物質感・腕試し… 薄利多売の逆を行く「独立時計師」という存在
機械式時計に作り手がこだわる理由は何なのか。浅岡肇さん(60)は、大手ブランドに属さず、個人で時計を作って売る「独立時計師」の一人。世界的にも注目を集める日本の筆頭格だ。その浅岡さんが語る。
「皮肉にも、ITなどの技術が進むほど、作り込まれた機械式時計の価値はより広く知られるだろう。金属製で物質的な重みを感じられるので」
東京芸大でプロダクトデザインを学び、学生時代から印刷・広告の仕事を請け負って月に数十万円を得た。卒業後すぐに独立すると企業広告や雑誌撮影で活躍。自身も常連客だったビンテージショップが時計を作ることになり、そのデザインを任された。時計業界との初の接点だった。
やがて、さまざまな時計ブランドの広告制作も手がけることに。「撮影に立ち会って製品の細部を観察したり、どの程度まで研磨されているかを見たりしてきた。とにかくディテールを徹底的に観察し、機械式時計って面白いなあと思い始めた」
2008年、リーマン・ショックで広告の仕事は一転して激減、時間だけが余った。それで、本人に言わせれば「腕試し」をしてみたのだった。
当時、スイスなど機械式時計の本場では、精度向上のため内部機構をゆっくり回転させるトゥールビヨンがもてはやされていた。日本のお家芸のクオーツなら安価かつ簡単に精度を高められるが、構造そのものや動きの美しさでマニアたちを魅了していた。親しい雑誌編集者から「トゥールビヨンを作ったら取材する」とけしかけられた浅岡さんは、翌2009年にプロトタイプを完成させる。「みなさんが思うほど、機械式時計の構造って難しくないんです。ただ、特異なのは部品が小さいこと。僕は、そこを少し勉強したんだ」と笑う。
4ページの特集記事がマガジンハウスの人気雑誌『ブルータス』に掲載され、銀座・和光のバイヤーの目に留まって展示販売も打診された。その後も独自に設計から製作までを一貫して手がけ、世界の愛好家に知られる存在になった。2015年には、優れた技術と実績を持たなければ入会できない国際的な横断組織「独立時計師アカデミー(AHCI)」のメンバーに。
製造や新製品開発にあたっては町工場や工具メーカーと連携するほか、2016年に東京時計精密株式会社を設立。工業デザイナーの片山次朗さんが手がける時計ブランド「大塚ローテック」の生産などを支える。
自身では、内部機構など全てを手がけるハジメアサオカ、外装デザインを担当するクロノトウキョウに加え、かつて日本の名門ブランドだったタカノも復活させた。タカノからは、仏ブザンソン天文台の精度検定に合格した証明書付きのクロノメーター(高精度時計)を送り出している。
浅岡さんは言う。「日本の製造業が衰退していくのが本当に嫌なんです。スイスの時計業界を見ると、高付加価値で競争する道を突き進んでいる。日本もそうあるべきだ」
一方で、時計の「値付け」には思うところがあるといい、「高すぎる価格は不誠実。だから、僕の時計の価格帯は控えめにしています」と語る。クロノトウキョウは20万~40万円台、大塚ローテックは一部を除いて30万~70万円台だ。「誠実なラグジュアリーとして、待ってでも買いたいという方だけにお届けしている」
時計は「タイムレスであるべし」と繰り返す浅岡さん。流行を追うのではなく、時間とともに価値を深めていく「物語の器」だと考えるからだ。「一生ものとして飽きずに使ってもらえる、普遍的な価値を持つ時計。常にそれを意識しています」