まず大まかな歴史の流れを確認してみます。リベラリズムは18世紀、封建制や絶対王政に対する抵抗の思想でした。それが19世紀に入ると哲学者ゴーシェのいう「リベラル転回」が起き、産業革命と資本主義の発展でリベラリズムが政治経済を動かしていく原理となっていきます。それが、19世紀末の不況、さらには1929年の大恐慌を受けて、ファシズムとコミュニズムから挑戦を受けます。政治体制をめぐって「三つどもえ」の闘いとなり、これが第二次世界大戦の要因にもなりました。
最近翻訳されたマーク・マゾワーの『暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀』は、第二次世界大戦後に西欧でリベラル・デモクラシーが正当性を確立したのは、たまたま戦争に勝ったからであって、リベラリズムの思想的な原理そのものが支持されたわけではないと論じています。リベラル・デモクラシーの正当化が戦後処理と対になっていたということは、日本では加藤典洋が『戦後入門』で論証しています。
もっとも、戦前の反省から、戦後のリベラリズムは、「抑制されたリベラリズム」、つまり野放図な資本主義を統御し、階級間の均衡を重視しました。資本市場や自由貿易を国際協調のもとで管理するブレトンウッズ体制に加え、市場の失敗を補完する政府と福祉国家という「ケインズ主義福祉国家」が戦後の安定を可能にしたのです。それを背後から支えたのは冷戦構造でした。西側諸国は東側との体制間競争の中で、自らへの忠誠心を維持しなければならなかった。戦後復興と経済成長の果実は、労働者階級にも分配されることになります。
「戦前の反省」と「冷戦」という二つの歴史的要因によって、戦後になって中間層が勃興していったのです。米国の政治学者フランシス・フクヤマの見立てを借りれば、20世紀後半に中間層が生まれたからこそ、リベラル・デモクラシーは安定を実現できたのです。裏を返せば、中間層が痩せ細るということは、リベラル・デモクラシーも必然的に動揺することになります。冷戦構造が崩壊した結果、リベラル・デモクラシーは戦前のような格差を伴う原初的な資本主義の様相を強くしていきます。資本主義が国境を超える特性を持つというのは、レーニンやハンナ・アレントによる帝国主義論が指摘した通りです。1980年代以降の自由主義が新自由主義として変容を遂げ、それとともにグローバリズムの時代を迎えることになりました。ブレグジットやトランプ現象といった政治的な反動が起きたのが、英米という新自由主義に最も親和的な国々だったのは、偶然ではないかもしれません。
リベラリズムとデモクラシーは、そもそも相性が悪いのです。戦後は、この水と油の関係を、国家が双方を媒介することで両立させてきました。しかし、リベラル・デモクラシーに政治的正統性を与えていた歴史的な条件はもはや崩壊をしつつあります。
政治の側は無力なままです。政党政治の次元でみると、ポスト冷戦期になって社民勢力は、市場でのリベラリズムを追認するようになります。象徴的なのが英国です。英労働党は綱領にあった「国有化条項」を1995年に削除します。90年代後半に「ニュー・レーバー」へと脱皮した労働党は、いわゆる「第三の道」を通じて、市場原理を積極的に取り入れていきます。その一方、18年ぶりに下野した保守党は「大きな社会」や「リベラルな保守主義」など、少なくともスローガンでは、文化的なリベラリズム、つまり個人の自己決定権を認める方向に舵を切りました。女性やマイノリティーの権利を全面的に認めるようになります。同じ傾向はフランスやドイツでも認められます。経済的次元でのリベラリズムと、文化的次元でのリベラリズムが合流して、保革の既成政党による「リベラル・コンセンサス」ができあがります。
しかし、グローバリズムの中での保革による「リベラル・コンセンサス」は、それまで伝統的な社民政党を支持していた労働者や若年層、伝統的な保守政党を支持していた年金生活者や自営業者が、政治的に代表される回路を塞ぐことになりました。その結果、「グローバリズムの敗者」、アメリカ政治の文脈でいえば「非主流」の人々が生まれることになります。政治的な保革の両陣営の内部で敗者が積み上がり、それぞれを代表したのがアメリカでいえばサンダースとトランプ、そして陣営を超えて敗者を代弁しようとしているのが西欧の極右ポピュリスト政治家といえるでしょう。今回の米大統領選でも、いわゆる「ラスト・ベルト」を中心に、民主党支持からトランプ支持に乗り換えた有権者が少なからずいるとされています。
これに加え、リーマン・ショック以降のすさまじい緊縮政策が社会を痛めています。EU離脱を決めた英国については、ブレイディみかこさんの『ヨーロッパ・コーリング』がビビッドなレポートをしていますが、英国やフランスでの数年で財政赤字を半減させるような激しい緊縮政策は、両国でポピュリズム勢力が台頭する大きな要因になっています。財政破綻寸前にまで追い込まれたギリシャやスペイン、イタリアでは反緊縮を掲げる左派ポピュリズムの勢いが強い。既成政党やエリートへの不信が政治的急進化を呼び込み、中道勢力がすっぽり抜けてしまうような状況を生んでいます。これは、グローバリズムに対する漠然とした反発などではなく、緊縮策が庶民の日常生活を破壊していることへの強い不満の表れです。
先進国では80年代以降、中央値の所得が増えていません。米国では、戦後はじめて中間層が多数を割り込み、戦後の豊かさを享受してきたベビーブーマーたちは、自分たちの子の世代の生活は悪化していくと考えているとの意識調査もあります。つまり、明日は昨日よりも良くなるという戦後のリベラル・デモクラシーの約束が反故にされているのです。中間層が没落していく恐怖は、経済的な豊かさと社会的な同質性を希求する保護主義と排外主義を招いています。経済的な反グローバリズムと文化的な反グローバリズムが合流したことが、トランプのような政治的な怪物を生み出したといえるでしょう。
ただ、この「グローバル化の敗者」には、先進国社会の「ニューカマー」たる移民出身層も含まれます。かつてのように熟練工であることで豊かになれた工業社会のあり方は技術革新もあって衰退し、代わりにサービス産業化と知識経済化が進む現代社会では、働き手の「文化資本」がより重視されるようになります。特定の振る舞い方や言葉の使い方、つまり日本で言うところの「コミュニケーション能力」の高さが社会的上昇のための条件になります。しかも、リベラリズムの原則は、エスニシティや所属集団でもって個人の行動原理は説明されるべきではなく、あくまで個人の能力や教育によって行動は導かれるという建前です。だから、自身が暮らす社会と異なる文化資本を持っている移民系市民は、それは彼のエスニシティから来るものではなく、個人の選択の結果だとされてしまう。こうした文化的・社会的な基準で移民系は選別され、彼らの社会的統合は困難なものになっていきます。こうした移民系市民を中心とした「グローバリズムの敗者」は、彼らによって立て続けに起こされるテロの要因でもあります。だから、移民を排斥したからといって、グローバリズムが統御されるわけではありません。
政治エリートや彼らが進めるグローバル化が信頼されなくなったのは、アウトプット、つまり人々にとって目に見える利益が伴わないためです。西欧で欧州統合とEUが今よりも支持されていたのは、「民主主義の赤字」と言われたように国民国家を前提としたインプット、つまり投票による民主主義が抑制されていても、それに見合うだけの政策的なアウトプットがあったからです。アウトプットの量が減れば、その分インプットの量を増やそうとするのは、政治的共同体にとっての自然な反応といえないわけではない。その過程で、わかりやすい敵として名指しされるのがグローバリズムです。
これまで私たちはリベラル・デモクラシーを当然のものとして捉えてきました。しかしそれは世界大戦を含む、偶然ともいえる歴史的条件が整っていたからこそ成立した、極めてもろいものだと捉えなおす必要があるのではないでしょうか。人々がリベラル・デモクラシーを支持するのは、それがリベラル・デモクラシーだからではなく、それが自分たちの生活水準を維持し、より良い未来を約束するものであったはずだからです。それが崩れつつある以上、リベラル・デモクラシーへの支持は撤回されるしかありません。リベラリズムとデモクラシーを成り立たせることのできる条件を、歴史の偶然に頼らず、政治の力で今一度取り戻すことができるかどうか。残された時間はさほど多くないかもしれません。