揺らぐアメリカ中心の戦後秩序と拡大抑止力 日本の安保の行方は 元自衛隊幹部に聞く

――「国防の地政学」を発表した理由は何ですか。
この本は、米国や中国、朝鮮半島、北極海、サイバーなど様々な地域・分野の安全保障について考察しています。2021年4月から鹿島平和研究所とPHP総研が共同して「地政学的要衝研究会」を立ち上げ、自衛隊OBと共に様々な問題を政治・経済・軍事などの観点から解き明かしています。ただ、2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、今年1月には米国で第2期トランプ政権が発足するなど、状況は急速に変化しています。世界のどこで起きた問題であっても、日本にとっては、もはや「対岸の火事」とは言えない時代になったと思います。
――自衛隊は冷戦時代、「欧州で起きた米ソ衝突が極東に波及する」というシナリオを描いていました。
そうです。欧州で戦乱が起きるとアジアに波及し、ソ連がオホーツク海での原子力潜水艦の自由な活動を確保し、米国に対して有利な核戦略態勢を確保するため、宗谷海峡から北海道北部にかけて侵攻してくるというシナリオを考えていました。
しかし、現代はもっと複雑で、同時複合的に各地域で紛争が発生する可能性が考えられる時代になりました。米国とロシアだけではなく、中国や北朝鮮なども台頭しています。軍事の分野も宇宙やサイバーに広がり、領域を横断した作戦が常態の時代になりました。色々な意味で岸田文雄前首相が語っていた「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」時代になったと思います。
――米国が欧州の安全保障から退くような発言や姿勢を見せています。
フランスのマクロン大統領が3月5日、フランスの核抑止力を欧州全体に広げることを検討する考えを示しました。マクロン氏の発言は、米国を引き続き、欧州の安全保障に関与させるための駆け引きか、あるいは、欧州独自の安全保障を考える必要性を他の欧州諸国に訴えかける狙いがあったのかもしれません。ただ、フランスの核戦力は元々、自国防衛が目的でした。フランスが拡大抑止力を欧州全体に広げても、ロシアは脅威とは感じないかもしれません。
――一方、米国防次官(政策担当)に指名されたエルブリッジ・コルビー氏が3月4日の上院軍事委員会の聴聞会で、韓国に対する米国の拡大抑止力を疑問視しました。
コルビー氏の発言には「日本も韓国も、アジアの安全保障を人任せにせず、自分の問題として解決する姿勢を示してほしい」と促す狙いがあると思います。拡大抑止力(いわゆる「核の傘」)について、コルビー氏は米戦術核の朝鮮半島再配備や韓国による独自核武装など、「解」を自ら語っていません。いずれにしても、米国の安保政策は今後、ウォルツ大統領補佐官とコルビー国防次官を中心に展開する可能性があり、一連の発言には最大限注目すべきです。
――日本では「日本の国内総生産(GDP)比で防衛費3%」は伝えられましたが「拡大抑止」についてはほとんど報道されていません。
日本は唯一の戦争被爆国ですから、「核廃絶・核軍縮」と「安全保障の拡大抑止」を車の両輪のように同時に推進する必要があります。コルビー氏が日本に対しても米国の拡大抑止力を疑問視した場合、日本が今後、どのような政策を展開するのか考えなければいけません。日本では今月、ニューヨークで開かれている核兵器禁止条約の締約国会議ばかりが報じられています。この報道も絶対必要ですが、拡大抑止がほとんど注目されないことには懸念を覚えます。
――米国はウクライナへの軍事支援一時停止を続けています。
トランプ氏は3月4日の施政方針演説で、ウクライナのゼレンスキー大統領が鉱物資源をめぐる協定に署名する考えを示したと明らかにしました。それでもなお、一時停止を続けている背景には、ウクライナをロシアとの停戦協議の席に着かせる際の条件闘争のカードとして使う考えなのかもしれません。
状況は、ウクライナにとって厳しいと思います。米国による支援停止の事実を知れば、ロシアはより攻勢に出てくるでしょう。ウクライナは「米国の支援がなくても夏までは戦える」と考えたとしても、実際にはその予想より更に短い期間で、苦境に追い詰められるかもしれません。
――この状況は、日米同盟を結ぶ日本にとっても、ひとごとではありません。
日本人は従来、「米国が必ず日本を守ってくれる」と考えてきましたが、今後は「自分の国を守るためには、まず自分たちが何をすべきか」を考えなければならない時代になりました。コルビー氏の発言も、同じことを訴えているのです。もちろん、すぐに日米同盟条約の片務性を解消できないでしょう。
しかし、従来の「(米国が攻撃を、日本が防衛をそれぞれ担当する)盾と矛の関係」では、米国が日本防衛を拒んだ場合、日本の安全保障は簡単に崩壊します。今すぐに、日本がウクライナと同じ状態に置かれることはありませんが、日本も自分の国の安全保障に必要なすべての機能を備えるよう努力しなければいけない時代になったと言えます。
――今の国際情勢をどうみていますか。
米国を中心に作り上げた戦後秩序が大きく揺らいでいます。どの国も目先の利益を考えて、「自国第一主義」で行動するようになりました。国際秩序と安定が大きく揺らぐ危険な状態です。第2次世界大戦の前の状況に似ているのかもしれません。
――石破茂首相は2月の日米首脳会談でトランプ大統領を持ち上げました。
石破首相らは、「日本にとって絶対的に必要な安全保障を巡る言質を米国から取る」という目標を立てて日米首脳会談に臨んだのでしょう。同盟において、首脳の信頼関係は非常に重要です。第2次大戦でも、チャーチル英首相は1000通を上回る書簡や電報をルーズベルト米大統領に送り、米国の参戦を引き出しました。
一方、コルビー氏の「日本も防衛費を3%に引き上げよ」という発言について、石破首相が「日本が考える問題だ」と語ったことはよかったと思います。「3%はダメだ」と言えば、反発を買って、混乱しますが、米国の言いなりになるのも感心しません。「国防の地政学」でも主張しましたが、世界の情勢を分析し、適切な戦い方や装備を考えたうえで、防衛費がいくら必要なのかという結論を導きだすべきでしょう。