「掘り出し物」の目利き、時計の道へ ドレスウォッチの伝道師・江口大介さん
2016年に東京・吉祥寺に店を構え、2024年には渋谷区の高級住宅地・松濤(しょうとう)に進出。今年7月には渋谷パルコの新店舗ができた「江口洋品店・時計店」。代表を務める江口大介さん(45)は、ビンテージ・ドレスウォッチの魅力を発信し続け、ファッションに敏感な人々を時計の世界に引き込んでいる。
高校時代に家族との関係に疑問を抱き、魚市場で働いて一人暮らしをしながら学校に通った。「朝3時から働き、月収30万円くらいあった」
転機となったのは、中古車ビジネスを手がける社長のかばん持ちとして働いた時期だ。社長と各国を飛び回り、ある国の王族のガレージに眠っていたスーパーカーの買いつけに同行。「僕のお給料は月9万円だったが、社長は1億で買った車を即、2億で売るというのが日常だった」
その後、独立してヤフーオークションで古着の販売を開始。「仕入れ」は廃品回収業者を回って衣料品のゴミの山からブランドものを掘り出すという手法。「アルマーニのスーツが一日20着とか、超高級生地ビキューナの未使用ものなんてのも出てきた。ひと山500円で仕入れて1着3万円で売った」
やがて、ずっと憧れを持ち続けていた時計を取り扱うことに。単に売買するだけではなく、壊れていても自分が価値を見いだしたものを手に入れて、修理して売る。「100本買って、商品になるのは何本か。でも、それでいいんです」
江口さんが当初から目をつけていたのは、カルティエのビンテージ時計、それもドレスウォッチだ。当時はロレックスなどのスポーツモデルが人気だったが、ドレスウォッチは人気がなく、18金のケースで作られたタンク・ルイ・カルティエという定番の時計のビンテージが30万~50万円で取引されていた。「こんなに普遍的で素晴らしいデザインで、素材も高級なのに、なぜだと思っていた」
内部機構とケースにそれぞれ製造番号が刻印されているロレックスやパテックフィリップ、IWCなどの時計専業ブランドと違い、宝飾ブランドでもあるカルティエのビンテージ時計には内部機構に番号の刻印がなかった。しかも、普及価格帯用の汎用性の高い機械が使われていることも多い。
「もし動かなくても修理や部品交換が出来るし、内部機構ごと入れ替えても『偽物』にはならない」。カルティエの時計を可能な限り仕入れ、メンテナンスして、その魅力を説きながら売る日々を送った。多くの中古時計専門店がスポーツタイプを扱っていた時代。「同業者からは、完全に変わり者だと白い目で見られていたはず」と笑う。
ところが、2010年代末あたりから風向きが変わる。ドレスウォッチの復権が始まり、なかでもカルティエは特に人気に。現在では1970年代から1980年代のタンク・ルイ・カルティエは200万円前後で取引されており、最近は江口さんですらカルティエのビンテージ時計の仕入れは困難になってきたという。
江口さんは、単に「高く売れるから」という理由では時計を仕入れない。美しさや物語性といった魅力があるかという基準で選んで、扱っている。コロナ禍の直後までは盛況だった中古時計市場だが、現在は売り上げが急激に鈍ってきた。それは「コロナ禍で時計を資産と捉えた人たちが、今ではいなくなったから」と分析している。スポーツタイプの時計は落ち込みが更に顕著で「僕は扱わなかったけど、2年前に2000万円で仕入れたら翌日に2500万円で売れたような時計が、今では中古時計店で大量に滞っている」と明かす。
逆に、今では本当に時計が好きなお客しかいないといい、「だから、今のほうが市場も健全だし、僕も仕事をしていてうれしい」と笑う。「中古車の販売でお金を稼ぐ大切さを知ったけれど、お金のためだけにやる仕事って、一番つまらないじゃないですか。それよりも、時計の魅力を伝えたい」
一般的に、時計ブランドと中古時計の販売業者の関係は良好とはいえない。ある意味、当然だ。しかし、江口さんはカルティエの新作商品展示会に招かれ、イベントに登壇することすらある。極めて異例だが、これはカルティエが江口さんのことを、自社製品が長く愛されて魅力的であることを伝える人物と見ているためだろう。