「これで50キロ、300着くらい。船便で海外に送り、難民キャンプに届けています」
2023年8月下旬、前橋市のユニクロ店内に展示された腰の高さほどの包みを指して、シェルバ英子さん(47)が説明した。きれいに重ねられた服がビニールでぐるぐる巻きに圧縮されている。畳み方など改良を重ねて今の形に至ったという。「届いた服がしわしわだったら嫌じゃないですか。そこは服屋のこだわりですね」
ユニクロやGUを運営するファーストリテイリングは、2006年から国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と連携し、店舗などで回収した古着を世界各地の難民キャンプに届けている。支援先は2022年8月までに80カ国・地域、届けた衣料品は5050万点を超えた。
コーポレート広報部長のシェルバさんは社会貢献分野を担当し、23年目。数々のプロジェクトに立ち上げから携わってきた。UNHCRとの連携もその一つだ。国際支援団体に片っ端から電話をかけ、さながら「どぶ板営業」の末に出会った縁が、今につながる。
契約社員として入社した2001年、発足したばかりの社会貢献室に配属された。「企業の社会的責任(CSR)」への関心が高まる中、2005年にCSR部に格上げされ、「服屋として、社会のためにできること」の事業化を課せられた。
数年前に始めたフリース製品の回収事業が頭に浮かんだ。着なくなったユニクロのフリースを店頭で回収し、燃料としてリサイクルする取り組みだ。回収の対象を全商品に広げられないか。一部の店舗で試行し、どんな業務が生じるかを具体化して社内の合意を取り付けた。同時に、集めた服の届け先を探し始めた。
途上国支援を行う国際機関やNGOの日本事務所に次々と電話をかけ、会いに行った。だが、輸送費用や仕分けの手間がかかるため、現物を受け入れる団体はほとんどないのが実情だった。
計画の見直しが頭をよぎる中、13番目に電話したのがUNHCRだった。電話をとった駐日事務所の広報官、守屋由紀さん(61)は、「今までにない取り組みをなんとか実現させたいという熱意が伝わった」と振り返る。
UNHCRでは、安全な避難場所の提供や、食料や医薬品といった生命に直結する支援が優先され、緊急時以外の服の配布は行っていなかった。だがシェルバさんの熱意を前に「私も一肌脱いだ」。現場の職員と輸送や配布、現地の文化や宗教的制約など懸念を洗い出した。シェルバさんはすぐに持ち帰って対応した。
こうして2006年9月、全国のユニクロ店舗で全商品リサイクル活動が始動。翌2007年に最初の支援として、ネパール東部にあるブータン難民のキャンプに約5万点を届けた。
10歳くらいのある女の子に紫色のパーカを渡した。名前はギータ。父親に障害があり、高齢の祖母も一緒に暮らしていた。2年後に同じキャンプで再会すると、ギータは大切にしまってあった紫色のパーカを取り出し、特別な日に着ているのだと話した。
「私たちには支援物資という塊の一部でも、彼女にとっては大事な一枚の服。『服を届ける』という気持ちの大切さを、改めて実感した」
アルバイトで鍛えられた行動力
「人と関わり、日々変化する環境が好き」というシェルバさん。だが意外にも、難民支援や国際協力に元々関心があったわけではないという。
人前で話したり、陣頭指揮をとったりという行動力は、大学時代のキャンペーンガールのアルバイトで鍛えられた。当時、最盛期だったPHSの販促イベントでMCを務め、機能を説明したり、商品の良さをアピールしたり。努力や工夫が売り上げという数字で現れるのは楽しかった。性に合っていたのか、いつのまにか事務所のパソコンをあてがわれ、研修資料をつくり、ほかのバイトを育成する立場になっていた。
卒業後、広告会社に就職。だが激務がたたって身体を壊し、半年でやめた。ユニクロで働くきっかけになったのは社会現象にもなったフリースブームだ。日本発のファッションブランドの勢いに魅力を感じ、外資系アパレルから転職した。
社会貢献室は何もかもが新しく、やりがいはあった。だが、売り上げに直結しない自分の仕事に「うしろめたさ」も感じた。社内ボランティアを募っても、営業の担当から「そんなのに参加して何になるの?」「予算の無駄」と言われたことも。「社会貢献は、長い目で見ればファン獲得につながる未来への投資。でもそれを測る方法がなかった」
企業はどこまで責任を負うのか
一方で、世界的なブランドで製造過程の劣悪な労働環境が「搾取工場」と批判されるなど、企業の責任はより広く求められるようになっていった。ファーストリテイリングでも下請け工場の長時間労働が問題になったり、環境保護や動物愛護団体から製造過程で使う化学物質やウールの原料となる羊の飼育方法について問い合わせがきたりした。その都度、NGOの調査を受け入れたり、製造工場を公表したりして環境改善や透明化に取り組んできた。「会社が大きくなるほど、想定外も増える。大切なのは、逃げずに対話すること」
善意の古着支援も、中にはごみの押しつけのような事例があり、国際的な問題になっている。それぞれの現地ニーズに合わせ、自社で厳しく選別した上で、ときにシェルバさんら社員が難民キャンプに足を運び、確実に届けてきた。これまでに訪ねた難民キャンプは、15カ国以上にのぼる。
アフリカ東部エリトリアからの人々が集まるエチオピアのキャンプは、難民の8割が男性だった。無政府状態の祖国から軍服姿のまま逃れてきた彼らがユニクロのTシャツに着替えると、表情が一気に柔らかくなった。
「人としての尊厳や自信につながる、命を輝かせる力が、服にはある」
現場で感じたことを社内で共有し、回収した服の数やイベントの参加者数など積極的に可視化した。
「具体的に見えるようにすることで、『自分事』として捉える社員が増えていった」
上司として数々のプロジェクトを共にしたグループ執行役員の新田幸弘さん(58)はシェルバさんを「社内で最も知られている人の一人」と表現する。「人が一緒にがんばろうと思うのは、共感や信用、説得力があるとき。彼女には人を引きつける力がある」
いま、シェルバさんのもとには国内外の同僚からサステナビリティに関する相談や問い合わせがひっきりなしに舞い込む。全国の店舗を訪ね、社員集会で壇上に立ち、自分たちの取り組みが何をめざし、どんな意味をもたらすのか、前に出て説明する。
近年、重要性が増しているのは、自立に向けた支援だ。バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプでは2022年から、女性たちが有償ボランティアとして縫製技術を学ぶ事業を進め、情報発信に力を入れる。
「服を届けて終わり、じゃない。ビジネスを通じて、社会を変えていきたい」
(年齢・肩書は2023年10月15日時点です)