時計作りは生きることそのもの 世界遺産の街ル・ロックルの関口陽介さん
スイス北西部、ジュラ山脈の懐に抱かれた街ル・ロックル。時計産業都市として2009年にユネスコ世界遺産に登録された街に、日本人の関口陽介さんが工房を構えている。設計から部品加工、組み立て、仕上げまで、すべての工程を自らの手で担う孤高の時計師だ。
1980年、群馬県生まれ。高校時代に友人から動かない古いクロック(置き時計)を譲り受け、自分で分解して修理した。徐々に時計にのめり込み、「スイスに渡って時計職人になりたい」と望むように。だが銀行員だった父に打ち明けると「言語道断」「とにかく大学に行け」と反対された。1浪して進学したのは明治大文学部。「親を納得させるため……ではなく、いつかスイスに渡るためにフランス文学を専攻した」と笑う。
進学しても心は時計から離れなかった。ただ、卒業が近づき、友人たちが就職活動に奔走する中、自分だけが立ち止まっているように感じた。流されるように銀行の採用試験を受けてみたところ、なぜか最終面接まで進む。会議室で採用担当者に問われた。「君は本当は何がしたいのか?」。しばしの沈黙ののち、答えは自然と口をついて出た。「本当は、時計が作りたいのです」。それは面接の場でありながら、自分自身への宣言でもあった。
卒業後は単身フランスへ渡り、語学学校へ。その後、職業訓練校で時計師のコースに入学したまではよかったが、失業者の再教育が目的の学校だったことが分かり、わずか3週間で退校を余儀なくされた。
それでも「君には才能がある」と声をかけてくれた教師に作業台を貸り、仲間も宿題を教えてくれた。おかげで現地の時計師資格を取得できた。「ここまで来たのに正規の教育を受けられないという枯渇感が、学びへの意欲になった」と振り返る。
スイスのムーブメント(時計内部で時を刻み針や各種表示を動かす心臓部)モジュール製造会社、ラ・ジュー・ペレに採用されたのは2007年。きっかけは吹奏楽団。中学・高校・大学とテューバを吹いてきた関口さんが趣味で参加していた楽団の仲間が、同社の時計師だったのだ。「音楽の縁が、時計の道をつないでくれた」と振り返る。就労ビザが下りずに日本に一時帰国。再申請の上、2008年3月に正式に入社を果たす。時計学校を出ていない外国人が資格を得て就労を認められるのは極めてまれだった。
しかし、やがて組織の中で浮いた存在になる。「割と単純な機構の製造を担う会社だった。僕は20個ぐらい並行して組み立てて、他の社員の数倍速かった。『少し遅くして』と言われたこともあった。ここに長くいる意味はあるのかと考えるようになった」
2011年からは複雑機構で知られる独立時計師、クリストフ・クラーレの工房へ。常時40~50人がひしめく現場で、トゥールビヨン(誤差を相殺するため内部機構をゆっくり回転させる仕組み)やミニッツリピーター(正時以外も音で知らせる、時報の進化版)など高度な機構づくりに携わった。「基本的に、スイスでも時計師学校で複雑機構を習得したエリートたちの就職先。最初は『なぜ独学の東洋人が俺たちの世界に入ってくるんだ?』という態度をとる同僚もいた。徐々に、その態度も変わっていきましたけどね」と振り返る。
2016年からは並行してラ・ショー・ド・フォンで古い時計などを扱う時計店の時計師にも就任。大手時計ブランドからの修復も受注する一方、自作の懐中時計なども手がけるようになる。昼夜問わず寝食を忘れ、時計だけに人生を費やす生活に。2020年、「ヨウスケ・セキグチ ル・ロックル」を立ち上げて独立した。
自らのブランドで初の腕時計「プリムヴェール」を発表したのは2021年。一見すると18世紀の懐中時計を思わせるクラシカルなたたずまいだ。だが、内部には現代的な工夫が息づいている。衝撃吸収装置を仕込みながら、あえて外からは見えないように隠す。香箱(動力源のゼンマイを収める中空歯車)の仕組みも最新の設計で、トルクの安定性を高めている。外観は古典的で、実は中身は革新的――。伝統と現代を同居させるのが彼の哲学だ。
ケースはもちろん、文字盤も18金。その上は0.3ミリの厚さのエナメル(ガラス質塗料を焼き付けたもの)で覆われている。ケースも針もインデックス(文字盤上の数字や目盛り)も尾錠(ベルトの留め金具)も鋳造ではなく素材感が際立つ削り出し製法。尋常ではない仕上げへのこだわりが、何よりの特徴だ。ムーブメントの地板に施された繊細な模様、見えない位置に組まれた一つ一つの部品にまで面取りと鏡のような磨きを怠らない。針やインデックスに至るまですべて自らの手作業で作り上げてゆく。
理想とするのは、懐中時計が主役だった1800年代に活躍したユール・ヤーゲンセンという時計師だという。その堅牢な巻き心地や、時を超えて息づく普遍性に憧れる。「人間が作ったものだから、人間が楽しめる。大量生産の商品は作りたくなくて、工芸品であることが第一だと考えている」と語る。
2025年の新作はローズゴールドのガーネットエナメルの文字盤と、ホワイトゴールドのクリームホワイトエナメル文字盤の時計で、各10本限定、1628万円。注文を受ける際に一部前金を受け取り、完成まで1年半を要する。2021年以降、数々のメディアで紹介され、世界各地の富裕層に時計を届けてきた。
独立時計師の団体などに属さない、というのも関口さんの時計作りの姿勢を表している。「時計師として体系的に学んだわけではない自分が他の人たちと同列に並ぶのは違うし、考え方も作り方も違いますから」。互いに影響を及ぼす関係に身を置けば、自分の感覚が揺らぐのを恐れる。「口出しされたくないし、影響も受けたくない。もしダメなら、また勤めればいい」。頑固ともいえるが、その頑固さこそが作品の源泉だ。
「私の人生はスイスに来た23歳の時に一度終わったも同然。再出発してから人生の半分をここで過ごした。もう、ここでしかやることはない。逆にいえば、私がこの世からいなくなったら、私のブランドも終わり。誰にも引き継いでもらいたくないし、それでいい」。夏休みも返上し、妻子が旅行に出ても工房にこもる。時計作りは生業(なりわい)を超えて、彼にとっては、生きることそのものでもある。