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グローバル化との向き合い方 自分の声が反映される仕組み、どう取り戻すか

World Now 更新日: 公開日:
閉鎖が決まった東芝青梅事業所 photo:Toh Erika

欧州や米国で渦巻くグローバル化への反発や怒りは、日本では目立たない。では何も起こっていないのか? ただ反応が違うだけなのか? 東京都の西部・多摩地域に、その手がかりを探した。

「青梅事業所を来年3月末に閉鎖」

東芝は10月半ば、青梅市にある事業所を閉めると発表した。東芝が世界初のノート型パソコン「ダイナブック」を開発・生産した場所だった。

事業所ができた1968年、山梨県の工業高校電子科を卒業した羽田和人(66)は技術者として東芝に入った。ダイナブックが90年代に世界シェア首位となり社内が沸き返った様子を、今も覚えている。

だがその後、新興国が安い人件費を武器につくる低価格のパソコンやタブレット端末などに押されていく。東芝はパソコンの生産拠点を2005年、中国の杭州に移した。

それと軌を一にするかのように、「給与が上がらなくなった。子どもを私立学校に行かせるのをやめたり、住宅ローンの支払いに困ったりという声が同僚から聞こえ始めた」と羽田は振り返る。

羽田自身も、同じ多摩にある日野工場に異動した。携帯電話をつくっていたが、スマートフォンの時代になると、ここでも海外勢に敗れる。東芝は携帯事業から撤退し、日野工場を11年に閉めた。羽田はその前年に定年退職した。

地方より最低賃金が高い多摩だけに

多摩はもともと戦時中に多くの軍需工場がつくられた流れから、戦後も製造業とともに発展してきた。高度成長期の60~70年代には働き手とその家族が集まるベッドタウンとなり、多くの中間層が安定した暮らしを送ってきた。

だが東芝の例でみたように、ここ数年、グローバル化の波にのまれ、製造業大手の工場の閉鎖や移転が相次いでいる。日本無線の三鷹製作所は9月末までに、中国や長野県に順次移った。日野市にある日野自動車の本社工場は、茨城県古河市への移転が進んでいる。

多摩信用金庫地域経済研究所によると、多摩30市町村で83年に1万以上あった工場は、08年に約4割減って6000あまりになった。工場の従業員数も、85年の約23万7000人から4割近く減って約15万人となった。研究所の中西英一郎(30)は「多摩は東京都だけに地方より最低賃金が高い。製造業では生産拠点を地方や海外に移す動きが進んでいる」と解説する。

東芝OBの羽田は言う。「あの時は、まだ何とかなるだろう、と思っていた。でも下降がゆるやかだったため、気づいたら大変なことになっていた……」

(藤えりか)
(文中敬称略)

「話さなくても分かるさ」と自殺を思いとどまらせる言葉があった photo:Kamiya Takeshi

宋勝賛(31)がパトカーで駆けつけると、若い男性が橋の欄干に腰かけ、水面を見ていた。男性は警察官が来たと気づき、身を投げた。

ソウルを流れる漢江の麻浦大橋は自殺しようとする人が多く訪れることで有名だ。救助を求める通報は2012年に72件だったが年々急増。今年は9月末までで480件に上る。

宋は橋を担当する派出所に勤める。「実際に飛び降りるのは通報の2割。あの男性もなんとか助けたかった」

保護した人たちからは派出所内の「希望の森」相談室で話を聞く。窓のブラインドに寄せ書きがあった。

「ありがとう! いつもがんばるように努力します?^^! ○○○(実名)」

「冷たかった手をぎゅっと握ってくれた警察官の方。?です^^」

字の形をみると若者のようだ。「彼らは本当に死のうと思っていない。話を聞いてもらいたいのです」と宋は話した。

待っていたのは非正規職の世界

韓国では昨年から20代、30代を中心に「ヘル(Hell)朝鮮」という言葉がはやる。青年(15~29歳)の失業率が9%前後と日本の倍近い生きづらさを地獄に例えたものだ。ヘル「韓国」ではない。生まれながら身分が決まっていた朝鮮時代になぞらえたためだ。

韓国はグローバル化の波に乗り、また翻弄されてきた。1960年代後半から輸出をテコに高度成長が始まる。96年に経済協力開発機構(OECD)に入り、グローバル基準に合わせた経済の開放や規制緩和が進んだ。だが金融機関の監督や企業経営の透明性を高める政策は後手に回る。これが97年の「IMF(国際通貨基金)危機」につながった。

危機対応にあたった大統領、金大中は市場原理を重んじる改革を行った。経済は立ち直ったものの所得格差は広がり、多くの失業者が出た。「ヘル朝鮮」を叫ぶ世代は、このころ多感な10代を過ごした。親のようにリストラされない競争力をつけたい。親もそれを望んだ。塾にお金をつぎ込み、国外に留学した。

だが厳しい受験競争を経て入った大学を卒業するころ、08年の世界経済危機に見舞われた。待っていたのは、政府統計で3割余り、労働組合発表で5割前後が非正規職という世界だ。

ソウル市職員の倍率が288倍に

安定した職を求め、公務員試験に受験者が殺到する。今年のソウル市職員(一般行政職7級)の倍率は288倍だ。ソウルの一角には公務員試験対策を専門にする塾と、安い下宿屋が集まる。南炳圭(24)は地方の大学を休学し、ここで部屋を借りる。「専攻は機械だけど働き口がなさそうで警察官に切り替えた。お金は長く続かない。短期の勝負だ」

20代、30代より上の世代は、そこまで悲観的でない。違いはグローバル化と経済成長の記憶にあるようだ。「ヘル朝鮮」から逃れようと移住する若者を描いてベストセラーとなった『韓国が嫌いだから』の著者、張康明(40)はこう話す。「欧米や日本と比べて韓国の高度成長は『ついこの前』。40代以上は、その記憶に基づいて今もものを考えている」

「ヘル朝鮮」世代への前向きな見方もある。LG経済研究院の研究委員、金炯柱(46)は「彼らは国境を越えることに怖さをほとんど感じていない」と語る。

金の息子も日本の大学を選んだ。「留学先で就職する人は増えている。国外での経験を求める韓国企業も多い。若者の中では本当のグローバル化が始まったのかもしれません」

(神谷毅)
(文中敬称略)

「日本は皮肉な安定」竹中平蔵氏に聞く

世界経済フォーラム(ダボス会議)の理事会で、他国の理事に言われました。「どの国でも社会の分断が起きているのに、日本社会はなぜ安定しているのか。日本は先進工業国の中で比較的例外だ」と。

私は二つの可能性を挙げました。一つは皮肉ですが、改革や規制緩和が遅れているから。配車サービス「ウーバー」も民泊「エアビーアンドビー」も本格的には進出していないから、タクシー業界も旅館業界も安泰で、ドラスティックに変わっていない。結果的に日本は経済がよくない状態で社会が安定している。

もう一つは米国があまりに弱者のケアをせず、所得格差が飛び抜けているのに比べて、日本は一億総活躍とか地方創生とか、議論が分かれるけれども政策で一応ケアしている。だから米英のようなハイパーポピュリズムが起きていない。

しかし、このままではよくない。安倍内閣の支持率が高く、相対的には間違いなく安定しているけれど、これが持続できるかどうか、懸念される。{!-- peekpoint[PM] --}給食費が払えない家庭が増え、若い人たちの平均所得は下がっている。国内の格差はまだましだけれど、他国との格差が広がっていることには無頓着。相対的にすごく貧しくなっている。このままだと介護難民が増え、だんだん社会は不安定化しますよ。

グローバル化は、かつて元米国務長官のライスが言ったように、選択の問題ではなく事実、起きていること。二つのことを徹底してやらなければならない。一つは規制緩和を徹底して進める。私はずっと政策の勉強をしているが、いまだに「え、そんな規制あったの」というものがある。もう一つはセーフティーネットの改革も同時に進める。生活保護受給者は、ちょっとでも働いたら生活保護費が減らされる。それはおかしい。本当に必要な人にお金がいき渡っていない。一定の所得以下の人は「負の所得税」として現金給付を受けることができる給付付き税額控除をやるべきです。セーフティーネットの重要性は、小泉構造改革の時より明らかに高まっています。

私は改革したことを批判されたけど、むしろ改革できなかったことを批判してくれ、と思いますよ。
(聞き手・藤えりか)

Takenaka Heizo  1951年、和歌山市生まれ。小泉政権で経済財政担当相、総務相などを務める。2004~06年参院議員。現在、東洋大学教授・慶応大学名誉教授。


「ほどほどのグローバル化」模索を……ハーバード大ダニ・ロドリック教授

グローバル化をめぐって噴き出す困難にどう向き合うべきか、大きく二つの立場がありえます。一つは、グローバル化が不十分なので問題が起きているという考え方です。この場合、人々の不満は、無知や誤解に基づいているとし、これまで以上に国境を低くしてグローバル化を加速させることが解決策となります。

もう一つは、私たちがグローバル化による弊害を見過ごしてきたという立場で、私はこちらに立ちます。単に経済的な恩恵が自分にまで及んでいない、と人々が感じているだけではありません。自分の声がまったく反映されない、自治も主権もない世界に私たちはいる、という感覚が広がっているのです。

それが既存の中道左右政党の信頼低下と「反エリート」運動に結びつき、極端な保護主義を唱えるポピュリストや急進勢力につけ込む隙を与えました。国境の壁を極限まで低くする「超グローバル化」はむしろ、開かれた経済を維持するには逆効果なのです。

私は超グローバル化と民主主義、国家主権の三つすべてを同時には達成できないと考え、「グローバル経済のトリレンマ」と名付けました。この数十年間は超グローバル化が推し進められ、国家の機能を軽視する風潮が強まりました。しかし、所有権や貨幣制度を守る仕組みなど、国家権力による制度の裏付けがなければ市場はうまく機能しません。所得を再分配し、安全網を整える機能も大事です。世界規模の政府がない以上、市場の超グローバル化で様々な問題が生じるのは避けられません。

欧州の経験が教訓になります。単一市場を目指すEUは、ある意味「超グローバル化」を具現化した存在です。しかし、民主主義も同じように国の枠を超えられなければ、市場は長持ちしません。その結果がブレグジットです。一定の歴史や文化を共有する欧州の域内ですら、超グローバル化は難しいのです。

自分の声が反映される仕組みを取り戻すには、「超グローバル化」を、より緩やかな形に抑えこむ必要があります。これを私は「賢いグローバル化」「ほどほどのグローバル化」と呼んでいます。

これは自国の殻に閉じこもる保護主義や、一部の人を排除するような愛国主義とは異なります。資本の無制限な移動や自由貿易協定で政策の手足を最初から縛ってしまうのではなく、各国が自分の国に合った形で、たとえば格差拡大などの問題に対して財政や規制で対処する余地を残しておくことが必要です。「窓は開けるが、蚊帳は張っておく」ということです。世界は、単一の市場と見なすには多様で大きすぎるのです。
(聞き手・江渕崇)

Dani Rodrik 1957年、トルコ生まれ。ハーバード大ケネディ行政大学院教授。専門は政治経済学、国際経済学など。著書に『グローバリゼーション・パラドクス』など。

(撮影:江渕崇、機材提供:BS朝日「いま世界は」)


現代の「ラッダイト運動」は何を残すのか

フランクフルトのデモでは「ピカチュウもTTIPに反対」のプラカードが掲げられた photo: Ebuchi Takashi

秋の気配が濃厚になった9月半ばの独フランクフルトで、数万人が大通りを埋め尽くすデモに出くわした。米国とEUによる環大西洋貿易投資協定(TTIP)などへの反対運動だった。アドバルーンや手作りの派手なのぼりがはためき、ピエロに仮装する人や、TTIPの「棺おけ」を抱えた人まで繰り出した。

「米国の餌食になる」「働く条件が引き下げられる」。参加者たちは不安を口々にした。この日、ドイツ各地で計16万人以上がデモに加わったという。

欧州内や米国・中国への輸出で稼いできたドイツ経済。EU統合とユーロ導入の恩恵にあずかる、グローバル化の「勝ち組」だ。そこですら、これ以上国境が低くなることに抵抗が強まっているのだ。

今から200年前、産業革命期の英国で、自動織機などの普及で職を失いかけていた手工業者や労働者が、機械の打ち壊しに打って出た。世界史の教科書に出てくる「ラッダイト運動」だ。いま世界で起きている反グローバル化の波は、その現代版にも見える。

市場の後景に退いていた国民国家

新たな技術や仕組みで経済が変革期を迎えるとき、果実の分配は多かれ少なかれ偏るが、いまは先進国の働き手にそのしわ寄せがいっている。新興国にいる低賃金の働き手との競争に敗れた中年の工場労働者が、IT企業に簡単に移れるわけではない。いまは幸い仕事があっても、いつ賃金が下がり、職を失うか分からない。「豊か」とされた国々でこそ、そんな不安がついて回る時代になった。

働き手の苦境がどれだけグローバル化によるものなのか、議論は分かれる。ITや自動化など、技術進歩の影響の方が大きいという説も有力だ。それでも、人々の不満の矛先がもっぱらグローバル化に向かっているのは、技術に比べれば国家の介入によって行き先を変えられる、との期待がまだ残っているからかもしれない。その国家に、今ならまだ自分の声が届く、という望みも。

グローバル化は大地をゆく巨象のようなものだ。うまく乗れれば、その強い力で大勢を豊かにできる。中国やインドの急成長がそれを示した。一方、象が暴れて背中から転げ落ちたり、踏みつぶされたりする人も出てくる。世界はまだ、象の歩みを意のままに操る「手綱」を握れていない。不安のあまり悪影響が過大視され、「虚像」が恐れられてもいる。

思えばラッダイト運動も、まるで無益な行いのように見えて、今から振り返ればその後の労働運動につながって働き手の権利を確立し、より豊かで平等な社会を築く礎になった面がある。いま荒ぶる「怒り」の渦は、この先どんな世界を形づくるのか。その善しあしはあれ、この数十年にわたり市場の後景に退いていた国民国家が、曲がりなりにも「手綱」を取り戻す転換点になるのかもしれない。

取材にあたった記者

江渕崇(えぶち・たかし)
1976年生まれ。経済部などを経てGLOBE記者。8年前から各国の雇用を取材。「超グローバル化」を前提にするしかないと思っていたが、今回の取材で少し考えを改めた。
金成隆一(かなり・りゅういち)
1976年生まれ。大阪社会部などを経てニューヨーク特派員。ジョーの一家の取材は大統領選後も継続したいと思っている。
神谷毅(かみや・たけし)
1972年生まれ。ソウル支局などを経てGLOBE記者。グローバル化にはリスクと機会がある。今はコインの裏面ばかり見えるのかもしれない。
藤えりか(とう・えりか)
1970年生まれ。経済部などを経てGLOBE記者。混雑イメージが強かったJR中央線の本数が春に減ったと知り、多摩の人口減時代を痛感。

イラストレーション

Francesco Bongiorni
(フランチェスコ・ボンジョルニ)
1984年生まれ。ルモンド紙やニューヨーカー誌など多くの新聞、雑誌に作品を提供している。