米国大統領のジョー・バイデンはいつものように、ペンシルベニア通り1600番地のホワイトハウスに戻って職務に就くだろう。ただし、これまでの大統領の伝統とは違うことが少なくとも一つある。腕に、Rolex(ロレックス)の時計を着けていることだ。
大統領就任の宣誓式で、バイデンは文字盤が青いステンレス製のRolex Datejust(ロレックスデイトジャスト)を付けてファミリーバイブル(訳注=家族で使っている聖書)に手を添えた。この腕時計は、小売価格で7千ドル以上する。ここ数十年間では、これ見よがしに着けていたドナルド・トランプ以外は、歴代の大統領が使っていたごく平凡な腕時計とかなりかけ離れているものだ。
多くの人たちにすれば、大統領が高級時計をするのは特段おかしなことではないだろう。自由世界のリーダーなら、その立場にふさわしいパワーウォッチを身につけるべきではないのか(値段が一般的な腕時計の十数倍しようが、かまわないのでは)?
そうした考え方は、かつては広く受け入れられており、大統領執務室にはRolexのゴールドを着けて無邪気にポーズをとったドワイト・D・アイゼンハワーやリンドン・B・ジョンソンの肖像画が掲げられている。やはり「President」として知られるロレックスの名高いDay-Date(デイデイト)のゴールドならではのことがある。
しかしながら、そうした政治権力型の腕時計はインターネット時代にあっては時流にそぐわなくなった。最近の大統領や一般政治家の大半は、高級時計をエリート主義の自覚に疎い象徴とみなしているらしい。
ビル・クリントンはゴールドの時計を貴族趣味とみて軽蔑していたようで、Timex Ironman(タイメックスアイアンマン)を使っていた。それは、ワシントン・ポスト紙が1993年に書いたように「れんがみたいに厚く、ヘルニアのように出っ張ったプラスチック製のデジタル時計」だった。
後任のジョージ・W・ブッシュのはもっと安物で、ドラッグストアで売られていたこともあるTimex Indiglo(タイメックスインディグロ)だった。
50ドル以下の腕時計を選んだのは、大衆の味方――ブッシュは石油会社経営家の御曹司で、通った大学はエールなのだが――というメッセージなのか、あるいは名家の財産を相続した名門校出身者ならではの絶妙な選択ともいえる。そこでは、きらびやかなモノは何であれ低俗とみなすのである。
バラク・オバマもまた、家宝級の腕時計は避けた。大統領在任中、彼はいずれも米国製で中程度の価格帯の時計を選んだ。それらはデトロイトに拠点を置くブランドのShinola(シノラ)か南カリフォルニアをベースにしたJorg Gray(ヨーグ・グレイ)のスポーティーな時計で、値段は500ドル以下のものだ。
この事実はショックなことかもしれないが、トランプはそうした規範を打ち砕いた。彼は在任中、ブランドものにこだわり、Patek Philippe(パティックフィリップ)、Rolex、Vacheron Constantin(ヴァシュロン・コンスタンタン)といった権力者然としたゴールド――他に何があるというのか――の腕時計をキラキラさせていた。
そこで、バイデンの場合について考えてみよう。彼は両方の時計学的な感性(いかに中道主義者であるか)のバランスをとっているらしく、Rolex、Omega Speedmaster Moonwatch Professional(オメガスピードマスタームーンウォッチプロフェッショナル)、Omega Seamaster Diver 300M(オメガシーマスターダイバー300M)といったスイス製の高級な時計を誇示するのをいとわないが、どれもステンレス製で、オメガは双方とも約5千から6千ドルの小売価格帯のものだ。
公平を期すなら、スイス時計の雲をつかむような価格に慣れっこになっている時計愛好家からすれば、少なくともバイデンの腕時計はどれも「豪華」と驚くほどのものではない。
たとえば、彼のRolex Datejustは疑いようのない一級品ではあるが、別の意味では、人がすれ違いざまに振り返って見るほどのブランド品――そうした腕時計は価格がすぐに5ケタ(1万ドル台)に届く――ではなく、ほんの序の口レベルのものといえよう。
同様に、彼のOmegaは、少なくとも気取った時計マニアの目には派手さがあるようには映らない。Moonwatchは、スイス起源の腕時計だが、アポロ11号(訳注=1969年に史上初めて人類を月面に運んだ米国の宇宙船)の飛行士が月に到着した際に付けていたことで名高いモデルで、以来、米国の象徴として受け入れられてきた。Seamasterは、ダニエル・クレイグが演じるジェームズ・ボンドが(映画の撮影中に)骨折した時に着けていたスキューバダイビング用の頑丈な腕時計である。
では、バイデンの腕時計をどう評価するか?
意識したファッションの表明かどうかはともかく、高級仕様ながらマッチョでもある彼の腕時計は、ケネディ時代に高校アメリカンフットボールのスター選手で、今は78歳になるものの相変わらず頑健で気持ちが若い男――彼の飛行士用サングラスを見てほしい――として見られたいとの思いをにじませている。
そうした腕時計は、アメリカンドリームの古典的バージョンを具現化したものでもある。ペンシルベニア州スクラントン(訳注=バイデンの生まれ故郷)出身の子であれ、誰であっても、権力の頂点に上り詰めることができるということだ。
もちろん、バイデンはホワイトハウスでのミーティングにちょうど時間通り着きたいと思っているだけなのかもしれない。(抄訳)
(Alex Williams)©2021 The New York Times
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