「貧しい人たちに勉強の機会を」元新聞奨学生のベトナム人、祖国で日本留学の支援開始

――なぜ、この仕事を始めたのですか。
私は2013年から2017年まで新聞奨学生として日本に滞在しました。基本的に配達の仕事だけをしましたが、来日当初は日本の習慣がよくわからず、苦労しました。
新聞奨学生として来日するためには留学ビザが必要です。私は大学で日本語を学んでいたので、言葉はそれほど不自由しませんでしたが、最終学歴が高卒や専門学校卒の場合は、日本語能力試験での合格も求められます。「日本に行きたいけれど、ビザを取れる自信がない」という人々を助けたいと思ったのが、この仕事を始めた理由です。
――どのような仕事なのですか。
ハノイに寄宿舎を兼ねた8カ月制の学校を開設しました。新聞奨学生として日本に行きたい学生を集め、6カ月間で日本語を教え、2カ月間で原付バイクの免許を取得するための指導をします。学生は二段ベッドがいくつも置かれた部屋で集団生活します。
朝5時半に起床し、ランニングや体操、清掃をした後、授業を受けます。昼食をはさんで午後も授業を受け、自由時間や自習の時間を経て午後10時半に消灯する生活を送ります。
――集団生活が必要なのですか。
学生たちはほぼ、「貧しくて勉強する機会がなく、将来が閉ざされている」という共通点があります。貧しい地方出身の人が大半で、ベトナムの標準語すら話せない人がいます。教育も十分受けていないので、「ミスをしたら謝る」「助けてもらったらお礼を言う」という基本的なことを知らない人もいます。電化製品の扱い方も知らず、自宅に電話がなかった人も大勢います。
ただ、それは貧困が理由です。本人の素行に問題があるわけではありません。性格は純粋で勉強したいという気持ちを強く持っているため、集団生活を通じて自然にこうした問題を解決できるのです。
――3月16日の祝賀会にも出席したのですか。
私も奨学生を送り出す側の組織の関係者として出席しました。出席対象の学生は約300人で、国別ではベトナム人が最も多い159人で、そのうちの50人がモンゴルやネパールなど他の国の学生と一緒に出席しました。ベトナム人学生のなかには、6年間配達の仕事をしてきた仲の良い女性の友達もいました。
――外国からの新聞奨学生について、一部で「学生が違法就労している」「仲介料目当て」などと批判する声もあります。
私たちは「1週間に28時間以内」という決められた規則に従って働いています。また、この仕事をしているのも、貧しい地域の人々に勉強の機会を与えるのが目的です。3月6日に、日本に向かう奨学生たちの歓送会をハノイで開きました。学生たちは「8カ月教えてもらったことに感謝している」「自分の夢はここから始まる」と語っていました。自分たちの仕事が誤解されるのは悲しいとしか言いようがありません。
――ベトナムも徐々に豊かになっています。新聞奨学生の希望者が今後も続くでしょうか。
ベトナムも経済成長をしていますが、まだまだ貧しい地域があります。自給自足で、飲食店やスーパーもない地域もあります。トウモロコシの粉が主食で、手も足も本当に細い子供たちがたくさん住んでいます。高校を卒業したら、一生農業をするしかない人も数多くいます。労働力として期待されたり、妊娠したりして卒業できない人もいます。
もちろん、今後は新聞奨学生だけでなく、日本の様々な機関と連携して、エンジニアなど、いろいろな分野にベトナムの人々を送り出したいと思っています。