育振興機構の調査で、「自分はダメな人間だと思うことがあるか」との質問に対して、「とてもそう思う」「まあそう思う」と回答した高校生の割合は、日本は72.5%。中国(56.4%)、米国(45.1%)、韓国(35.2%)よりはるかに高い。
また2022年初めに日本財団が実施した「18歳意識調査」によると、「自分には人に誇れる個性がある」「自分は他人から必要とされている」「自分のしていることには、目的や意味がある」といった項目で、調査対象の6ヵ国(日本、アメリカ、イギリス、中国、韓国、インド)の中で最下位だった。
教育心理学者の榎本博明氏は、『ほめると子供はダメになる』(新潮新書)の中で、自己肯定感を高めようといった狙いから、「褒めて育てる」べきという考えが、近年、日本で広まったことに懸念を表明している。欧米と文化が根本的に異なる中で、褒めて育てても必ずしも自己肯定感にはつながらず、むしろ弊害が大きくなる可能性もあるという。「大切なのは、どういうときにほめるか、どのようにほめるか、褒めることと叱ることのバランスをどうするか」と榎本氏は記す。
ほめられることで自信がついても、脆い自信では意味がない。確かな自信、ほんものの自信とは、自分の必死の努力が実を結ぶことにより、自己効力感(自分はやればうまくできるという感覚)がしだいに高まってきて、永続的な自信になるということだろう。(中略)そうした努力なしに、ただほめられることでエネルギーを充填してもらうだけでは、すぐにエネルギーが枯渇するため、たえず賞賛を求めることになる。それはほんとうの自信につながらないほめ方をされていることになる上記同書より引用
スタンフォード大学のキャロル・S・ドゥエック教授(心理学)は、「硬直的なマインドセット(fixed mindset)」なのか、「成長マインドセット(growth mindset)」なのかで人生が変わってくると著書で述べている。親が、子供の頭の良し悪しや才能の有無にこだわると、「硬直的なマインドセット」(裏を返せば、挫折しやすい子)になりやすい。「成長マインドセット」が育つように、親や教師が、うまい方法で粘り強く勉強や練習を重ねて成し遂げたことなどを褒めるのが望ましいという。才能や結果ではなく、努力や成長といった「プロセス」を褒めることが大切、ということだろう。
思い返せば、私が室田先生に褒められたのも、多くの本を読むという「プロセス」であって、「才能がある」と言われた記憶はない。おそらく、多読したり、文章をたくさん書いたり、校内誌を編集したりするうちに、少しずつ国語力・読解力が上がると考えておられたのであろう。そして、あまり生徒を褒めない先生だからこそ、たまの褒め言葉が「自己効力感」に結びついたのかもしれないと思う。
■一生学び続けることの大切さ
記者は、人に会い、各地を旅する職業である。さまざまな国や地方で、多くの魅力的な方々と出会い、生き方を学ばせてもらった。と同時に、3−40年の間に、国や企業が、想像を超えて大きく成長したり衰退したりすることも学んだ。
そんな経験を経て教壇にたつ今、教育にとって最も重要なのは、生徒たちに「一生にわたって学び続ける習慣」を身につけてもらうことなのではないか、と感じている。
これだけ変化の激しい時代である。誰も確かな未来、確実に成功する仕事などはみつけられない。変化に対応するには、社会人になっても、学び続けなければならない。本を読むことは学ぶ上での大事なツールの一つだろう。
私にとって、先生による多読の勧めは、その後の人生を左右するものだった。人によって、恩師は科学の先生かもしれないし、体育や美術の先生かもしれない。中学時代に出会うかもしれないし、大学かもしれない。いずれにしても、還暦も近くなった今、教師という職業の重みを思う。
教える側にいるときに、学生がよい課題や小論文を書くと、多少の難点があっても、つい褒めてしまう。学生の励みになればと思うからだが、「褒めすぎはよくない」と自分に言い聞かせる。「褒め方」や「褒めるタイミング」は難しく、いまだ試行錯誤中である。