「私とフィアンセは、結婚式を挙げる予定です。着物を着たことはないですが、着物のレンタルと着付けをお願いできますか?また、お伝えしておきたいのですが、私たちはどちらとも日本とのルーツ的なコネクションはありません。ですが、私たちの結婚式で着物を着ることは、ウェディングドレスを着るよりも、とても意味があることなんです。でも、西洋人がこういった正式な晴れの場で着物を着ることが “inappropriate(不適切)” であるならば、ぜひはっきりとそうおしゃってください」
数カ月前、こんな依頼が私の所属している北カリフォルニア・ジャパンソサエティ に届きました。ジャパン・ソサエティ では、七五三、成人式の着付けと記念撮影のサービス、出張着付けの着物サービスを提供しています。日本に帰らなくても地元で子供の成長を祝う記念撮影できるようにと、サンフランシスコ・シリコンバレー在住の日本人、日系アメリカ人を対象としたサービスですが、実際はじめてみると、高校の文化祭のファッションショーで着てみたい、着物を習ってみたいなど、日系人以外からの問い合わせが結構あります。
ちなみに結婚式で着物のリクエストがきたのは、レズビアンカップルから。最初は、「西洋人が着物を結婚式で着てもいいのか」の質問の意味がピンときませんでした。私たちのミッションは、日本ファンを増やすこと、さまざまなプログラムやセミナーを通じて両国の相互理解を深めること。私たちとしては、アメリカ人が着物を着たいと言ってくれるのは願ったり叶ったりで、しかもLGBTカップルとなると、利用者のダイバーシティに幅がでて有難い!とわくわくでした。
とても美しい結婚式で、着物も似合っていたそうです。が、彼女たちの質問の意図が、culture appropriation (文化の盗用)の確認だったと認識するまでちょっと時間がかかりました。私たちの仕事がそういう問題と関係するだなんて、それまでほとんど考えたこともなかったのです。
アメリカのタレントのキム・カーダシアンが、自身の補正下着ブランドに”KIMONO”と名付けて批判を浴び、そして結局取り下げた一件で、このカップルのことを思い出しました。ジャパン・ソサエティにもculture appropriation (文化の盗用)の文脈でアメリカのメディアから取材依頼が次々ときました。これは極端な例で、炎上して当然、多くの人が声を上げて当然、ネーミングを取り下げて当然(ああ、よかった)、むしろ、炎上承知で彼女の新ブランドの認知を高めるためにわざとやったのではないかという意見もあるくらいで、個人的には「文化の盗用」レヴェル以下の話と感じています。
ところで、文化の盗用と言われても、「なんのこっちゃ」という方も多いでしょうし、普段の生活の中で意識する機会が少ない方も多いかと思います。米国で文化の盗用とは、マジョリティ(多数派民族、アメリカでは主に白人)が、アフリカンアメリカン、ネイティブアメリカン、インド系、アジア系などの社会的に少数派であるマイノリティーの文化の要素を取り入れる行為です。アメリカでは、セレブリティ、ファッション業界、企業だけでなく一般人だったとしても、ネイティブアメリカンの伝統的な頭にかぶる羽飾りや、中国のチャイナドレス、インドのサリーなどを着用したり、デフォルメしてファッションに取り入れたりすると、速攻炎上しソーシャルメディアで槍玉に上がる傾向があります。
一方で、日本人はどうでしょう。セレブリティやモデル、そして日本を訪れる旅行者が浴衣や着物を着て写真に納まる姿をみて、うれしく感じる人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか?「芸者」をデフォルメしたような品のないものの場合は別ですが、ちょっと間違った着方をしていても、デフォルメしてあっても、リスペクトが感じられ、そこにアート性があれば、好感を持ち、日本の文化を紹介してくれている、とポジティブに受け取る人が大半のように思います。また、日本で撮影した映画やミュージックビデオに関しても、「あ、日本で撮ってる」と反応しても、「日本人でもないのに日本で撮影しやがって」と嫌悪感を持つヒトはほぼいないでしょう。
ボストンの美術館が着物体験のイベントを企画したところ人種差別という批判が殺到し中止になった時も、当事者の日本人は「これがなぜいけないのか」という反応で、何が人種差別なのか意味不明だった日本人が多かったと聞きます。
アメリカには民族や人種に関する長く複雑な歴史があるので、こうした問題に敏感なのは分かるのですが、アメリカの極端なポリティカル・コレクトネス(偏見や差別のない中立的な表現を使うこと)には正直疑問に感じたり、うんざりすることはあります。
もちろん、差別だと感じられるようなものは避けるべきです。例えば、顔の黒塗り。シャネルズ(のちにラッツ&スター)は以前、顔を黒塗りにしてパフォーマンスしていましたが、それがどれほどアフリカンアメリカンにリスペクトを込めたものであったとしても、彼らの音楽に触発されていたとしても、黒塗りはタブーです。黒人差別の歴史と直結しているのでドン引きされます。
インド系の友人に聞いてみると、「文化をリスペクトしてくれた人がサリーを着るのはオッケー。だけど、ハロウィーンで着られるのは嫌」「ビンディ(ヒンドゥー教徒の女性が額につける丸い印)の結婚している、未亡人でない、という意味がわかっていたらオッケー。つけている人、一人ひとりに聞いて回るわけにもいかないけどね」と言っていました。「企業の利益のために私の文化を利用されるのは嫌だけど、一般人が着る分には構わない」という人も。Culture Appropriation (文化の盗用)とCultural Appreciation(文化の尊重)の境目は、人によって受け止め方が違うので、周囲の声もさまざまです。
私のように、アメリカ人に日本文化に触れてもらい、日本ファンを増やそうという仕事をしている立場からすると、何より問題なのは、他の文化に対する無関心だという気がします。興味がない、というのは一番愛がないということ。興味をもってくれる人に自分の文化をシェアする、興味を持った文化を尊重し体験してみるということは、お互いを理解する最初の一歩なのではないでしょうか。