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「赤耳」デニムやツイード ランウェー彩る高級ブランド生地に日本産 選ばれる理由は

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日本ホームスパンが生産するツイード生地。フランスの高級ブランドで使われている
日本ホームスパンが生産するツイード生地。フランスの高級ブランドで使われている=2023年12月、岩手県花巻市、長谷川陽子撮影

ファッションの世界で日本発の生地が存在感を高めている。その素材は、華やかなハイブランドのファッションショーとは対照的に、のどかな地方の風景の中で生まれている。工場を訪ねると、ものづくりへのこだわりと工夫にあふれていた。(後藤洋平、長谷川陽子)

ガシャン、ガシャン。シャトル式の力織機(りきしょっき)の音が工場内に響き渡る。

JR岡山駅から車で西へ1時間。広島県境にほど近い岡山県西部、井原(いばら)市の山あいにあるクロキは日本を代表するデニム生地メーカーだ。緑豊かな自然と水、穏やかな気候に恵まれ、古くから藍染めの産地として知られた場所にある。昨年4月、日本企業として初めて、LVMHメティエダールとパートナーシップを結んだ。

協業を締結するクロキの黒木立志社長(左)とLVMHメティエダールのマッテオ・デ・ローサCEO
協業を締結するクロキの黒木立志社長(左)とLVMHメティエダールのマッテオ・デ・ローサCEO=クロキ提供

「138台ある織り機のうち、『赤耳』がつく旧式が71台で67台が新型織機。一時は新型ばかりだったけれど、旧式で織られるデニムが求められるようになって、探して古いものに入れ替えたのです」。飯居成彦営業部長が明かした。

「赤耳」とはセルビッジとも呼ばれ、旧式の力織機で生産したデニム生地の端につく、ほつれ止め加工をした箇所を指す。ジーンズの裾を返すと、多くの場合に使われる赤い糸と、その外側の白い部分があらわになり、その見た目からこう呼ばれる。

岡山県井原市にあるクロキが生産したデニム生地
岡山県井原市にあるクロキが生産したデニム生地=同社提供

新型の力織機で作った生地には、この部分がない。現在、理想のデニム生地は、米リーバイスが20世紀半ばに生産していた頃の旧式の力織機製とされ、「赤耳」のデニムは、高級品の一つの目安だ。

日本には旧式機が残っていた。デニムの「祖国」アメリカでは大量生産が可能な新型の織機に取って代わられていて、日本の優位性を高めた。

さらに、クロキの最も大きな強みは、染めにある。欧州では糸を並べて染める「シート染色」が普通だが、クロキは糸を束ねて染める「ロープ染色」の巨大設備を持つ。

黒木立志社長は「ジーパンとして製品化した後、べたっと単一的な色になるシート染色と違い、ロープ染色はムラができる分、表情が豊か。工程数も多くコストは高いが、高くも売れる」と話す。

他社に染色を依頼していた同社がロープ染色機を導入したのは28年前。黒木社長は「国内外を視察して、機械を買おうとしたら5億円だった。図面だけ買って自社で作ろうとしたが、図面代だけでも5000万円する。『もう自分で作るか』と決意した」。大阪電気通信大出身で、構造がわかれば図面は何とかなるとも思った。

この染色機では、糸を約330本束ねて太いロープ状にしたものを12本同時に染め上げる。連続で7~10回染めることができる。色の濃淡の調整が可能なことも、ハイブランドを引きつけるという。

岡山県井原市にあるクロキの工場
岡山県井原市にあるクロキの工場=クロキ提供

海外に認知されたきっかけは2006年2月、パリで開催される生地の見本市プルミエール・ビジョンに出展したことだった。「ウールやシルクで商売をする業者はいたけれど、綿の素材で勝負する会社がなかったんだと思う。展示スペースがごった返すほど人が来た」と黒木社長は振り返る。

生産するデニムはいま、6割が海外向けだが、契約上、「どこに出しているかは言えない」と言う。一方で、「海外の大手ブランドは生地へのこだわりも細かいが、サプライヤーたちも大事にする。日本では、売れなくなったらすぐにデザイナーや取引先を切るということを、よく目にした」とも語る

「気がめいるような生地に」 高級ブランドの要求に応える

昔ながらの平屋建て、板張りの工場で、従業員たちがエプロン姿で織り機に向かっている。

織機に向かい試作品をつくる従業員
織機に向かい試作品をつくる従業員=2023年12月、岩手県花巻市の日本ホームスパン、長谷川陽子撮影

岩手県花巻市の山間部にある日本ホームスパン。この小さな会社が生み出すツイード生地は、誰もが知るフランスの高級ブランドに採用され、パリのランウェーを彩る。

ウールにコットン、シルクに和紙にナイロン。さまざまな素材を組み合わせ、他にはない色や柄を追求する。年間に500ほどの試作品を送り、先方が気に入れば注文が入る。

「単一素材を大量に織るのは簡単ですが、いろんな形状が混ざっていると、きれいに織るのが難しいんです」。3代目の菊池久範社長は言う。高い技術、洗練されたデザイン、安定した品質が高く評価されている。

ホームスパンは「家庭で(HOME)糸をつむいだ(SPUN)」の意味で、手つむぎ、手織りの毛織物を指す。岩手では明治期に導入され、農閑期の副業として広まった。同社は1961年に創業し、テーラー、問屋、デザイナーズブランドと、時代に合わせて国内の取引先を開拓し、生地のデザイン性を高めてきた。

しかし2000年代に入ると、カジュアルで低価格の服が主流になった。当時社長だった2代目の菊池完之氏は、値段ありきの取引に嫌気がさし、ものの良さを見てくれる海外に目を向けた。

この決断がチャンスをもたらす。2001年9月、フランスの生地見本市に出したコットンとシルクを織ったツイードが、ブランドの担当者の目に留まった。ブランド側はすぐに連絡を取ってきて、取引が始まった。

フランスを代表するブランドだ。納める生地には、細かな規格がいくつもあった。幅、重さ、耐久性。1000メートルの単位でくる注文に安定した品質で応えるには、手織りの伝統にこだわらず、機械化を進める必要があった。

日本ホームスパンの工場。生産されたツイード生地はフランスの高級ブランド向けだ
日本ホームスパンの工場。生産されたツイード生地はフランスの高級ブランド向けだ=2023年12月、岩手県花巻市、長谷川陽子撮影

ブランドが求める柔らかさや手織りの風合いを出すために織り機を研究し、スピードをあえて落としゆっくりと織る。当初は2台だった織り機は14台に、1日の生産は30メートルから200メートルにまで増えた。

取引は20年を超えた。「常に目新しい生地を提案できなければ、使い続けてもらえない」(菊池社長)。デザインは4人の女性が考えていて、1人1日に4枚、試作品を作る。

菊池社長の姉、高橋邦子さんも、そのひとり。「カラートレンドは気にしますが、流行を見て作っていては遅いので、他はあえて見ないですね」。まねされるものを作らねばならないが、簡単にまねできるものは作ってはいけない。2代目からの教えだという。

発表の半年ほど前、テーマやショーの会場を示され「合う布を考えて」と頼まれる。試作品をたくさん送り、採用されるのはごく一部。「もっとうちのブランドらしく」「気がめいるような生地に」。抽象的な注文にも考え抜いて応える。

高級ブランドに提供した生地と「同じものが欲しい」と言われることもあるが、「他には絶対に売らない」と菊池社長は話す。オリジナリティーが高級ブランドの命であることを、誰よりもわかっているからだ。デザイナーの創作を支えているというプライドもある。「うちにしかできないことを、やっていきたいんです」