尹大統領はなぜ非常戒厳を出した?考えられる三つの理由
12月3日夜から4日未明にかけ、韓国戒厳軍は国会や中央選挙管理委員会に侵入した。韓国メディアは、韓国情報機関・国家情報院第1次長の証言などを元に、進歩(革新)系最大野党「共に民主党」の李在明(イジェミョン)代表や保守系与党「国民の力」の韓東勲(ハンドンフン)代表、元大法院長(最高裁長官)らの「逮捕リスト」があったと伝えている。
ソウルの複数の政界関係筋の証言を総合すると、尹大統領による今回の非常戒厳の宣布には三つの理由があったようだ。「政敵・李在明氏の追い落とし」「自身の妻、金建希(キムゴニ)氏の保護」「野党が大勝した4月総選挙を巡る不正行為の追及」だ。
尹政権は2022年5月の政権発足直後から、李氏を目の敵にしていた。当時、ソウルで筆者が面会した尹氏のブレーンは「すでに政治生命が終わった文在寅(ムンジェイン)前大統領はどうでもいい。しかし、李在明だけは排除する」と語っていた。
実際、李氏は司法や政治の場で、激しい追及を受けてきた。立候補した2022年大統領選にからんで公職選挙法違反(虚偽事実の公表)罪に問われ、今年11月15日には一審で有罪判決を受けた。公選法では90日以内に二審判決、そこからさらに90日以内に最高裁判決を出す必要がある。もし、有罪が確定すれば、李氏は被選挙人資格を失う「司法リスク」を抱えている。
今回、「逮捕リスト」に名前が挙がった元最高裁判事は、文政権当時の2020年に李氏の別の公職選挙法違反事件について一部有罪とした二審判決を破棄して審理を差し戻した人物だ。政界関係筋の一人は「元判事と元長官を拘束し、当時の判決が政治圧力を受けた不当なものだったと自白させる考えだったのではないか」と語る。
第二に、金建希氏の様々な疑惑に対する3度目の特別検察官法の決議が10日に迫っていた。韓東勲氏は賛否を明らかにしていなかった。今回、決議が国会議員(定数300)の三分の二の賛成で可決すると、尹氏は拒否権を行使できないところだった。側近の一部からは「金建希氏の捜査が進めば、尹氏に対する追及も始まるかもしれない」と憂慮する声が上がっていたという。こうした憂慮が、韓氏を逮捕リストに含めさせた背景にあったとみられる。
韓氏は6日朝、いったん、尹氏の職務執行停止を求める考えを表明したが、その後に尹氏と面会した。尹氏は翌7日午前、対国民談話で、国民に謝罪し、政権運営から身を引くことを約束。日程が繰り上がり、7日に行われた特別検察官法の採決は、102票の反対でかろうじて否決された。関係筋の一人は「韓代表らが、尹氏と金氏の身の安全と引き換えに、国民への謝罪や政界引退の言質を取ったのだろう」と語る。
そして、非常戒厳を助言した金龍顕(キムヨンヒョン)国防相(当時=12月5日に辞任)は、中央選管に戒厳軍を向かわせた理由として4月総選挙の不正行為を追及する狙いがあったことを明らかにした。
4月選挙に不正行為があったと信じる韓国人はほとんどいない。しかし、政争に疲れた尹氏は最近、極右系のユーチューブなどを好んで視聴。政界に人脈がなく、高校の先輩である金龍顕氏らで側近を固めたため、「エコーチェンバー現象」(反響室にいるように自分に似た意見が返ってくる状況。反対意見から隔絶されるため自分の持っている思想や考えが強化・増幅されやすい)を起こしたとみられる。
内乱罪の最高刑は「死刑」 尹氏の処遇は?
韓国検察当局は9日、尹大統領の外国への出国を禁止した。内乱罪は「死刑、無期または5年以上の懲役」となり、韓国憲法が定める現職大統領の「不訴追特権」の例外に規定されている。検察当局は1カ月以内に捜査を終結させたい考えを示しており、年内にも尹氏が拘束・起訴される可能性がある。
韓国の知人たちは「今回、死亡者が出ていないから、普通に考えれば有期刑だろう」という声から、「すでに政治犯罪と化している以上、死刑宣告もありうる」というものまで幅広い。世論を見ながら、「死刑判決、後に恩赦」という展開もありうる。
尹氏の退陣に向けたこうした状況は、実は与党にとって必ずしも悪い展開とは言えない。
野党・共に民主党が「大統領が在職しているのに、内閣と与党が中心になって政権運営するのは憲法違反」と主張しているからだ。実際、軍と警察の指揮権は依然、尹大統領にある。日本政府関係者も「この状態では、誰と協議をしていいのかわからない」と語る。野党は何度でも弾劾決議を発議する構えで、反対集会も続く。12日に2度目の弾劾決議を発議し、14日に採決に持ち込む考えだ。
ただ、韓国憲法は、大統領職が空位になったり、事故が発生したりしたときは、大統領権限代行を置くことを認めている。「拘束」や「起訴」が「事故」にあたるかどうか議論はあるが、与党はこの解釈で現状の正当化を目指すだろう。
世論と次期大統領選にらみ、与野党の攻防が活発に
与党は当初、「早期に秩序ある退陣」を行うとしていた。「秩序」とは、弾劾ではなく、憲法改正による大統領任期の短縮を意味すると、韓国の知人たちは指摘している。
なぜ、弾劾ではなく、憲法改正による退陣なのか。理由の一つは、時間を稼いで「司法リスク」を高め、何が何でも李在明氏の大統領就任を阻止したいからだろう。知人の一人は「李在明氏が大統領になれば、必ず政治的な報復に出る。尹氏だけではなく、保守関係者が多数拘束されるかもしれない」と懸念する。もう一つは、秩序を維持することで、保守が再生する道を探りたいのだろう。
12日現在、韓東勲代表らを取り巻く環境は徐々に厳しくなっている。
韓氏らは10日、与党の所属議員らに対して来年2月から3月ごろに尹政権の退陣を目指す考えを示したが、強い反発の声が上がったという。厳しい世論を敵に回したくないという思惑が議員たちに働いたとみられる。
与党の金サンウク議員は10日、「次に弾劾決議案が出れば賛成する」と語った。12日午前の時点で、与党で弾劾決議に賛成する考えを示した議員は5人になった。8人が造反すれば、弾劾は成立する。
12日には韓氏自身、「(尹氏が)早期退陣に応じる考えがないことを確認した」と語った。韓氏は、「弾劾で職務停止をすることが民主主義を守る唯一の方法だ」とも述べ、「秩序ある退陣」を目指す方針を事実上、放棄した。
韓国の政界関係筋は10日夜、「この流れでいけば、14日にも弾劾が可決されるかもしれない」と語る。ただ、野党には李在明氏に反感を持つ「文在寅派」などはいるものの、有力な対抗馬はいない。与党も同じで、国民の力の所属議員108人で、韓東勲代表を支持するグループは20人程度しかいないとされる。
ソウルの知人の一人は「少なくとも今の状況が1カ月も続くとは思えない。弾劾が成立した後も、尹氏に対する捜査を軸に、与野党の熾烈な攻防が続くはずだ」と語った。