記録のない記憶を見えるかたちに 生成AIの「合成記憶」が呼び覚ます、あの日の思い出
群衆の後ろで男性が空に向かって右手を振り上げ、その手から放たれた何枚もの白い紙が宙を舞う――。
「1973年、満員のバルサスタジアムで大勢が目にしたけれど、独裁政権下で、新聞にもラジオにも記録が残っていない光景だ。もう一度目にすることができて、涙が出た」
7月上旬、スペイン北東部カタルーニャ自治州の州都バルセロナで、ジョルディ・ペティットさん(71)は、インスタントカメラで撮った写真のような小さなモノクロ画像を見せながら、52年前の記憶について語った。
当時はフランコ将軍による独裁政権(1939~75年)下で、反体制派は弾圧され、人々の自由は厳しく制限された。数人での小さな集会も自由に開くことは許されず、新聞や放送も検閲されていた。
その日は、オランダ出身の選手ヨハン・クライフのFCバルセロナ移籍後のデビュー戦だった。
禁止されていた労働組合に参加していたペティットさんは、ほかの観客に紛れるよう、普段は着ない襟付きのシャツを着た。肩掛けかばんには、ゼネラルストライキを訴える大量のビラを隠し持っていた。
試合終了のホイッスルが鳴り、観客が帰ろうと立ち上がった瞬間、10カ所ほどに分かれていた仲間と一斉にビラを放った。
「白い花火がスタジアム中で打ち上がったようだった」
そのときの光景をまるで昨日のことのように語るペティットさんだが、手にする画像は本物の写真ではない。データとデザインを扱うスタジオ「Domestic Data Streamers」が2022年から取り組むプロジェクト「Synthetic Memories(合成記憶)」で生成AI(人工知能)がつくったものだ。
同社の共同創設者で、「合成記憶」を考案したパウ・アレイクムさん(36)は「新しいテクノロジーを使って、記録が残っていない記憶や思い出を、目に見えるかたちにできないかと考えた」とプロジェクトの狙いを語る。
ヒントになったのは、2015年に難民支援のボランティアで訪れたギリシャでの体験だった。
ギリシャには当時、主にシリアからの難民が押し寄せていた。ある晩、年配のシリア出身の女性が「私が恐れているのは、孫たちがこの先も難民のままでいることだ」と吐露した。アレイクムさんが励まそうとすると、女性は首を振った。
「家や仕事の問題ではなく、私たちがどこから来て、何者であるか、ということだ。孫たちに尋ねられても、私は何も見せてあげられない。ふるさとの家も、暮らした街や市場も、囲んだ料理も、家族のアルバムも日記も、すべて失われてしまったのだから」
生成AIが登場し、使い方を考える中で、そんな彼女の言葉が結びついた。記録のない記憶でも、目に見えるかたちに「再構築」できるのでは。2022年、知り合いの祖父母らの協力を得て、記憶や思い出の「合成」を試みた。
ある高齢の女性は、独裁政権下の子ども時代、父親が政治犯として収監されていた監獄に面したアパートの一室に母親と入れてもらい、そこのバルコニーから監獄にいる父親の姿を見た日のことを語った。できあがった画像を見るまで彼女の息子も知らなかった、家族の歴史だった。
人々の記憶により近づくよう、あえて画像の細部はぼやけた状態にする。鮮明に再現しすぎると、記憶との違いの方が目立ってしまうのだという。また、本物の写真と間違えられるリスクも避けられる。「私たちの目的は、あくまで個人的な記憶を呼び覚ますこと。ディープフェイクをつくることでも、歴史を修正することでもない。テクノロジーを使って問題をどう解決するかが重要だ」とアレイクムさんは言う。
昨年5~9月には、バルセロナ・デザイン美術館に臨時オフィスを開き、広く一般の人々にも体験してもらった。
思い出を聞き出す役と、システムに入力する役の2人一組で参加者を迎え、1時間ほどかけて「合成記憶」をつくり出す。セッションと呼ぶこの過程で、AIがつくり出す画像を見ながら、入力する文言を調整し、修正していく。「昼じゃなくて、夜だった」「もう少し髪は長かったな」「こんなきれいなよそ行きの服じゃなくて、もっと汚れた普段着だった」……。
こうしたやりとりの中で、「『合成記憶』がトリガー(引き金)となって、次々と本物の記憶が呼び覚まされていく」と、プロジェクトマネジャーのイグナシ・モンフォルトさん(25)は話す。
臨時オフィスには1万人超が訪れ、245点の「合成記憶」を生み出した。
カルロス・バレッホさん(74)も参加した一人だ。反フランコ活動家として逮捕、拷問され、フランスやイタリアへ亡命した経験を持つ。そんな彼が語ったのは、当時禁じられていた集会を森の中で開いたときのことだった。
目に見えない記憶を、生成AIが可視化できるのか――。参加する前は疑っていた。だが、できあがった画像は「完璧だった」と言う。
見つかれば命の危険もある中、現場に漂っていた緊迫感や人々の恐怖心まで画像からは感じられた。モノクロだが、「緑の木々や茶色い土、人々の肌の色……私にはカラーに見える。まるで過去への窓を開けたようだ」。
フランコの死後、スペインに戻ったバレッホさんは市議などを務めながら、独裁政権下の歴史的な記憶の保存と継承を求める活動を進めてきた。「そんな時代があったと若い人たちに話しても、にわかには信じられないだろう。『合成記憶』でつくり出したイメージは、当時の状況やできごとを伝える助けになる」
とはいえ、生成AIは万能ではない。
バレッホさんはセッションで、亡命の途上、フランスの海岸で野宿したときのことも語った。だが、「キャンプした」と入力すると、現代的なテントのイメージが現れてしまい、うまくいかなかったという。
また、AIが参考にするデータの量は国や地域による偏りが大きい。例えば、同スタジオが中東ドバイで進める認知症治療の実証研究では、現地の過去の写真データの学習が少ないため、古い記憶なのに、何度試しても10年に開業した世界一の高層ビル「ブルジュ・ハリファ」が画像に現れてしまったという。
より多くの過去の写真などの学習が必要だが、古い記録ほど公的な場や、特別な日の写真しか残っていないという課題もある。公的な記録だけでなく、個人所有の資料や現地の研究者らとの協力も欠かせない。
記録に残されてこなかった、語られてこなかった記憶にも光を当てたい、とアレイクムさんは言う。「難民や被災者などの、失ってしまった思い出をよみがえらせるプロジェクトにも取り組みたい」