うめだ・くにお 1954年、広島県生まれ。外務省に入省後、ペルー、アメリカ、国際連合、中国などの勤務を経て、2012年〜14年まで外務省国際協力局長。駐ブラジル全権大使を経て、2016年〜20年、駐ベトナム全権大使。2020年4月から、日本経済研究所上席研究主幹。外国人材共生支援全国協会(NAGOMi)副会長も務める。
■ベトナムの経験に学ぶ対中関係
——今回、本を出版されたのはなぜですか。
一番大きいのは、自分が大使になって、ベトナムが日本にとってこんなに重要な国になっていたことに気がついた驚きですね。2010年から12年まで、東南アジア、南西アジアを外務省本省で担当していましたが、その時のベトナムと全く違っていました。
3つの点で、大きく変わりました。一つは、安全保障の面で、ベトナムが日本にとって最も信頼できる国になっていたこと。特に中国がASEANの分断を進める中で、ベトナムだけがぐらつかない厳しい対中観をずっと維持していました。2点目として、2016年頃以降、日本で働いている技能実習生の数でベトナム人が中国人を抜いて1位になり、いまや日本の労働力不足を補う最大の貢献国がベトナムになっています。3点目は、日本企業のベトナムへの投資意欲がとても高いことです。今は新型コロナがあって停滞している部分はありますが、米中覇権争いの中でサプライチェーンの見直しも進みますし、この傾向はますます強くなると思います。
——なぜ、「ベトナムを知れば日本の危機が見えてくる」のでしょうか。
一言でいうなら、中国に対する態度の違いですね。日本から見る中国と、ベトナムから見た中国は大きく違います。中国が日本に攻めてきたのは元寇ぐらいしかない。ベトナムは、2,000年間の歴史で1,000年間は中国に支配されていました。その後、独立の王朝を維持する間にも10回以上、中国の侵略を受けています。最近50年間でも3回戦火を交えています。ベトナムの歴史は中国への抵抗の歴史です。中国と陸の国境で接しているということもありますが、中国は油断も隙もないとわかっている。そういう認識は、あまり日本にはないのだと思います。
——もう少し中国に対しての警戒感を持つべきだというのが一番のメッセージなのですね。
そうです。きちんと警戒感を持って、自分たちを中国から守る手立てを講じる。隙を見せるとつけこまれる。すでに尖閣諸島沖合で、中国海警局の艦船が日本の領海への侵入を繰り返していますが、それに加えて「沖縄は中国から奪ったものだ」と10年以上前から宣伝工作をしています。その辺をきちんと認識して危機感を持たなければいけない。
これは、中国を甘く見ていた自分自身の反省でもあるんです。私は、2007年から2010年まで、中国で大使に次ぐ首席公使として勤務していました。その頃は胡錦涛政権で、日本との関係を大切にしようという意識をわれわれも感じていました。けれども、やはり習近平体制になって大きく変わりました。トランプ氏がアメリカの大統領になって、中国の本質をあらわにしてくれた面があると思います。トランプ氏のあの激しい言い方と、習近平政権の膨張主義や戦狼外交が重なって、中国の怖さを世界中が知るようになった。日本の対中認識も相当変わってきています。
――中国が尖閣諸島に侵攻する可能性をどう見ていますか。
中国の国内情勢も影響すると思います。習近平政権は盤石に見えて、そうではないという情報もある。国内で求心力を維持するために、対外的に何か行動を起こさざるを得ない状況になった時に、台湾、南シナ海、尖閣の中で一番リスクが少ないのはどこかと計算をすると思います。
台湾については、7月に「台湾問題の解決、祖国の完全な統一の実現は、中国共産党が断固として取り組むべき歴史的責務」と発言しました。何もしなければ嘘つきといわれる可能性があります。いずれ何かやらざるを得ないでしょう。
南シナ海については、軍事拠点化されていないスカボロー環礁が要注意だと思います。
尖閣諸島での行動は、いろんな可能性が考えられます。漁民を装った民兵を使って島に上陸させるかもしれないし、海警局の船が日本漁船を沈没させるかもしれない。尖閣諸島は日米安保条約の対象と米国は言っていますが、初期の段階では日本が独自に対処しなければいけないので、それだけの装備を準備しておかなければいけません。それと同時に、これはベトナムに学ばなければいけないことですが、日本は主権が侵されることがあれば、断固として戦うという覚悟を示すことはとても重要だと思います。
覚悟とは例えば、新聞の論調は重要だと思います。各紙の社説でも、しっかりと書いていただきたい。政府高官や国会の発言はもちろん重要ですが、やはり世論が重要だと思います。
■ベトナムの共産党、中国との違い
—— 著書では、中国共産党とベトナム共産党の違いについても書かれています。
ベトナムで勤務するまでは、同じ共産党だから、似ているのだろうなと思っていたんです。行ってみて、大臣や次官クラスの高官、有識者と話していて、みんなとても率直に自分の意見を言うのに驚きました。中国勤務のときは、中国政府の人は、監視されていることを感じつつ決められた内容のみ話すことがほとんどでした。自分だけがそう感じるのかと思って、他の国の外交官で中国勤務を経験している人たちに聞くと、みんな、中国とベトナムは全く違うと言うのです。ベトナム人は、政府の批判もするし、自分の思っていることを遠慮なく言います、と。
国民に対しても、中国のように強権的ではありません。典型的なのは、土地の収用です。ベトナムでは、多くの人がごねるのです。補償が少ないなどと言って。だから公共工事がものすごく遅いのです。住民を怒らせたくないという面がベトナム政府にはあります。
ベトナムも、日本で言う三権分立はないのですが、中国のように共産党の意向を一方的に押しつけることはなく、国民の意向をできるだけ尊重しようとしています。国民第一主義と言っても良いと思います。
――ベトナムは共産主義から脱することはあるのでしょうか。
彼らは口に出しては言いませんが、共産主義というのはいずれ変わらなければならないと考えていると思います。今や社会主義・共産主義を標榜している国は世界で5つだけです。中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、それとキューバ。5つの国でも統治の仕方はまったく違います。
でも、やはり中国が変わるようなことがあれば、自分たちも当然変わらなければいけないという意識はたぶんあると思います。だから、日本の自民党の長期政権のあり方含めていろんな勉強、研究を重ねていると思います。
—— 共産主義には、報道の自由がないのが民主主義との違いです。ベトナムではこの点ではどうでしょう。
例えばGoogleやYahoo!はほとんど制限されていません。SNSでも、共産主義体制をつぶせというような投稿はチェックされるようですが、個別案件の批判はけっこう書いています。
■技能実習生が「来てよかった」と思える環境づくり
——昨年1月、ベトナムに出張しました。親日的な雰囲気を実感した一方で、技能実習生で日本に行き、好きだった日本を嫌いになって帰国する人も少なくないという話も聞きました。どのように対策すべきですか。
この問題には、今も心を痛めています。日本に帰ってきてからもいろいろ話を聞きました。確かに報道されているような人権侵害や改善すべき点は多々あります。同時に、30年近くこの制度をやってきて、アジアの国々の経済発展に貢献している部分もあるし、日本での実習を通じて本人のキャリアアップや家族の生活改善に役立っているケースが多いのも事実です。さらに若い彼らを受け入れた日本企業が元気になり、地域の活性化につなげているケースも日本のいたるところにあります。大多数は日本にきて良かったとの思いで帰国しています。
昨年設立された外国人材共生支援全国協会(NAGOMi)の副会長も務めています。この会の趣旨は3つあります。一つは、日本に来る人たちの立場になって仕組みを作る必要がある。それから、今、技能実習と特定技能がある意味別々に組み立てられているんですが、それを一貫性のある仕組みに改善する必要がある。3つ目は、人権侵害や、いろんな問題をきっちり是正する。悪い人たちを排除する仕組みを強化していく必要があるということです。悪徳業者の犠牲になっている人たちをできるだけ少なくするために、協力したいです。
ベトナム人の場合は、借金を背負って来ているケースが多いのです。大体80万から100万円くらい。そういう人たちは親戚中からお金を借りています。彼らは多くの親戚の期待とお金を背負って日本に来ます。一人の挫折は大きな影響があります。だから、彼らが日本に来てよかったなと思える環境を作ることは、とても重要だと思います。
――米国の国務省は、人身売買報告書で、日本の技能実習制度の中で外国人の強制労働が継続して報告されていると指摘しています。
余計なお世話との感もありますが、謙虚に反省して、改善すべき点は是正しなければいけません。ようやくこの2、3年、色々な改善努力を日本政府も始めています。去年の10月には政府が「ビジネスと人権に関する行動計画」を作り、さまざまな行動改善を求めています。
外国人技能実習機構が2017年に創設されたのですが、ようやく去年ぐらいからきちんと監査をして、処分をするようになっています。また特定技能ができた時に、法務省が外国人材と共生するための総合施策を作りました。日本語学習も含めて、いろんな施策、やるべきことを盛り込んでいます。外国人との共生社会に向けて、ようやく日本社会も動き出したという感じはあります。
今年のG7サミットで、人権問題が非常にクローズアップされました。特に新疆ウイグル自治区との関係で、日本企業もサプライチェーンの見直し、人権のデューデリジェンスを求められています。私は経団連や日本商工会議所に海外も重要だけれども国内の人権デューデリジェンスもきちんとやるように企業の方々に言ってくださいとお願いしています。それは、外国人に対して奴隷労働を許しているというような批判が起こらないためです。
NAGOMiでも、不正撲滅キャンペーンを6月から始めました。外国人を受け入れている監理団体や企業の人たちに意識を変えてもらうということが重要です。ベトナム側の関係団体にも大使館が『日本でこういう運動をやっているから、あなたたちもやってくれ』と、今、働きかけを始めてもらっています。
—— 具体的には、どう改善されようとしていますか。
特に業者の手数料の問題です。やはりベトナム人技能実習生の借金を減らすということはとても重要なのです。手数料はある程度は必要で、渡航準備をするのに必要な経費はある。でも、日本の監理団体がキックバックを受け取っているケースがあり、ベトナムに行くと接待を受けることも日常的になっている。そういう経費のつけは日本に来る若者に回るわけなので、そういうことをやめましょうということ。簡単ではないですが、日本側とベトナム側、両方がお互い注意することによって、なくしていきたいと努力しているところです。また日本では暴言や暴力、給与の未払いをなくす、労働法規を守るということです。