1. HOME
  2. LifeStyle
  3. ゴーン被告が逃げ込んだレバノンは美食の国 背景には過酷な歴史も

ゴーン被告が逃げ込んだレバノンは美食の国 背景には過酷な歴史も

中東を丸かじり 更新日: 公開日:
自宅で作ったクッベ=池滝和秀撮影

特別背任などの罪で起訴、保釈中だったカルロス・ゴーン被告が逃亡した。ブラジルとフランス、レバノンの3カ国の国籍を持つ被告が最後に頼ったのは、中東の小国レバノン。そこは中東屈指の美食の国だ。世界を股に掛ける企業経営者として活躍し、最後は人脈とカネを使って逃走したとみられるゴーン被告は今頃、どんな料理を食べているのだろうか。

豊かな農産物にワインも

レバノンでは、3000メートル級の山々があるレバノン山脈のスキー場で滑走した後、地中海で海水浴を楽しめる時期もある。沿岸部の農場ではバナナが育ち、高原地帯では冷涼な気候を好むサクランボやリンゴがたわわに実る。サウジアラビアなど厳格なイスラム教を奉じる禁酒国家もある中東にあって、レバノンはフランスに委任統治された歴史を持ち、優れたワインでも有名だ。

ゴーン被告も、首都ベイルートの北方の地中海に近い丘陵地帯に、ワイン醸造所を共同創業した。地中海沿いのレストランでは、新鮮な海鮮料理に舌鼓を打ちながらワインで喉を潤す。こんな贅沢が可能になるのがレバノンだ。

残雪を頂くレバノン山脈=池滝和秀撮影

環境には比較的恵まれたレバノンだが、移民となった人も多い。それはなぜか。レバノンは列強に翻弄され、宗教的な対立や紛争が続いたことから、多くの人々が海外に活路を見出すほかなかったためだ。ゴーン被告が生まれた南米ブラジルには、レバノン系の人々が本国の人口約600万人を上回る700万人も存在するといわれる。アルゼンチンやコロンビアにそれぞれ100万人以上、米国やオーストラリアなどにも数十万人のレバノン人が住んでいるという。

ゴーン被告の祖父は、レバノンから流出した移民の第一波と位置付けられる20世紀への変わり目に南米に移住した。一族は、キリスト教マロン派だが、この頃のレバノンはオスマン帝国統治下にあり、マロン派とイスラム教ドルーズ派との対立が頻発。マロン派を中心に移民の流出が続いた。その後も中東戦争や内戦により、多くが国を後にした。

人脈や情報取集に活路

見ず知らずの土地に入り込むには、食を共にするのが手っ取り早い。レバノン移民たちは、生計をたてるために、そして食を通じて移住先に馴染むために、レバノン料理店を世界各地に開いた。今では世界で中東料理と言えば、レバノン料理を思い浮かべる人が多いほとだ。

そして、異国の地で成功を収めるためには、勤勉さが必要だが、世界に散らばった家族や親戚、友人からの情報収集も重要だ。レバノン人は、血族や地縁、同じ宗派、同胞を通じて商売や金儲けの情報を集め、海外で成功を収めた者も少なくない。ゴーン被告は、そんな「成功した移民」の代表的な存在だ。かつては大統領候補として名前が挙がり、今もその経営手腕に期待して富裕層を中心に人気を誇り、経済系の閣僚に推す声もある。

今回の脱走劇について、レバノン人ジャーナリスト、ラドワン・アキル氏は「レバノンにいるゴーン被告の友人が主導的な役割を果たし、バシール元外相らの支援があった」と話す。築き上げた人脈が逃走劇を下支えしたとみられる。

クッベやフムスが入ったレバノンの昼食=池滝和秀撮影

ただ、ゴーン被告の人気には陰りも見える。

レバノンが位置する東部地中海沿岸地方は歴史的にレバントと呼ばれる地域で、古代のフェニキア人やギリシャ、ローマ帝国の人々が行き交い、オスマン帝国やフランスの影響を受けて多様性を増してきた。このような歴史が18の宗教・宗派が混在する「モザイク国家」を形成、時に対立が深まり、移民を生み出す原因にもなった。

こうしたモザイク国家では、宗教や宗派を軸に権力が配分された結果、有力者を頂点に人脈やカネがものを言う政治体質がはびこりがちだ。レバノンは世界各国の腐敗度ランキングで180カ国中138位。有力政治家へのコネやカネがあれば、大半のことは可能なお国柄だ。指導力を期待され、富裕層に人気のゴーン被告だが、一般市民からは「レバノンに逃げ帰ってきたのは、不正を追及されない腐敗体質が必要だったため」との厳しい声もある。 昨年10月からは各地で反腐敗の大規模デモが起きており、ゴーン被告への風当たりは厳しくなっていくのではないだろうか。

野菜や豆類も豊富

ゴーン被告が逃走したのは、キャロル夫人との接触制限も大きかったようだ。レバノン人たちは、家族で食卓を囲み、飲み食いしておしゃべりするのが大好きな国民性。クリスマスや年末年始を1人で過ごすなんて、ゴーン被告でなくても寂しいと感じるだろう。非合法手段を使って再会を果たしたゴーン夫妻は、どんな料理を食べているのだろうか。

レバノン料理も、レバントの料理を基礎に様々な文化を取り込んでいる。代表的なのは、牛肉と松の実、スパイスを混ぜた具を、挽き割り小麦と牛ひき肉をこねた皮で包んで油で揚げたクッベ。肉のパイ料理、スフィーハもよく食べられる。ヒヨコ豆を茹でてタヒーナと呼ばれるゴマペーストをまぜたフムスをはじめ、野菜や豆類をたっぷり使った前菜がテーブルを埋め尽くす。大量のパセリにトマト、挽き割り小麦、キュウリ、ミント、玉ねぎを刻んでレモンで味をまとめたタッブーレも、レバノンの食卓には欠かせない存在だ。

キヌアを使ったタッブーレ=池滝和秀撮影

レバノンで選挙が行われる際には、世界各地に散らばるレバノン人が大挙して一時帰国する。筆者がかつて訪れたレバノンの村でも、久しぶりの再会を喜ぶ家族や親族たちの姿があった。そんな時に彼らが食べていたのがクッベだった。手間暇かかる料理だが、レバノンに帰ってきた家族たちが故郷を感じる味である。