「狂騒の時代は終わる」 時計ジャーナリスト・髙木教雄さんが占う
1970年代の「クオーツショック」(水晶振動子搭載の高精度の時計が機械式に取って代わる動き)により、腕時計は一時、機械式から電子式へ完全移行したかに見えた。しかし1980年代初頭、スイスを中心に工芸品的な価値の見直しから機械式腕時計の再評価が始まり、世界の時計市場は再び動き出す。
パイロット向け時計が得意なブライトリングが1983年に新型クロノマットを発表し、モダンクロノグラフ(ストップウォッチ機能付きの時計の現代版)の先駆けとなる。その後、パテックフィリップの自社製機構による永久カレンダーなどが登場し、腕時計は単なる時刻表示器具ではなく、ラグジュアリーアイテムとして地位を再確立していく。
1990年代には、機械式時計が高い収益性を持つと判断した巨大資本が時計ブランドに触手を伸ばし、LVMHやリシュモンによる買収劇が相次いだ。ここで時計業界が再編期に突入する。
2000年代に入り、携帯電話の普及で「腕時計を着ける理由」は薄れた。一方で、それが逆に「時計とはラグジュアリー」という意識を高めた。スイスのウブロは新モデル「ビッグ・バン」の発表で成功を収めた。パテックフィリップはヒゲゼンマイ(正確に時を刻むための調速機構で使う小さなゼンマイ。時計全体の動力源となる主ゼンマイとは別物)にシリコン素材を使って耐磁性(磁気の影響から時計の精度を守る)を高める技術革新を打ち出した。
2008年のリーマン・ショックで一度は冷え込むものの、業界は拡大を続ける。「時計には資産価値がある」と認識されるようになった。
そして2015年、アップルウォッチの登場が新たな潮流を生み、現在につながる時計ブームが始まる。若い人たちにも、時計着用の習慣が出来た。意外にも、高級機械式時計業界にとっても大きくプラスに働いた出来事だった。俳優の故ポール・ニューマン愛用のロレックスが高額で落札されるなど、ビンテージ市場も過熱した。
コロナ禍によって旅行需要などが冷え込むと、高級時計熱はピークに達する。ロレックスやオーデマピゲ、パテックフィリップなどの人気モデルは、中古市場での価格が新品の定価の数倍になるという現象も起きた。
2023年後半からの中国の景気後退で、業界には陰りが見え始めているものの、ロレックスとパテックフィリップ、オーデマピゲ、カルティエなど「勝ち組」は好調な売り上げを維持したままだ。この間、日本では新興ブランドが台頭している。ハジメアサオカやナオヤ・ヒダ、大塚ローテックといった独立時計師の時計が高額で売買され、世界中の目が向けられている。
現在では時計を資産と捉えた人々が転売を見据えて競うように時計を買う「狂騒の時代」は終わりつつあり、これからは成熟の時代になる。心から時計を愛する人々が、適正な値で好きな時計を購入できる時代の幕が開くと、私は考えている。