2月末、東京・日本橋で、織田友理子さん(42)が代表を務める一般社団法人「WheeLog(ウィーログ)」が街歩きイベントを開いた。参加した約70人が実際に車いすや白杖を体験しながら、街を調べる。
「道を進んでいたら、突然階段があった。手前に表示が必要だ」「坂を自分でこぐのはきつい」。気づいたことを話し合い、アプリに投稿していった。
アプリ「WheeLog!」は、利用者自らが投稿することで情報を充実させていく「みんなでつくるバリアフリーマップ」だ。織田さんが発案した。
アプリを開くと、グーグルマップと連動させた地図上に利用者が投稿した道や建物、店などの情報が現れる。「エレベーターの手前に階段がある」「店内に段差があるけど、介助で乗り越えられた」などと書き込むことができ、写真も投稿できる。
道に沿って色の濃淡で表示される線は、スマートフォンのGPS機能を使い、実際に車いすで通ったルートを記録する「走行ログ」。通った回数が多いほど色が濃く表示され、使い勝手のいいルートが一目でわかる。
2017年5月に運用を始め、今年2月時点で車いす利用者約8800人を含む約3万2000人が登録。走行ログは1万キロを超え、国内外の約5万地点の情報が投稿された。
あなたの「行けた」が、誰かの「行きたい」になる――。ウィーログの合言葉は、織田さん自身の経験でもある。
始まりは海 息子と見つけた希望
織田さんが「遠位型ミオパチー」と診断されたのは22歳のころ。手足の先など体幹から遠い筋肉から徐々に萎縮が進む進行性の難病で、国内の患者数は推定約400人と極めて希少な疾病の一つだ。
診断を受けたころは自力で歩けたが、少しずつ難しくなり、26歳で長男を出産したころから車いすで生活をするようになった。
息子が3歳だった2010年の夏。海に連れて行ってあげたいけれど、車いすでは無理だろうと、インターネットで調べてみると、茨城県の大洗に「ユニバーサルビーチ」を見つけた。
駐車場から海の近くまで車いすで通れるように道が整備され、専用の更衣室やシャワー・トイレ室もある。砂浜を移動し、そのまま海に入れる大きなタイヤがついた水陸両用の車いすも完備されているという。
さっそく出かけてみると、波打ち際で少し水を触るくらいかな、という予想に反し、息子と一緒に波をかぶって、海水浴を楽しむことができた。
情報さえあれば、こんなにも世界は変わるんだ。今度は自分の情報が誰かの役に立てばと、YouTubeチャンネル「車椅子ウォーカー」を開設。
車いすのままボックス席に入れる回転ずし店や、低い位置に実がなるように剪定(せんてい)されたみかん狩り農園などを訪ね、新幹線や飛行機などの乗り方や、海外の観光地のバリアフリー事情なども紹介した。
すると、ポジティブな反応が次々と寄せられた。
「自分も電動車いすだけど、行ってみようかな」「車いすで行けると、知れるだけでもうれしい」。情報の存在そのものが、人々の考えを「行けないに決まってる」から「行く機会があるかも」へと変える力になるのだと気づいた。
だが、自分一人の発信には、限界がある。バリアフリー情報を集約し、共有できる仕組みをつくれないだろうか。
思いをあたためていた2015年、社会問題の解決を模索する非営利団体を対象に、米IT大手グーグルが行った助成コンテストに応募した。立ち上げから携わる患者会の活動で知り合った研究者らに声をかけ、アプリの構想を練った。グランプリ2件の一つに選ばれ、5000万円の助成金を得て、開発にこぎ着けた。
身体に異変が現れた大学時代は、公認会計士になり、国際機関などで働いて「社会に貢献したい」と漠然と思い描いていた。専門学校にも通い、勉強漬けの日々。当時、難病と診断されたことより堪(こた)えたのは、周囲の「やさしさ」だった。
病室は、いつもお見舞いでもらった花でいっぱい。検査の合間を縫って参考書を開く織田さんに、医者はあきれ、友人たちは「頑張らなくても大丈夫」と声をかけた。だが翌春に大学卒業を控え、周りは次々と就職が決まっていく。
体調を気遣う慰めの言葉が「夢を追い続ける意味はない」という通告に聞こえた。
「こういう状況だからこそ、頑張った方がいい」というサークルの先輩の一言に救われた。次第に指が動かしづらくなる中、3度目の挑戦まで、会計士試験の勉強を続けた。
希望はかなわなかったが、「頑張れるものがある幸せを知った、原体験だった」と振り返る。
ウィーログは昨年、5周年を迎えた。2018年には社団法人を立ち上げ、自ら代表に就いた。社会課題への取り組みを支援するドバイ万博(2020年)のプログラムに選ばれ、10万ドルの助成金でアプリの10言語への対応も実現した。
利用者の一人、五十嵐裕由さん(51)は「友理子さんのおかげで海外旅行や海水浴に行けた。アクティブな車いすユーザーになれた」と話す。
やりたいことを実現する「鈍感力」
そんな織田さんを、大学の同窓生でもある夫の洋一さん(42)は「やりたいことを次々に考えたり、話したりできる人」と評する。どんどん進んでいこうとする織田さんに、いったん待ったをかけるのが自分の役割だという。ウィーログの事務局長を務め、仕事中の介助も一手に担う。
「一番近くに、こんなにもやりたいことがある人がいる。すごく幸せなこと」
公私ともにほぼ常に一緒の2人だが、織田さんは講演などで「夢は、夫と離れて暮らすこと」と、冗談交じりに口にする。もちろん、仲が悪いわけではない。
夫の介助に頼らざるを得ない理由のひとつに、仕事をする間はヘルパーを利用できない現行の福祉制度の壁があることを知ってもらいたいのだ。「障害が重くなればなるほど、仕事ができなくなっていく仕組み」と指摘する。
ネット上でも対面でも、「あなたは、洋一さんがいるからいいですよね」と言われることがある。「たしかに、自分は恵まれている。だから言い返せない。でもそれって、よく考えたらおかしい。誰もがやりたいことを実現できるような社会であるべきだ」
一つひとつ、タイミングを見計らって、時に回り道をして、社会の「おかしい」を少しずつ変えてきた。
公益財団の依頼で東京観光の動画をつくったときは、当初、ある鉄道会社に撮影を断られた。担当者は「(動画によって)車いす利用者が増えたら困る」と本音を漏らした。
電動車いすのバッテリーに「機内持ち込み可」の記載が日本語しかなかったことから、海外の空港でトラブルになったこともあった。帰国後に製造元の大手メーカーに伝えると、「自分で(英語の)シールを作って貼ったらどうですか」と返された。
「なんて失礼な」「公式に保証してくれないと意味が無いのに」……。不条理を感じることは常にある。心身ともに元気に、長く活動していくために、自然と「鈍感力」が磨かれた。「でも、悔しさは、ためておく」
各方面を通じて粘り強く交渉を続けて、その鉄道路線での撮影にこぎ着け、電動車いすのメーカーはその後、英語表記も添えるようになった。
アプリの使い勝手を、さらによくしたい。体験イベントを通して、より広く知ってもらいたい。
たくさんのやりたいことを前に、人手や資金などの面で課題もある。情報格差をつくりたくないから、利用は無料。スポンサーや個人の寄付で支えられている。
今年、運営団体のNPO法人への移行を進めている。税制面から寄付を集めやすくなるなど、長く活動を続けていくための一歩だ。
街に障害者が出ることで、社会とのかかわりが増え、課題も可視化される。「人と出会い、問題を理解、認識してもらって、行動につなげていく。情報で社会を変えていきたい」