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「箱の中」「安定」から飛び出したデジタルノマドたち タイの人気滞在施設には日本人も

World Now 更新日: 公開日:
中国出身の元高校教師レベッカさん
中国出身の元高校教師レベッカさん=2025年12月5日、タイ・チェンマイ、金成隆一撮影

アジアの街々で出会ったデジタルノマドの働き方や暮らし方を伝えるルポ連載の第3話は、タイ北部の古都チェンマイから。北京の名門校でのキャリアを捨てたレベッカさん(29)と、日本での「安定した就職」を選ばなかったリサさん(24)を紹介する。「箱の中」のような息苦しさから抜け出し、「明日死んでも後悔しない」ための日常を過ごす2人は、組織に依存せず、自分の羅針盤で「今」を生きていた。

7時半、近所の犬の鳴き声とバイクの走行音で目が覚めた。

タイ北部のチェンマイにある宿泊施設「Alt_PingRiver」で、私は朝を迎えた。長崎での取材中に出会い、第2話に登場したラトビア出身のデジタルノマド、サマンタさん(24)が紹介してくれた場所だ。

近年、世界各地で、人々が共に働く「コワーキング(co-working)」施設が増えているが、今回は、働くだけでなく、同じ敷地内で宿泊もできる「コリビング(co-living)」施設だ。

私は202512月、この施設で1週間を過ごした。欧米や東アジアが真冬ということもあり、温暖な気候を求めるデジタルノマドら30人以上で満室だった。

繁忙期の今は、最も狭い1人部屋で145ドル(6連泊の場合)だが、大半は1カ月単位の滞在で半額ほどの割引を受けている。

タイ北部の古都チェンマイにあるコリビング施設「Alt_PingRiver」。右と奥の建物が居住スペース、左がコワーキングスペースで、中央がくつろぐ広場になっている
タイ北部の古都チェンマイにあるコリビング施設「Alt_PingRiver」。右と奥の建物が居住スペース、左がコワーキングスペースで、中央がくつろぐ広場になっている=金成隆一撮影

朝食のため共用キッチンに行くと、タンクトップ姿の男性がバナナを食べながら、ゆで卵を準備していた。イスラエル出身のデータ・サイエンティスト、ハギさん(60)だ。

「ストロングなコーヒーじゃないと目が覚めないだろ?」と私にも一杯入れてくれた。企業幹部を務めた後、3人の子どもが独立するのを待って、単身でチェンマイに拠点を移し、写真や動画を使った、高齢者の孤独緩和のサービス開発に没頭中。記憶力が衰える86歳の母と接していて、思いついた構想を形にしようとしているという。

キッチンには、コーヒーメーカーがあり、朝一番に来た人がポットにたっぷりと作り置きしておく。テーブルの中央には、バナナやオレンジ、ヨーグルト、パンなどが用意されている。

 

名門高校教師が「ストレス」から逃れた理由

タイ・チェンマイにやってきた経緯を振り返る中国出身の元高校教師、レベッカさん
タイ・チェンマイにやってきた経緯を振り返る中国出身の元高校教師、レベッカさん=2025年12月5日、金成隆一撮影

しばらくハギさんと雑談していると、次に中国出身の元高校教師レベッカさん(29)がキッチンに姿を見せた。「レベッカ」は英語名だ。

全員が初対面。ハギさんが「あなたのストーリーを教えて」と聞くと、レベッカさんは「ストレスから逃れてきた」と語り出した。ねえ、ちょっと聞いてよ、という打ち解けた雰囲気で、輪に溶け込むのがうまい。

中国の大学院を卒業し、北京の名門高校の英語教師という地位をつかみとった。地方出身者として社会階層を駆け上がったが、5年ほどの勤務で限界を迎えたという。

「仕事を辞めた最大の理由は、ストレスが多すぎたこと。良い大学への入学試験で、生徒や親だけでなく、教師も大きなストレスに直面する。教師への高い要求があり、朝7時から夜8時まで働かなければならないし、週末の残業もある。特に最終学年は入試を目前に控えているので大変だった」

職場にも違和感があったという。

「昇進はリーダー次第。難関大を目指す生徒の成績を上げることが大切なはずなのに、それよりリーダーに従順であることが求められた。まるでイエス、イエス、イエッサーの繰り返し。重要なのは、行儀良く振る舞うこと。どんなにがんばって、生徒をよい大学に送り出しても、それは関係ない」

そして少し間を置いて、強調した。「ずっと、ずっとケースの中、箱の中にいるような感じだった」

当時を思い出しながら語っていたのだろう。最後の部分に感情がこもっていた。同じような思いで毎日職場に通っている人は、日本社会にもいることだろう。

「今この瞬間」を生きる決意

これら職場でのストレスに加え、レベッカさんには「社会」からのプレッシャーもあったという。

30歳前に結婚し、子どもを持つべきだと言われている。年齢ごとにやるべきことがあるプレッシャー。私、29歳だしね」

それで10カ月前、教師の仕事を辞め、オンラインで英語を教えるフリーランスに転身した。相談した親友も背中を押してくれた。既に13~18歳の生徒10人を抱えており、慣れてくれば20人まで増やす。生徒らの長期休暇には帰国し、対面でも指導する計画だ。

温暖なチェンマイをSNSで知り、寒い北京からやってきた。デジタルノマドは初トライだが、教員時代よりすでに稼げているという。

「ストレスになるので、いわゆる成功を追い求めない。ラテン語のCarpe diem、今この瞬間を大切に生きたい。これまでのような、年齢で区切る目標も持たない。それに人生は様々な経験で満ちているべきだとも思う。一つの場所にずっといるのは退屈です」

中国出身の元高校教師レベッカ
中国出身の元高校教師レベッカ=2025年12月5日、タイ・チェンマイ、金成隆一撮影

今は自分がボス、とも強調した。

今後も誰かに雇われるのではなく、自分のスキルで稼いでいくことが目標だ。中国のSNSにチャンネルを設けて発信を強め、子どもだけでなく、大人にも英語を教えていきたい。「英語教育の分野でのインフルエンサーになりたい。中国には14億人の市場があるし」と話した。

気付けばキッチンに人が増えていた。冷蔵庫の横で立ち話している2人組の議論に耳を澄ますと、台湾出身のソフトウェアエンジニア(27)が、スペイン出身のデザイナー(35)に生成AIの誕生で仕事の進め方がどう変わったかを質問していた。

こんな風に朝食のキッチンで毎日のように誰かと知り合えた。

コリビング施設で出会った唯一の日本人

コリビング施設の滞在者の多くは朝、ジムやムエタイ教室、水泳など、運動で施設の外に出掛けていく。健康的なルーティンを日々の暮らしに組み込んでいる姿がうらやましい。

私も午前8時、ジョギングに参加した。宿泊者が参加するミーティングで決まったイベントの一つだ。

朝、ジョギングに出たデジタルノマドら。全員がタイ・チェンマイにあるコリビング施設に滞在していた
朝、ジョギングに出たデジタルノマドら。全員がタイ・チェンマイにあるコリビング施設に滞在していた=2025年12月3日、金成隆一撮影

そこで日本人のコンテンツ開発者、女性リサさん(24)と一緒になった。施設には30人以上が泊まっていたが、私以外では唯一の日本出身者だ。

インタビューをお願いすると快諾してくれた。

彼女は、日本での学生時代にアメリカに留学し、将来について「海外でキャリアを積み上げる方向に全振りしよう」と方針を決めた。企業への就職を選ぶ同級生が圧倒的に多い中、就職せず、ワーキングホリデーでオーストラリアに2年間滞在した。

現地では、ホテルのフロント業務やカフェのバリスタなど、接客業をフルタイムでこなして英語力を磨いた。教科書に載っているのとは違う、実践的な英会話だ。

カードゲームを楽しむ日本出身のリサさん(中央)
カードゲームを楽しむ日本出身のリサさん(中央)=2025年12月3日、タイ・チェンマイ、金成隆一撮影

同時に簡単に解雇される不安定な就労も経験したという。

「日本と比べると、オーストラリアではバイトはすぐに首にされるんです。お店の経営が傾いたり、客足が減ったりとか、どんな事情でもすぐに首にされる。最近お店が静かになってきたから、ごめんやけど、来週から来なくていいよ、と。ワーホリ生からしたら生活がかかっているので、仕事がなければオーストラリアで生きていけない、死活問題でした」

仕事という肝心な部分を、自分の努力ではコントロールできない現実。やはり、そんな生活では気持ちが安定しなかった。

「だから、自分でお金を作れる環境を作れば、海外でも安心して暮らせるかなって思い、誰かに依存するんじゃなくて、自分でやろうって考えるようになった」

そこで、今の自分が持っている強みを考え、育ててきたという。

実践的な英語力、ソーシャルメディア、そしてワーホリでの苦労体験の3点だ。

オーストラリア在住の頃から、自分の英語での日常会話をこまめに録画し、SNSで発信している。日本での英会話への関心は高く、フォロワーは4万人を超えたという。

同じように、今のコリビング施設でも、英語を話して暮らす自分の様子をこまめに録画している。次のSNS発信などに向けたコンテンツとして活用するためだ。

オーストラリアでは、フルタイムで働くと、日本円で月額40万円を稼げた。その貯金を元手に、ワーホリ志願者向けの動画講座の開発を日本人向けに進め、販売を始めている。

肩書は「ワーホリ教育コンテンツ開発者」で、簡単に言えば、ワーホリのサポーターだ。

実践的な英会話はもちろん、現地での仕事探し、履歴書の書き方、面接対策、部屋探しなど、「せっかくワーホリに関心あっても、不安になる要素、歯止めになってしまいそうな要素」を取り除く講座をめざしている。

「幸福度がすごく高い」

日本出身のリサ
日本出身のリサさん=タイ・チェンマイ、金成隆一撮影

講座や宣伝用SNSのコンテンツ制作に打ち込む日々だが、「働いてるっていう感覚じゃない。自分のために、自分のやりたいことをできてるから、幸福度がすごく高い」。

コリビング施設で出会えるデジタルノマドには、起業の経験者やマーケティングのプロが多く、支え合う文化もあり、日々の暮らしの中で学ぶことの連続だという。

大学卒業時の決断をいま振り返ると、どうですか、と聞くと、「良かった」と即答した。

「日本で就職する道を選択していたら、そのマインドセットは、どっちかっていうと『(本心からの)逃げ』だった。やっぱり安定がいいから、海外に行ってどうなるか分からないのが怖いから、守るためにこっちに行くっていう。リスクを取って海外に行ったことで出会えた人脈や、人生の道が切り開けたことで、リスクや不安はあったけど、それらを総合しても、やっぱりこっちの方が、好きなことをして生きる方が圧倒的に幸福度が高い」

そして、こう続けた。

「もう本当に明日死んでもいいと思えるぐらい、好きなことをして生きる人生を歩めているなって思う」

中国出身のレベッカさんと日本出身のリサさん。

2人はいずれも、従来の価値観では「安定」とされそうな道を自ら降りて、自分の羅針盤に従って歩み始めていた。

起業家やフリーランスが多いコリビング施設には、そうした選択をした人が目立つ。次回は、コリビング施設で出会った2人の韓国人の話を伝えたい。