1. HOME
  2. 特集
  3. 機械式腕時計の沼
  4. チャンスは年1度だけ しかも小論文試験あり

チャンスは年1度だけ しかも小論文試験あり

LifeStyle 更新日: 公開日:
ナオヤ・ヒダの時計「TYPE 6A」
ナオヤ・ヒダ初の永久カレンダー時計「TYPE 6A」は、文字盤上のブランドロゴ以外の全てが、細部に至るまで彫金師の手彫り=NAOYA HIDA & Co.提供

正確な時間を知りたければ、スマホで用が足りる。なのに、なぜ今、機械式の腕時計がもてはやされるのだろう。

年1度しか購入チャンスがなく、しかも「小論文」で合格することが必須。まるで受験のような時計がある。東京・日本橋の一角にあるビル内に工房を構える「ナオヤ・ヒダ」。1963年生まれで数々の時計ブランドを経た飛田直哉さんが2018年に仲間と起こしたブランドだ。

購入希望者には、持っている時計のリストと、購入を希望する理由をまとめた「小論文」を書いてもらっており、パスしなければ買えない。極限までこだわった時計は少量生産のところへ、購入希望者が殺到。創業数年で世界の愛好家を魅了しているが故の販売方法だ。

飛田直哉さん
飛田直哉さん=NAOYA HIDA & Co.提供

今年発表した新作「NH TYPE 6A」(825万円)は、ブランド初の複雑機構となる永久カレンダー付き。文字盤のインデックス(目盛り)などは、創業メンバーの彫金師・加納圭介さんによる手彫りだ。三つあるサブダイヤル(小窓)の彫金を仕上げるだけで1週間を要するという常軌を逸した手間の掛けようだが、飛田さんは「コストや効率を度外視した、ほかにできないことにこそ、意味がある」。

作る時計の特徴は一貫している。1930年代から1960年代までの機械式時計黄金期を想起させるアンティーク調で、加納さんによる彫金がふんだんに施されている。9時位置にスモールセコンド(秒針)を持つ「NH TYPE 1D」(269万5000円)はブランドを象徴するモデルで毎年改良を重ねてきた。このほかムーンフェーズ(月の満ち欠け表示)つきの「NH TYPE 3B」、角型の「NH TYPE 5A」……。全種合わせて年120本と少量生産ながら、今年は15タイプを製造する。飛田さんは「少ない型に絞って売れるものだけを作る方が効率はいいかもしれない。でも、それでは飽きられてしまう。だから、あえてモデル数を増やしている」。短期的利益より、長期的な価値に重きを置いている。

販売先の約4割は北米。残りが日本を含むアジア、中東、ヨーロッパだ。近年ではポルトガルやスイス、フランス、イギリス、イタリアなどからの注文が増えており、毎週金曜日に開催される工房見学会も盛況。すぐに予約で埋まる。

「お金があっても、転売を考えたり、時計を粗雑に扱ったりする人には売れない。理解と愛情がある人だけに渡したい」。自分たちの時計を、どんな人が所有するか。それがブランド価値を保つ重要な材料になることを、飛田さんは知っている。

藤田耕介さん
創業メンバーの藤田耕介さんが、内部機構を担当している=NAOYA HIDA & Co.提供

飛田さんは20代から複数の外資系時計商社に勤務してセールス担当を経験した。その後はF.P.ジュルヌやラルフローレン ウォッチ&ジュエリーの日本代表を歴任。創業時、加納さんとともに声をかけた時計師の藤田耕介さんは、ジュルヌ時代の同僚だった。

かつて時計修理が専門だった藤田さんが担当する内部機構は、将来的なメンテナンスを見据えて設計されている。ベースとなる内部機構は、スイスのETA社製の7750という、極めて汎用(はんよう)性が高いもの。藤田さんは「何よりも、無責任な時計を作りたくない。極端な話、僕らがいなくなり、たとえブランドがなくなったとしても、7750であれば100年後も部品が入手可能で、一定の経験がある時計師であれば修理できる。あえて、そうした構造を採用している」と語る。

一方で、ごく少数の高級時計にしか使われていないスーパーステンレス鋼904Lをケース素材などに採用し、バックルまで自社で設計している。

会社は現在、総勢7人。「量産ブランドとは逆の道を行きたい。本当にニッチで、職人の思いがこもった時計を届けたい」と飛田さんは言う。そのための職人の育成方法も驚きだ。学費を負担し、若手社員を夜間の時計学校に通わせている。もちろん給与も支給する。

彫金師の見習いには、あえて経験のない若手を採用してゼロから育成中だ。「変に癖がついていないほうがよいのです。何より技術そのものよりも、人間としての情熱があるかどうか。我々が仲間に求めるのは、まずそこからなのです」