日本とベトナムの交流は、ベトナムの仏僧が舞楽を日本に伝えたとされる8世紀までさかのぼる。
16世紀後半には中部ホイアンが江戸幕府の朱印船貿易の目的地の一つになり、現地に暮らす日本人もいた。ホイアンには「日本橋」など当時の面影を残す場所が今も残っている。
それから約500年。ベトナム人は日本に住む外国人の中で中国人に次ぐ規模になった。日本への定住者として最初に集団でやってきたのは、「ボートピープル」と呼ばれるベトナム難民たちだ。
1975年4月のサイゴン陥落でベトナム戦争が終結。新しい社会主義体制下で迫害を受ける恐れのある人々や、新体制に不安を抱く人々が、国外に逃れた。
日本には1975年5月、千葉港に初めて上陸した。日本政府は、正式に受け入れを決めた1978年以降、カンボジア、ラオスも含め約1万1000人を受け入れ、うち約8700人がベトナム人だった。
欧米などにその後、出国した人たちもいたが、日本で暮らし続けている人たちもいる。浜松市や兵庫県姫路市など全国に定住促進のための施設があり、周辺にはベトナム人コミュニティーが残る。
いまや、難民2世や3世の世代になったが、アイデンティティーや言葉の壁で悩む人たちも少なくない。
2000年代になると、技能実習生が増え始める。
外国人労働者問題に詳しい東海大の万城目正雄教授によると、きっかけは2003年の中国での重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行。日本への最大の実習生送り出し国だった中国からの受け入れが止まった。中国人に頼っていた中小企業、とくに縫製業者が、ベトナムに駆け込んだ。
そして、ベトナムが2007年に世界貿易機関(WTO)に加盟し、ベトナム国営企業の独占状態だった労働者派遣業務が民間に開放されると、送り出し機関と呼ばれる派遣会社が次々とできた。
ベトナム人実習生の数は2016年に中国人を抜き、2019年には20万人を超えた。コロナ禍で2021年には16万人に減ったが、在留ベトナム人の4割弱を占める。
ただ、人権問題も起きている。受け入れ企業の多くは実習生を大切に扱っているが、賃金をきちんと払わなかったり、長時間労働を強いたりする会社も後を絶たない。
実習生たちは日本に行くために50万円から100万円近くを借金しているケースが珍しくない。日本では転職が認められず、劣悪な環境でも返済のために働き続けなければならない事情がある。
駐ベトナム日本大使館によると、コロナ対策による日本側の入国規制が緩和された後の今年3月に実習生の新規入国を再開したが、5月に約2万人でピークを迎えた後、6月には半減している。
ベトナムで製造業を中心に人手不足になっているほか、円安で日本での収入の魅力が薄れていることが背景にある。ベトナム側で実習生の苦境を指摘する報道が増え、問題点が認識されるようになった影響もある。