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「フムス戦争」の舞台に飛び込んだゴーン被告の大誤算 レバノンは安息の地になりうるか?

中東を丸かじり

対立でパスポート2通の発給も

フランスの2通の旅券(パスポート)を所持するゴーン被告は、日本を脱出した後、そのうちの一つを使い、まんまとレバノンに入国した。かつて通信社特派員としてエルサレム支局に駐在していた筆者も、日本政府から2通のパスポートの発給を受けていた。レバノンなどの複数の中東諸国は、イスラエルのビザがあると入国できない。このため、日本の外務省は便宜的に、この地域を行き来するジャーナリストや企業関係者らに2通のパスポートを発給する。ゴーン被告も、こうした理由によりフランス政府から2通のパスポートを取得していた可能性がある。

イスラエルとレバノンの対立原因は、領土争いにある。レバノンやイスラエルがある土地は、東地中海沿岸地方のレバントと呼ばれてきた。中東では1900年代にレバノンやシリア、イスラエルなどの国々が次々に誕生して、レバントという名称を聞くことも少なくなった。この名を世界に再び知らしめたのは、過激派組織「イスラム国」(IS)の前身イラク・レバントのイスラム国(ISIL)だった。この地域に列強主導で線引きされた国境線に関係なく活動を広げる思惑があった。

オリーブ畑が広がるレバノン北部=池滝和秀撮影

イスラエルは、シオニズム(ユダヤ人国家建設運動)を通じて1948年に建国された比較的若い国家。これに対し、アラブ諸国はパレスチナの領土などをめぐって反発し、イスラエルを承認せず、度重なる戦争に発展した。イスラエルの隣国であるエジプトやヨルダンは、イスラエルと平和条約を締結したものの、レバノンは、サウジアラビアやシリアなど他のアラブ諸国と歩調を合わせてイスラエルとの国交を樹立していない。

レバノンの場合、イスラエルが建国された歴史的な経緯や、建国前後の混乱と数次に及ぶ中東戦争でパレスチナ難民やその子孫約45万人を抱え込んだ事情から反イスラエル感情は根強い。加えて、イスラエルの「宿敵」であるイランの支援を受けたイスラム教シーア派武装組織ヒズボラが社会や政治において大きな影響力を持っていることも、反イスラエル感情を増幅させている。ただ、こうした国家対国家の対立は、意図的に作られたり、誇張されたりするケースもあり、注意が必要だ。

フムスは結婚式の饗宴にも登場=パレスチナ自治区ナブルス近郊、池滝和秀撮影

イランの場合を見てみよう。かつてイランは、親イスラエルの国だった。イスラム教スンニ派の敵対的な国家に囲まれたイスラエルにとって、シーア派のイランは自然な流れで生まれた同盟相手と言えた。両国間では、航空機が行き交い、貿易をはじめとした経済活動も活発になった。イスラエルと同様に、イランは米国とも緊密な関係を構築した。イラン軍が今も多数の米国製戦闘機を運用するのは、こうした歴史の名残である。

転機となったのが1979年のイラン・イスラム革命だ。これを境にイランとイスラエルの関係は180度転換した。ホメイニ師らシーア派国家建設の指導者たちは、イスラムが西側の価値観に脅かされていると判断し、「米国に死を、イスラエルに死を」と叫んだ。西側を主導する米国を「大悪魔」と表現し、パレスチナ人の権利を蹂躙して樹立されたイスラエルを憎むことになった。

対立を政権強化の政治利用も

だが、イラン国民が一夜にしてイスラエルを憎むようになるというのは、不可解な話だ。テルアビブ大学のイラン研究者ドロン・イツハコフ博士は論考で「ホメイニ師はイスラエルに対する憎悪を政権を強化するために使える『道具』と考えた。そして、イランの体制にとって、こうした憎悪が中核に位置付けられ、イランのアイデンティティを形成することになった」と解説する。

話をレバノンに戻そう。ヒズボラはイランのイスラム革命の影響を受け、82年にイラン型のイスラム国家樹立を目指して設立された。イランによるイスラエル敵視政策と歩調を合わせており、2006年にはヒズボラとイスラエルが戦火を交えたレバノン紛争も起きている。ゴーン被告がイスラエルを訪れた08年は、紛争で道路や橋、空港などインフラが破壊された後、レバノンが復興途上にあった時だ。

ゴーン被告は、自身のイスラエル訪問はルノー・日産アライアンスの会長として電気自動車ベンチャー事業に絡むもので、「フランス人としての立場で訪問した」と弁明した。企業経営者として当たり前の行動のようだが、ゴーン被告がイスラエルでオルメルト首相(当時)らと握手する写真が再び出回り、「イスラエルに尻尾をふる億万長者」とか、「レバノンを見捨てた男」と糾弾されている。

フムスの発祥はどこ?

政治的な対立は、食文化にも波及する。中東を代表するヒヨコ豆のペースト料理、フムスの争いは有名だ。フムスは、レバント地方で広く食べられている料理だが、本家本元をめぐる争いが続いてきた。「栄華を誇った18世紀のダマスカスが発祥」とか、「13世紀にカイロで出版された料理本に似たようなレシピが掲載されており、エジプトが本家」との主張がある。

フムスは、イスラエルでも愛され、国民食のようになっている。だが、本家を自認するレバノンやパレスチナの人々は、イスラエルが自分たちの食べ物であるかのように振舞うのが気に食わない。「食文化の剽窃だ」と憤る。

ベイルートの軽食屋で出たフムス=池滝和秀撮影

長年くすぶってきたフムスをめぐる対立が「フムス戦争」としてメディアの注目を集めたのは2009年。レバノンの観光相は、ギネス世界記録の認定でフムスの本家論争に決着を付けることを決意。約2トンのフムスが作られた。これに対し、イスラエルにあるアラブ人の村アブゴッシュが、約4トンのフムスでタイトルを奪取するも、レバノンは2010年、10トンを超すフムスで雪辱を果たした。

アラブ系イスラエル人の女性シェフ、ノフ・アタムナ= イスマイールさんは「イスラエルが自分たちの料理と名乗っているフムスやファラフェルなど多くの料理はレバントにそのルーツがあることは変えられない事実。イスラエルの料理学校では、料理についての正しい歴史を教えている」と、正しい歴史認識に基づいて食文化を理解する必要性を訴える。

フムスすら対立の材料になるレバノンとイスラエル。周到に逃亡劇を計画したゴーン被告だが、両国の対立を背景とした意外な落とし穴に四苦八苦していることだろう。