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優しいコミュニケーションが暴力に変わるとき。百瀬文の作品が突きつける問題

アートから世界を読む 更新日: 公開日:
《Social Dance》(2019)
《Social Dance》(2019)

人は、コミュニケーションを通してどれだけ分かり合えているのでしょうか? それが女と男、ろう者と聴者の間だったら? コミュニケーションのあり方を問う映像作品を、東京藝術大学准教授の荒木夏実さんはどう読み解くのでしょうか。

ベッドに横たわる女とパソコンに向かう男。女が布団を軽く叩く。その動きと音は激しくなり、気づいた男が振り返ってその手を握る。やがて女が手話で語りはじめ、その内容を表す言葉が画面に現れる。

個展「I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U」で発表された百瀬文の《Social Dance》は、強い印象を残す作品だった。映像の登場人物2人は、ろう者の女性と聴者の男性で恋人どうしという設定である。女は、男とソウルを訪れた時に「旅行者と気づかれると危ないからきょろきょろしないで」と言われて傷ついたことを訴える。「目で生きている」ろう者の自分を全て否定されたように感じたと。男は謝りながら優しく女の手を撫でる。しかし女の怒りは治まらない。以前男の口の動きからその意味を読み取れなかった際に「いちいち顔をしかめないでくれ」と言われたことに憤慨する。

聞こえない世界で、目から情報を読みとることが生きる術であるろう者と、「悪気なく」自分のやり方を通そうとする聴者のディスコミュニケーション。男はなだめるように女の手を押さえる動作を繰り返すが、それはろう者の口をふさぐ行為に等しい。女の感情が高まるにつれ、男の手は女の言葉をさえぎり、揉み合い状態になる。手を握るという慰めの仕草は、優しさから暴力へと変容する。

《The Interview about Grandmothers》 (2016)
《The Interview about Grandmothers》 (2016)

百瀬は映像を用いて、アイデンティティや身体が揺らぐ感覚を追求してきた。例えば《The Interview about Grandmothers》では、百瀬の祖母2人にインタビューする映像の中で、語っている「声」がどちらの祖母のものかわからない状況が表現される。目の前に実際の人間がいれば、主体と声の一致を確認できるが、映像というトリックによってその基本的なファクトが疑わしくなる。作品がドキュメンタリーのように展開していくがゆえに、見る人の戸惑いは増す。「主」に所属しているはずの「声」は宙に浮き、着地点を見失う。虚実の境界が曖昧になる。

《I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U》(2019) 個展「I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U」より ”I can see you”という文をモールス信号に変換し、アーティストが自身の目のまばたきによってメッセージを送信しようと試みている。
《I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U》(2019) 個展「I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U」より ”I can see you”という文をモールス信号に変換し、アーティストが自身の目のまばたきによってメッセージを送信しようと試みている。

《Social Dance》において「声」は複数の媒体によって表現される。手話、そして日本語と英語の文字情報である。手話の動きに添うように、テキストは画面の下ではなく中央に流れる。手話が途切れるたびに文字が止まる。男が手話の動きを遮る瞬間に文字がフリーズすると、痛々しさが増幅する。コミュニケーションのもどかしさ、女の傷と怒りが人物と文字の動きによって伝わってくる。

《Social Dance》(2019)
《Social Dance》(2019)

ここでの「男」の存在は、マスキュリニティやマジョリティのもつさまざまな無神経さを象徴しているといえるだろう。優しさをまとった無理解や断定に対する悔しさと諦めの気持ちに、強い共感を覚える。しかし女の次の言葉にはっとするのだ。

「あなたは、いつも”想像すればだいたいのことはわかる”って言う。想像すればわかりあえるって思ってる。ただ想像するだけで済ませてる。」

この切実なメッセージから、自分自身が他者に対して行っている傲慢な態度にも気づかされる。聴者の立場からろう者を「想像」することや、誰かをステレオタイプなイメージで判断すること。他者の傷みをわかったかのように振舞うこと。未知や無知を放置して「ただ想像するだけで済ませる」ことを、人は繰り返している。

本作の制作は、百瀬が出演者のろう女性をインタビューするところから始まった。彼女の過去の恋人との話を元に、フィクションに仕上げている。「想像」に関するくだりは女性自身が実際に語った言葉で、百瀬の心に突き刺さったという。想像力が不可欠なアーティストにとっては自分に突きつけられる問いである。「想像で終わることなく、その先に行く方法をアートを通して考え続けたい」と百瀬は語る。

 《Jokanaan》(2019) 個展「I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U」より Photo:金川晋吾 Shingo Kanagawa モーションキャプチャー技術とCGのイメージを用いてオペラ「サロメ」の独唱シーンを表現。「見る」「見られる」という関係性や主体が混乱していく。
《Jokanaan》(2019) 個展「I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U」より Photo:金川晋吾 Shingo Kanagawa モーションキャプチャー技術とCGのイメージを用いてオペラ「サロメ」の独唱シーンを表現。「見る」「見られる」という関係性や主体が混乱していく。

大胆な感覚の実験を繰り返す百瀬の作品を通して「コミュニケーション」という根源的な問題が浮き彫りになる。こぼれ落ちるメッセージ、ずれる方向。わかりあうことがほぼ幻想のようにみえる世界で、それでも人は相手の動きを探りながらステップを踏み、「社会的ダンス」を踊り続ける。男と女、強者と弱者、加害と被害、優しさと暴力の曖昧な境界を行き来しながら。