" ‘It’s just a dress’: Teen’s Chinese prom attire stirs cultural appropriation debate"
2018年5月1日付 ワシントン・ポスト紙
アメリカの高校で春の大きな行事と言えば、prom(プロム。卒業生を中心に学年末に正装で行うダンスパーティー)だ。今やSNS時代なので、多くのティーンエージャーはプロムの日に撮った写真を、インターネット上にアップする。ユタ州の高校に通うケジア・ダウムはそうした意味で、ごく普通のことをした。しかし、彼女の写真は炎上、釈明に追い込まれる事態に発展したのだった。
彼女がその日に着ていたワンピースが一般的なプロムのドレスではなく、cheongsam(チョンサン、チャイナドレス)だったからだ。個性的で何らかの意味を持つような衣装を探していた彼女は、それを見つけ、美しいと思った。が、ネットの反応は違っていた。
文化の盗用?ツイッターで批判
炎上のきっかけは、ある中国系男性がダウムがアップした写真を引用して批判するツイートを投稿したことだったという。「僕の文化はあなたのプロムドレスではない」。続いてその男性は、チャイナドレスがアメリカのconsumerism(消費者主義)の対象になり、白人の需要にcater to(応えている)のは、colonial ideology(植民地支配的な価値体系)と同じだと主張。彼のツイートはネット上で拡散、議論され、ダウムへの批判の声が次々と上がった。アジア系でない彼女が、アジアの衣装を身に着けていたのはplay dress up(着せ替え遊びをする)ようなものだという批判が多く寄せられた。
ダウムが巻き込まれたのは、モデルなどのセレブが最近、批判されているcultural appropriation(文化の盗用)に関する議論だった。これはdominant culture(優勢で支配的な文化)に属する人びとが、そうではない文化を利用することを意味する。特に、支配的な文化に属する人が、異文化の持つ深い意味を理解せずに利用すると、単なるエキゾティックなファッションやおもちゃのように扱うおそれがある。そのためcultural appropriationは良くないという認識が広まりつつある。また、こうしたことに関連していると思われると、ダウムのプロムドレスのように、SNSですぐに批判されるのだ。
こうした例には、白人女性が黒人のヘアスタイルのcornrows(髪を全て細かい三つ編みにするスタイル)にすることや、白人モデルがファッションショーでネイティブアメリカンの羽飾りを付けること、白人がインドで宗教的意味を持つbindi(ビンディー、ヒンドゥー教の女性が額につける丸い印)を付けることなどがある。これらを見ると、自分が属する文化が、異文化の人びとに利用されていることを喜ばしく思わない人の立場が理解できる。
しかし、自分の文化が取り上げられることを全然気にしない、むしろ嬉しく思う人にとってはどうだろう。その場合、cultural appropriationだと言えるのだろうか。例えば、2016年にボストンの美術館が「着物を試着してみよう」というイベントを企画したものの、批判が殺到して中止されたことがあった。しかしそのニュースを知った多くの日本人は、そのイベントを全く問題とは思わなかったそうだ。ダウムのプロムドレスがネット上で話題になった際も同様に、You rock!(あなたは素晴らしい!)といった応援メッセージも何人かの中国人から寄せられていた。
異文化理解は私の職業なので、このテーマには高い関心を寄せている。他の人びとの文化に敬意を払わなければならないという意識が高まることは嬉しいことだ。だが、cultural appropriationが広く使われ過ぎて、全く悪意のない、悪影響のないものにまでそのレッテルが貼られてしまうのは、良くないと思う。異文化のアイデアを利用してはならないと言うのであれば、異文化間での学びは得られず、日本からのインスピレーションが大きかった印象派の名作は存在しなかっただろうし、ポルトガルのお菓子を基にして日本人が作ったカステラもなかっただろう。
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